何度か記事にもしてるけれど、私は、命を大事にとか、食べるなんて可哀想とか、そういう理由で肉食反対を人に押し付けてくる人が嫌いだし、お肉を食べないことで、命を大事にしているつもりになっている人も、お肉を食べてる人を見下してる人も嫌い。
ハッキリ言って、反吐が出るほど嫌い。
地球上の生き物が生きるためには、自分以外の命を犠牲にするとは必要不可避だ。
自分が生きるために、他の生き物の命を奪っているわけだから、罪悪感のような感情を持って当然だと思う。
ライオンがシマウマを捕まえる映像を見れば『可哀想』と思うし
自分が食べるニワトリが目の前でさばかれるのを見るのは辛い。
NHKのEテレ『Lets天才テレビくん』という子供番組で、牧場体験をするという内容の放送があったときのこと。
牧場のヤギやヒツジと触れ合ったあと、ジンギスカンを食べるというシーンがあった。
その時、番組レギュラーの小学校低学年くらいの男の子が、子羊のお肉を食べながらポロポロと涙をこぼした。
自分が触れ合った可愛い子羊と、自分が食べているお肉がリンクしたのだ。
すごく大事な感情だと思う。
罪悪感を感じるからこそ、自分を生かしてくれている命に、ごめんね、ありがとうと感謝する気持ちも生まれる。
可哀想だから食べない?
可哀想だから動物を食べない私は優しい人間?
それ、罪悪感を感じることから逃れたいだけじゃないの?
自分のために犠牲になった命と向き合うのをやめただけじゃないの?
2つの動画を貼ります。
1つ目は『豹の目』というドキュメンタリー映像の抜粋。
ヒョウなどの肉食動物の狩りの成功率は2割と言われていて、8割は失敗する。
だからトラやライオンなどの肉食動物は、普段、なるべくカロリーを消費しないようにだらだらと寝転がって過ごすし、そして狩りをするのは1~2週間に1回、ものすごく空腹なときだけだそうだ。
動画の中で、メスのヒョウは、自分が狩ったヒヒに、小さな赤ちゃんのヒヒがくっついていることに気づく。
空腹のはずのヒョウは、獲物のヒヒを木の上に上げ(獲物を木の上に上げるのはヒョウの習性)、そして赤ちゃんヒヒも木の上に上げ、その小さな命と、一晩、寄り添って過ごす。
この動画にはないが、結局この赤ちゃんヒヒは翌朝、寒さで死んでしまったのだそう。
メスのヒョウは、赤ちゃんヒヒが死んだあと、獲物のヒヒを食べ始めたそうだ。
2つ目はインパラの子を狩るヒョウ。
1度は捕まえて木の上に上げたはずのインパラの子が逃げ出してしまい、ヒョウは慌てて追いかける。
が、なぜかふと逃げるのをやめたインパラの子を、ヒョウは捕まえるのを躊躇する。
とても空腹のはずなのに。
遠くには、たぶんその子の母親であろうインパラが、心配そうに見つめる姿も見える。
そんな母親を振り返るヒョウ。
インパラの子を逃がしてしまったら、次の狩りは失敗してしまうかもしれない。
そのうち体力がなくなり、もしかしたらそのまま餓死してしまう可能性だってある。
実際、肉食動物が狩りを成功させられないまま、餓死してしまうことは珍しいことではないのだ。
このふたつの動画のヒョウが、どんな思いでこのような行動をとったのか、本当のところはわからない。
でも。
スーパーでお肉を買う私たちが忘れてしまっている、生きるということの罪を、だからこそ命の尊さを、彼らは知っているような気がしてならない。
お肉を食べるのをやめても、他の命を犠牲にして生きている罪から逃れることなんてできない。
すべてがオートマ化された現代社会の中で生きる私たちは、その罪から一生目をそむけ、目をつぶり、見ないで生きていくこともできる。
でも私は、これからも、その罪を感じて、自分や、自分以外の命と向き合って、生きていきたいと思います。
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