食事と一緒で、情報もたまにはジャンキーなものを食べたくなる。特に、ストレスがたまってるときとか、重要なことに手をつけてなくてちょっと逃げたいときとか、考えなくていいくらい、とりあえずいれとけば、ほっとするよね。


時々ならいい。



でも、いつもそれでお腹いっぱいにしちゃうと、本当に体に染み込ませるべき情報を、得る気がなくなる。必要な余白が、不必要に埋まっちゃう。


例えば、ツイッターをなんとなくみてる間に、ほんとうはもっと読みたい本はなかった?そんなふうに思うこともよくある。
 
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「どっちでもいい」と「これ欲しい」は違う。
「なんとなく食べる」と「これ食べたい」は違う。


自分の中の、核心になる場所を、育むための情報は大事。まずそこから形成させたい。あまりにも抽象的になりすぎて、人と話ができなくなると困るから、世間的な情報に触れることも大事なんだよ。


けれどそれは、中心の周辺。決まった時間内に少しだけ取り入れればいいこと。肉まんの、皮だけあっても仕方ない。皮をへて、おいしくてジューシーな中身にたどり着いた時、とろ!ほかほかっ、じゅわーー!と出てくるものがあってこそ、おいしいんだよね。


しっかり生きる上で・発信する側として、自分の肉付きをよくするためには、どういう情報をまず入れればいいか。学べばいいか、体感していけばいいか。



それは特別なことではなく日々の生活の中で、どんな風に暮らすか?あらゆる素材の配置と似ている。



情報や知恵は、あたまの食べ物。血液になってあなたから人へと巡る栄養素。
あなたは、どんな情報で、体を満たしたいですか?