実を言うとクリスマスはもうだめです。

突然こんなこと言ってごめんね。でも本当です。

ネットが変えてしまったイベントたち

なぜその昔、みんなバレンタインデーをありがたがったか。それはそこに告白の機会があったから。いつでもできないことがこの日だけはできたから。でもEメールがすべてを奪い取ってしまった。告白なんていつでもできるし。今ではLINEで既読無視すらあり得る。

で、クリスマスである。今年のハロウィンの盛り上がりは例年の中でも最高潮を迎えたがクリスマスはどうだ?水を打ったように静かだ。もうみんな気がついてしまったのだ。クリスマスは "特別" じゃないんだって。

一方でハロウィンは特別だ。私はハロウィンを「今日1日冷蔵庫に入って写真をTwitterにアップしていい日」と定義している。ハロウィンはバカを許す。相互監視のような互の目からこの日だけは離れて、どんな身勝手な自己表現もハロウィンは優しく包み込んでくれる。そして自分のバカを、世界とのつながりをSNSで発信することができる。共有こそ人生、そんな日本人が今体感できる最大の息抜き、それがハロウィンだ。

翻ってクリスマスはどうだ?なんて息苦しい1日だろう。相互監視の目はさらに強まり、あからさまないちゃつきは批難されむしろ肩身の狭い思いをするのは従来の主役たちではないか。

でも、今のインターネットでは「1人のクリスマス」が多数派で、恋人や家族と過ごすとは言いにくくなった。何だかこの10年で、逆転した気がします。

共有できないものには価値がない

ハロウィンは共有ができた。その場で。SNSで。空気を。写真を。動画を。我々最大の楽しみ、そして生きがいである共有の機会はクリスマスには存在しない。"密室での出来事" を共有しようという人はなかなかいないだろう(それでも共有したい人はMixChannelへどうぞ!)。

じゃあプレゼントは?クリスマスといえばプレゼントじゃないか?「今の世代にはモノに価値を感じなくなった」というのは近年耳が腐るほど聞いたキーワードだが、その言葉を信じるならばクリスマスプレゼントも当然価値が下がっていると思ってしかるべきだろう。結局のところ「モノ、密室」から「体験、共有」への価値の移動したことがクリスマスの存在意義を根こそぎ奪い取った要因なのだろう。このままいけばクリスマスの経済的価値の持続すらも怪しいのでは…と思っているがそれは極論、なのだろうか。

特別なことは何も起こらないいつもと変わらない日常。
それが今のクリスマスである。