メディアの「理想の家族」信仰にだまされるな!
今回のアンケートによって、現代の日本人が抱える親子関係のしんどさの一端が明らかになったと思う。なぜ、これほど親に対してストレスを感じる人が増えてしまったのか。
戦前の日本人の家庭環境は、現代人よりもはるかに家族の確執や、親への恨みつらみが強かったはずだ。女性は10代のうちに嫁に行き、5人6人と子どもを産み、嫁ぎ先のお手伝いさんのような扱いを受けていた。
炊事・洗濯・掃除などの家事と育児に加え、農作業や家業も手伝わされ、一家の高齢者に介護が必要になったら、その世話も一手に担わされた。
女性は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子どもに従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない、という意味の「女は三界に家なし」という言葉があったほど、虐げられていたのだ。
子どもにしても、長男以外は早々に奉公に出されたり、身売りされたりして、家を追い出された。昔の日本人は、貧しさゆえの苦しみや、親に対する恨みや憎しみを相当味わっていたのではないかと想像する。
だが、現代人が抱える家族の不幸は、昔の日本人とは質が違うように感じる。昔の日本人には、「家族とはこんなものだ」「人生はつらいものだから仕方がない」というあきらめがあったのではないか。一方の現代人は、人々の価値観や生き方の選択肢が多様化し、情報がありすぎるがゆえの不幸に直面しているように思う。
現代の日本は、家長を尊び親孝行を重んじる伝統的な家族観と、一家の団らんを重視するキリスト教的な家族観、さらには家族よりも個人の自由を優先する個人主義的な価値観などがごちゃ混ぜになり、家族としてのあり方が誰にもわからなくなっている。
そのうえ、テレビや雑誌などのメディアからは日々、家族について有形・無形のイメージやメッセージが流れてくる。CMに登場する仲よし夫婦や幸せそうな一家団らんの映像、家族の絆を感動的に謳い上げたドラマ、家族のあり方や子どもの教育などに関する話題や論議など、さまざまな情報に影響されて、私たちは世間が常識とする理想の家族像を思い描いたり、自分の中にある理想の家族像がゆらいで惑わされたりする。
そして、自分が思う理想の家族と、現実の家族とのギャップに思い悩み、理想の家族を夢見て、無理や我慢を重ねる。家族についてどのようにとらえるのが正解なのかがわからないうえに、自分の中にある曖昧な理想の家族像に振り回されて思い悩むのが、現代人が直面する家族の不幸の正体といえるだろう。
特に私が懸念するのは、2011年の東日本大震災以降に顕著になったメディアの「家族の絆」信仰である。当時は、家族の絆がなによりも大事、というメッセージが盛んに流された。近年、「機能不全家族」や「毒親」など、家族の病理が注目され、親との確執を語る有名人が続々と登場したのは、その揺り戻しかもしれない。
家族はそんなに美しいものではない。もっとドロドロとした感情が渦巻く、ときに自分の人生の重荷になることもある厄介な存在である、という家族の暗黒面があぶり出されているのだ。
医師だからこそ見えた家族の実態と影
日本人の間では、まだまだ「親を悪くいってはいけない」「家族の問題を他人に打ち明けるのは身内の恥をさらすことだ」といったタブー意識が根強い。
職場の同僚やママ友、友人などはもちろん、信頼できる親友であっても、「実は親がうっとうしくて仕方がない」「学生時代に親からいわれた暴言が心の傷になっている」といった悩みは、なかなか相談できないだろう。
特に男性は、悩みを相談することは自分の弱みを見せることになる、という意識が強いので難しい。女性の場合も、家族の悩みは話としてヘビーなので、相談できる相手は限られてしまう。
しかも、最近はやりのフェイスブックやブログ、ツイッター、インスタグラムなどのインターネットを介したコミュニケーションは、幸せ家族自慢がメインである。今日はこんな手の込んだ料理を家族で楽しんだ、休日には家族でこんなイベントを楽しんだ、といった情報が、子どもや家族の笑顔の写真とともに次々とアップされる。
そんな中で、親とのドロドロとした確執や、子育てのストレス・苦悩をさらけ出すわけにもいかない。
私は、医師だからこそ知りうる家族の実態や、幸せ家族の裏に潜む愛憎入り混じった感情を、日々の診察で患者さんたちの口から直接聞いている。友人には話せない、家族についての赤裸々な心情も、治療のためなら吐露することができる。
医師には守秘義務が課せられているため、個人的な秘密を口外されないという安心感もあるだろう。
そうした医師だから書ける家族の実態と影を、本書を通じて皆さんに伝えることは、とても意義があると私は考えている。親のことで悩んでいる人にとっては、同じような悩みを抱える人がほかにもたくさんいることがわかり、少しは気が楽になったり、勇気づけられたりするだろう。
さらに、親子関係の問題について、どのように考えれば気持ちが軽くなるのか、悩みを解決するにはどうすればいいか、具体的な方法を本書で提示したいと思う。
もちろん、親にまつわる悩みは千差万別であり、そもそも家族という人間関係そのものが、自分の意志や努力だけで変えていくのが困難であることは、重々承知のうえだ。それでも、親の問題に悩む人たちに、現状を打開するヒントや、将来より悪い事態を招かないための予防策をお伝えできれば幸いである。
殺意の三大要因は「親の過干渉」「劣等感」「介護」
私のこれまでの臨床経験から見て、親に「もう死んでほしい」と殺意を抱いたり、親の存在を重荷に感じてストレスとなったりする三大要因は、子離れができない親からの過干渉と依存、親に対する劣等感、親の介護問題である。そこで次章からは、これらの三大要因について順番に論じていきたい。
まず大前提として、親子関係に苦しむすべての人に伝えたいことが2つある。
第1が「親を殺したくなるのは当たり前!」ということだ。実際に、親に暴力や危害を加えるのは人としてやってはいけないことだが、心の中で「もう死んでしまえばいいのに」「いなくなってくれ!」などと思うことは、罪でもなんでもない。
先にご紹介したアンケート結果にもあるとおり、誰もが抱く自然な感情である。親に対して感じたネガティブな感情を無理に否定しないこと、ネガティブな感情を抱いた自分を責めないことが、まず重要だ。
第2のメッセージは、「自分がいちばんたいせつでOK!」ということだ。親のために自分が犠牲になることは、必ずしも美徳とは限らない。生物には、他者を蹴落としてでも自分は生き延びたいという本能がある。人間も例外ではない。
たとえ血を分けた親子や兄弟姉妹であっても、まずたいせつなのは自分、という考え方でOKなのである。親のために自分が犠牲になり、身も心もボロボロになるほど親に尽くす必要はない。
「親をたいせつにしなければいけない」という思いの強い人ほど、親のために自分を犠牲にして、心身ともに疲れ果てて「親に疲れた症候群」に陥りがちだ。まずは、自分の気持ちや都合を最優先に考えよう。
自分が精神的にも経済的にもある程度満たされて初めて、家族に対しても余裕を持って接することができる。自分を犠牲にすることで、家族の問題がますますこじれることはよくある。自分をいちばんたいせつにすることは、結果として、よりよい親子関係を築くためにも役立つのだ。
こんな人は「親に疲れた症候群」に要注意!
「親に疲れた症候群」に陥りやすい人の特徴を、以下にまとめた。あなたには、いくつ当てはまるだろうか。
□親の前では「いい子」でいたい
□親から強く反対されると、自分の意見を押し通せないことがある
□自分が「したいこと」よりも、他人が自分に「してほしいこと」を優先しがちだ
□親には長生きしてほしいと思っている
□親の死に目には絶対に会いたい
□まだ自分は親離れできていない気がする
□家族は仲よく、いつもいっしょにいるのが理想だ
□親を介護し、看取るのは子どもとしての務めだと思う
□親が困っていたら、自分を犠牲にしてでも助けなければいけないと思う
□両親の誕生日や敬老の日などにはプレゼントを欠かさない
該当する項目が多い人ほど、親に疲れた症候群になる可能性が高いといえる。多く当てはまった人は、自分の親子観、家族についての固定観念を見直して、親との関係を再構築する必要がある。ぜひ本書を参考に、親や家族とのかかわりを考え直してみてほしい。