ぼくは制作の舞台裏の話が好きで、メイキング映像などを好んで見る。だから、自分で何か作ったときに意図や過程をこの日記に書くことがよくあるし、他の人の制作にまつわる話を取材して、それを同人誌に載せたりしてきた。「結果」と同じくらい「過程」を大事にする傾向にある。
一方で、過程はどうでもよくて、成果物は結果がすべてである、という考え方も、あるにはある。ぼくはそれは、片方の立場しか考えなければそういう意見になると思っている。つまり、口を開けてコンテンツを待っているだけでよければ、過程がどうであっても影響がないので、気にしないと思う。そうでないなら、受け手と作り手の双方の立場を考える必要がある。
作り手であれば、よい成果を出すにはよい過程を学ぶのが一番よいと考えるはずである。めちゃくちゃな過程で、例えば効率の悪い方法とか、破滅的なスケジュールで完成させたとすれば、受け手はどうでもいいかもしれないけど、それに関わった作り手は幸せだったとは言い切れない。プロジェクトは往々にしてそうなりがちではあるが、そうならないようにマネージャがいるわけで、そうならないような努力はすべきだと思う。話がずれてきた。
要は、三方良しという話で、真によいものとは、ステークホルダー皆がよいと思えるものであると思う。もし、自分のすごく好きな作品が、それを作った人たちはもうそれに関わりたくないと思っているとかだったら、好きになってよいのかわからなくなる。それに、そもそも作り手だの受け手だのという分類がすでに古い気もするし、作り手はインターネットを介せば案外近いところにいるわけで、雲の上の出来事ではない。隣人が、つまり、作ってる人が、すごく楽しそうに語っていれば、単純に楽しい気持ちがするし、楽しそうな作品なんだろうとか、誇りを持てる仕事なんだろうとか想像ができる。
過程には、そういう、仲間じゃん感を醸成できる力があると思っていて、これが、過程を公開する理由である。