はじめに、こちらの写真パネルをご覧いただきたい。
(※引用先リンク 2015年12月15日閲覧)
父親ふたりに子どもがひとり、子育てする同性カップルの家族写真。
これは、フランスの芸術家であるオリヴィエ・シアパが撮影したものだ。フランスの地方都市・トゥールーズで11月30日から屋外展示されていたが、12月4日の深夜に壊され、落書きされた(参考:Le Monde)。
(※引用先リンク 2015年12月15日閲覧)
男性ふたりに抱かれて眠る赤ちゃんの、その顔の部分が割られている。
黒スプレーで落書きされた文字は、こう読める。
「HONTE(恥)」
一連の作品は「Les couples de la République(共和国のカップルたち)」と題されている。上に挙げた他にも、様々なカップルが写された写真シリーズである。
暖炉の前で寄り添って眠る女性ふたり。
ブロンドの妊婦の大きなお腹に、微笑みながら耳を寄せる黒人女性。
赤ちゃんを抱っこした男性を、やさしく包み込むように腕を回す白髪交じりの男性……。
こうした写真のすべてが、壊され、落書きされた。
唯一無事だった写真は、寄り添う男女カップルを写したものだったという。
自分の作ったものが壊されるというのは、それだけで気分の悪いことだろうと思う。
作者ともモデルとも関係のない私ですら、壊された写真パネルを見た時には涙ぐんでしまった。
どういう神経をしていたら、よその家族写真の、しかも赤ちゃんのところに穴を開けるなんてことができるんだろう。
どうして犯人たちは、きちんと筋道立てて自分の意見を述べるのではなく、落書きや器物破損という行為に走ってしまったんだろう。
彼らの行為への不快感はあるものの、すこし遅れてこうも感じた。「自分の意見を表明できず、こそこそ夜に落書きするしかないような薄暗い場所へ、私は誰かを追い込んではいないだろうか」
それにしても、この写真を見て、すでに同性カップルに育てられている子どもたちはいったい何を思うんだろう——。
この事件を受けた作者の行動が、また、アーティストらしいものだった。
作者のオリヴィエ・シアパ氏が選んだのは、この事件それ自体を作品の一部としてしまうことだった。壊され、落書きされた写真作品を、彼はまた写真に撮り、ネット上にアップロードした。
12万人以上が「いいね!」する彼の公式facebookページを経て、写真はまたたく間に拡散されていった。「フランスの現状を知ってもらおう」とか、「同性愛嫌悪に屈しないという気持ちを表明しよう」といったコメントつきで。
そのあとのことだった。
12月8日、屋外展示されていた作品群が、何者かによって勝手に撤去されているのを発見されたのは。
今、トゥールーズでは3度目の展示会が準備されている。
1度目、写真パネルは割られ、落書きされた。
2度目、写真パネルは勝手に撤去された。
3度目の展示会も、また同じ場所で準備されている。
作品が割られ、落書きされ、勝手に撤去されたその場所で。
展示再開を待つ今、オリヴィエ・シアパ氏は作品をfacebookページに投稿しつづけている。単純に同性カップルと異性カップルを並べるだけでなく、単身で子育てをする人や、並んで車いすに乗り微笑みあう人なども含めて。また、俳優・アスリート・政治家といった著名人たちに同性カップルの姿を演じてもらう「Les couples imaginaires(想像上のカップルたち)」シリーズも公開された。
現実世界に公開された作品は、割られ、落書きされ、撤去されてしまった。
けれどネットに公開された作品は、けなそうがクソコラにしようが拡散されていく。
同性カップルの姿を写した写真に、何千もの「いいね!」がついていくのを眺めながら、私は、なんだか、「はぁ~あ」と思う。お茶を飲む。背中がかゆい。つまりは生きている。ただ生きているだけなんだけれど。
「いいね!」
「いいね!」
「死ね」
「いいね!」
これら全部をひとまず画面の向こうに置いておけるのは、いわば、便利だ。便利ですてきなインターネット。
私は原稿を書き終え、メール添付で編集さんに送る。伸びをする。パソコンを閉じる。夕食を食べ歯を磨き、妻と一緒にベッドに入る。
「いいね!」
「いいね!」
「いいね!」
「いいね!」
私が眠っている間も、写真は拡散されていくのだろう。
もちろん、あなたが眠っている間も。
安全な場所からものを言うことは、なんて、便利なんだろう。
犯人は夜に隠れて作品を壊し、いまだ逃げ続けている。作品を勝手に撤去したのと同一人物なのかどうかも、まだ、わかっていない。
「若者グループだった」「キリスト教信者らしい」と、いかにもそれらしい目撃情報がメディアを飛び交う(参考:itele)。「これだから若者は」「やっぱり宗教ってクソだな」と、叩きたいものを叩きたいように叩く匿名コメントがあふれかえる。
「差別との戦いは終わらない!」
「事件をみんなに知ってほしい!」
拡散希望の正義を前に、私はどうすればいいのかわからない。黒豆ほうじ茶を一口飲んで、スマホの画面を袖で拭いてみたりする。
画面を消す。
スマホをベッドに放る。
私はたぶん、話したいんだと思う。
なのにどうして、私は画面を見ていられないんだろう? 何千いいね!ぶんの人の群れに、私は、どうしようもなく寂しくなってしまう。どうすればいいんだろう。この人たちは誰だろう。「同性愛者のために戦ってくれてありがとう!」とでも言うべきだろうか?
笑ってみる。
頭の中で、ありがとう、と言ってみる。
言葉は透明な液晶の壁に、こつん、とぶつかって私にだけ跳ねかえる。
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