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ファッションを「語る」ということ

ファッション ブログ

ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)

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ファッションの記事でもなんでも書きたいものを書けばいいと思うのだけれど、いつも思うのがこういうときの「ファッション」という主語が単に何と何を着るのか?ということでしかないところで。



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ファッション=着こなし

それはたいてい着こなしとかそういうレベルの話で、文化的なタームとしての「ファッション」ではない。
デニムは首の回りをぐるりと回せれば履ける、みたいな話が「ファッション」を語ることになるんだかどうなんだか定かではないし、そんなテクを使ってもワタリ*1の幅が狭ければ入らないし、それはファッションというより買いものテクじゃねーかとしか思えないが。

人気ブロガーなのだし、個人の感覚であれ、ファッションに関して「語る」ほどの方法論やコードがあるなら大いに「ファッション」を語っていただければよろしいのではないですかね。
まぁ、語りまくって一度sukebeningen先生にボコられれば……。
ファッションクラスタこわいわー。

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と思ってたら、これすか。
はぁ。ファッション......。
「おしゃれな店に入りづらい」なんて四方山話でsukebeningen先生は召喚すらされないだろうけれど。

店に入りづらいだ何だ、そんなことはBEAMSだの(インターナショナルギャラリーじゃないですよねぇ?)入りやすいイージーなセレショじゃなく、表参道のバーバリーとかサンローラン、DIOR HOMMEに入ってみてから書いてみる方がいい。
昔、恵比寿にあったナンバーナインがどんだけ入りにくかったか...。
セレショが入りづらい?
は????

閑話休題。


さてファッションの「文化」を語られることは、他の何かしらと比べてとても少なく感じる。
多くは脱オタの着こなしテクだとか、モテファッションだとか、あるいはファッションブロガーに全身見繕ってもらってそれっぽく仕上げる変身系の記事だったり。

他ジャンルで語られる文化的な側面よりファッションに関しては即物的で実際的な側面ばかりが語られ、いつの間にかファッション→着こなし以上でも以下でもない単なる日常の実用性レベルの話しか展開されない。ユニクロで◯◯を買っただの、ミニマリストがコートを数着残してあとは捨てただの。
これではファッションの文化的な考察は生まれづらいだろうけれども。

たとえばアートを語るといって「ピカソが大好きなのでアートを語りたい」という人は少ない。
アートを語るにはそれなりにアカデミックで知識も必要だと思われているらしい。そりゃあキュビズムだとかシュールレアリズムだとか語れるに越したことはないけれど。
ところが「ファッション」はそうではない。
何の用意もなく容易に「語られて」しまう。

ファッションは単なる「服を着る」ことでしかないんだろうか。
この認識、状況に物足りなさを感じる。

ファッションという文化

世間の流行を見れば、いわゆるミニマルなノームコアのような一周回った裏のおしゃれが流行り、今年は原色柄ON柄が流行るのだそうで(王様のブランチ情報)、そんなもんドリスヴァンノッテン……いや、KENZOがとっくにやってたスタイルだと思うのだけれど、王様のブランチが言うならそれなりには流行るんでしょう。



流行、着こなし。
そればかりでしか語られないならファッションはなんて面白くないのか。

演技や演出や物語性で語るからこそ映画というジャンルに読むことのできる重層的な深みがあるように、あらゆる文化には語られるべき側面があるし、それはもっと大いに語られていい。
個人の未熟で即時的なセンス自慢ではない本質的なファッション談義を。
少なくともモテファッションだのなんだのよりも大きな声で。


どこかに見解をもってファッション文化を語ってくださる方はいらっしゃらないもんですかね。
そういうひとの記事なら是非読んでみたいものだけれど。

店に入る入らない話が「ファッション」ですか……はぁ。

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*1:太もも部分の幅