「新聞縦覧所」坂下で看板発見 明治、大正時代の供覧施設
新聞の販売網が十分でなかった明治、大正時代に全国に設けられた「新聞縦覧所」の看板が会津坂下町の民家で見つかった。専門家は「極めて珍しい。自由民権運動が盛んだった会津地方は古くから情報に関心が高かったと考えられる」と注目し、創成期の新聞を研究する上で貴重な史料と見ている。
看板は会津坂下町気多宮、無職酒井佳子さん(83)方の土蔵にあった。長さ135センチ、幅27・5センチ、厚さ2センチほどの木製。「坂下協会 新聞雑誌縦覧所 気多宮支処」という文字が毛筆で書かれていた。
一般的に、縦覧所は公費で買い上げた新聞を置き、読みたい人に供覧させた施設。私費で購入した新聞を置いた縦覧所もあったとされる。酒井家の土蔵にはかつて、大量の新聞が保管されていたとされるが、実際に縦覧所が設置されていたのかは分かっていない。
新聞史に詳しい春原昭彦上智大名誉教授(ジャーナリズム史)は「看板の実物は初めて見た。自由民権運動が盛んだった会津地方は、古くから情報に関心が高かったと思われる。縦覧所があった可能性は強い」と話す。日本新聞博物館(横浜市)の赤木孝次学芸員は「『坂下協会』の実態が解明できれば、時期や運営形態も分かるのではないか」としている。
明治20年代、会津地方には民権運動の流れをくんだ政治結社「会津協会」が存在していた。酒井家は明治半ばから大正にかけて二人の県議を生んでいる。坂下協会は会津協会と関係がある組織、あるいは別の政治結社だった可能性がある。
酒井さんは「二人とも教育施設の拡充に熱心だったと聞いている。いずれかが自宅に縦覧所を開設したのかもしれない」と話す。
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酒井さんは福島民報社に看板を寄託した。NIE(教育に新聞を)などの活動に役立ててもらうよう望んでいる。
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