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世界初を目指すことの大切さを心に留めてほしい=<寄稿>川口淳一郎シニアフェロー

JAXAの川口淳一郎シニアフェロー=梅村直承撮影

 小惑星探査機「はやぶさ2」が3日に地球スイングバイを実施し、目的地の小惑星リュウグウへ向かう宇宙の大海原へこぎだした。初号機「はやぶさ」のプロジェクトマネジャーを務めた川口淳一郎・宇宙航空研究開発機構(JAXA)シニアフェローが、はやぶさの「遺産」を踏まえ、リュウグウまで2年半に及ぶ本格的な旅をスタートしたはやぶさ2の意義について毎日新聞にコメントを寄せた。

子どもたちが世界を築いていく、それが宝物

 はやぶさ2がスイングバイを迎えた。それが、はやぶさの2回目の着陸の10周年の直後というのも感慨深い=(注1)。はやぶさ2の機会を残せたことは、感謝に堪えない=(注2)。はやぶさ2は「2(番手)」ではない。そう言わせていただいている。これが本番1番機だからだ。「2」を担うチームは大変だ。別に簡単になったわけじゃない。できて当然だと思ってほしくない。

 人材の育成は環境の提供があってこそ。習わせても人材は育つものではない。はやぶさ2の目的は、環境を提供することでもある。世界中を沸かせた欧州宇宙機関の彗星(すいせい)探査機「ロゼッタ」は片道飛行だ=(注3)。見た光景は新鮮だったが、探査という面では旧式だ。はやぶさは、往復しなくてはいけなかったからこそ新型のイオンエンジンを搭載した(注4)。目的はあくまで往復飛行だった。

 「はやぶさができたのだから」、そう自信を持ってほしい。はやぶさ2だけではない。あらゆる分野でも、それがプライドになっていく。それが、やれる理由、やれなくてはと思う理由につながる。

 世界初を目指すことの大切さを心に留めてほしい。はやぶさ、はやぶさ2は、今も世界から追われる。でも追われ続けるよう努力していかなくてはならない。

 コピーではないオリジナルの発揮ができること。それが一目置かれる存在になり、侮られない国へと導いていく。経済、政治は相対的なプロセスで、本質的に不安定なもの。リーダーのいない編隊のようなもの。いずれ、窮して覇権へと向かう。目先に視点が止まりがち。ノーベル賞へ向かうレールはあるはずもないし、トップダウンでの創造など存在しない。真の安全保障とは何か。答えは、言わば自らの中にある。

 小さな子どもたちが、今でも応援してくれる。「未来のはやぶさ」を担うかもしれない候補たち。宇宙かどうかよりも、いかなる分野においても「やらなくては」と思わせることにつながるとしたら……それはできるのか? 確実にできる。(はやぶさのイトカワ着陸からの)10年は、小学生が大学を卒業するに十分な時間だ。子どもたちが、国を、世界を築いていく。これこそが、何よりの、はやぶさの宝ではないだろうか。

■かわぐち・じゅんいちろう 宇宙航空研究開発機構シニアフェロー、宇宙科学研究所教授。1955年青森県生まれ。83年、東京大大学院博士課程修了後、旧文部省宇宙科学研究所助手。2000年、同教授。多くの科学衛星ミッションに携わり、03年に打ち上げられた小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトマネジャーを務めた。

(注1)=2003年5月に打ち上げられたはやぶさは、2005年9月に小惑星イトカワに到着。同年11月、2度の着陸を試みた。当初、「着陸と表面物質の採取に計画通り成功した」と思われた2回目の着陸は、同年11月26日に実施されたが、はやぶさはその後、深刻なトラブルを起こし、地球帰還を3年延期することになった。

(注2)=はやぶさ2は2006年に計画が提案されたが、なかなか予算がつかず、何度も開発断念の危機に直面した。はやぶさの地球帰還を受け、ようやく政府は開発・打ち上げに正式なゴーサインを出した。

(注3)=ロゼッタは2004年3月に打ち上げられ、14年8月にチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星に到着した。チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の不思議な姿は世界を驚かせた。同年11月に着陸機フィラエを投下し、フィラエは彗星に着陸した世界初の探査機となった。

(注4)=イオンエンジンは、はやぶさの主エンジン。イオン化したキセノンガスを強力な電場で加速し、高速で噴射することによって推進力を得る。化学燃料を噴射するエンジンに比べると推進力はかなり小さいが、化学エンジンよりも少ない燃料で長時間運転が可能。連続運転によって十分な加速を得ることができる。はやぶさ2では初号機より推進力を25%アップした。

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