最後まで「生き様」見せ続けた竹田圭吾さん 「どうしても番組に出たい」と気力で出演

印刷

    闘病生活を続けていたジャーナリストの竹田圭吾さんが2016年1月10日午後、膵臓(すいぞう)がんのため都内の病院で死去した。51歳だった。

   竹田さんは15年秋に、出演している番組で闘病を公表。その後も精力的にテレビ出演を続けていた。レギュラー番組のひとつがフジテレビの「とくダネ!」だった。16年1月11日の放送によると、竹田さんは15年12月には、自分の荷物をかばんに入れることもできないほどに体力が落ちていた。だが、竹田さんは『出るのが生きがいなんだ。出ると元気になるんだ』などと最後までテレビ出演への意欲を失っていなかったという。

  • 竹田さんのツイッターは2015年末まで更新されていた
    竹田さんのツイッターは2015年末まで更新されていた

「竹田さんの覚悟は決まっているんだなって、誰もが思ったんですよね」

   竹田さんの最後の「とくダネ!」出演は15年12月22日。小倉智昭キャスターは、その時点で竹田さんの「覚悟」を感じていたという。

「もう竹田さんの覚悟は決まっているんだなって、誰もが思ったんですよね。本当に長い闘病生活で、もうきついんじゃないかな。みんなでもね、なかなか竹田さんに病気のことを聞けないんですよ。最初にがんのことをお話しになったときに、『竹田さん、どこのがんだったんですか?』って聞いたら、(肺の辺りを指しながら)『この辺でした』って、そう言うだけだった。『ああ、あんまりお話しになりたくないんだな』って、それ以来病気のことは聞きませんでした」

   竹田さんの衰弱ぶりを見かねたスタッフが出演見合わせを打診したこともあったが、竹田さんは番組出演が「生き様」だとして出演続行を望んだという。小倉キャスターは、こう続けた。

「歩くのもつらいほど弱っていくのを見ていて、『体だけは気をつけてくださいね』って言うのが精一杯で、それ以外の励ましの言葉は逆に竹田さんにとって失礼なのかなって思った。番組のスタッフも、竹田さんに無理をさせてはいけないので、車いすを用意したり色々なことを考え、『本当に無理だったらお休みになってもいいですよ』(と伝えた)。でも竹田さんご本人が『どうしても番組に出たいんです。それが自分の生き様です』って仰って...」

   笠井信輔アナウンサーも、竹田さんが気力で番組出演を続けていた様子を振り返った。

「(竹田さんが)楽屋に帰ったら、荷物をかばんに詰められないんですって。それでスタッフに『荷物を詰めてもらえますか?コートを取ってもらえますか』と言って、スタッフが手伝ってあげて...。でも『出るのが生きがいなんだ。出ると元気になるんだ』というお話をされていて...。川島なお美さんのように、最後の最後までメディアという舞台で人生を全うしたいんだな、というのは隣に座っていらして、回を増すごとにひしひしと感じていました」
地方創生求人特集

   景気回復の影響が地方都市にも波及しだしている。福岡、愛知といった首都圏以外の大都市では、地場の大企業を中心に現在転職市場が活発だ。暮らしやすさと収入のバランスを求め、首都圏からの応募も増えているという。転職サイト「ビズリーチ」の地方企業特集によると......続きを読む

PR 2015/12/9

  • コメント・口コミ
  • Facebook
  • twitter
コメント・口コミを投稿する
コメント・口コミを入力
ハンドルネーム
コメント・口コミ
   

※誹謗中傷や差別的発言、不愉快にさせるようなコメント・口コミは掲載しない場合があります。
コメント・口コミの掲載基準については、コメント・口コミに関する諸注意をご一読ください。

注目情報

ユーザー登録後24h限定 セール品がさらに安くなる3000円分クーポンつき

山手線の主要6駅のデータを見ると・・・

発売日スケジュールが丸わかり!恒例のTBMオリジナル福袋も大放出

日本神話、源氏物語から阿久悠、AKB、仕事、家庭まで。文化と社会の中には常に女性の姿があった!

「女性と文化」WEB公開講座

2016年に創刊10周年を迎え新たな スタートを切るJ-CASTニュースで あなたも記事を書いてみませんか