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ゆるふわいずむ

読書と文房具のファンブログ。

DQ5のスライムはLV99で「しゃくねつのほのお」を覚える。

本と日常

自分の中で大器晩成型っていうと、スライムの「スラリン」が浮かびます。

DQ5で主人公の仲間になってくれるモンスター。初期から仲間になって、素早さ高めで補助魔法も覚えるけれど、力が低く耐性もない。LV1でHP8ですからね、一撃でやられます。強い仲間が加入すれば途端に活躍の機会が奪われる、そんなモンスターです。

でもスラリン、レベル上限が厳しい仲間モンスターの中ではしっかりLV99まで育つし、LV77で「めいそう」、LV99で「しゃくねつのほのお」と強力な技を覚えるんですよ。「しゃくねつのほのお」なんてMP不要で敵全体に約150のダメージです、強い。遅咲きではあってもちゃんと最後まで戦えるキャラなんです。

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他の強い仲間をルイーダの酒場(戦力外通告)に送っても、スラリンは最後まで外さずに冒険しました。

だって、なんかいいと思いません?取り柄のない最弱モンスターが、人間の主人公の仲間になって、旅の途中には天空城も暗黒世界も訪れる。最後、魔王的存在とも渡り合える力まで手に入れる。燃えずにはいられません。

漫画の『ダイの大冒険』が好きなんですが、竜族の血を引く少年やお姫様とか”誇れる背景を持った”面子の中で、武器屋の息子が「自分は特別じゃない、だからしょうがない」てうじうじ悩むんですよ。でも、数多の冒険を経た最後のラスボス戦、仲間たちが絶望で膝折った時、その武器屋の息子が諦めず立ち上がるんです。そのシーン、読む度うるっとくるんですがスラリンの冒険はそれにちょっと似てる。

特別な存在意義が与えられなかった誰かが、努力や根性で這い上がって、届くと思ってもいなかった領域に辿り着くの、すごく胸締めつけるなと。だってスラリン、LV上げればドラゴンだって相手しちゃいますからね。

...なんて言いつつも、裏ワザでレベル上げしないとLV99まで上げるの大変だし、かといってレベルストップした仲間を連れまわすのは経験値の無駄遣いで、使いどころは難しいんですけど。でもその複雑さも、人生だなぁと思う。

 

スラリン、仲間になった当初は弱くて、「最後は強くなる」と知るからこそ育てようと思える仲間モンスターなのかもしれません。ではもし、強くなると知らなかったらどうしたんでしょうか、子供の頃の自分。

思い入れ補正だけで最後までちゃんと仲間でいれたかな。ゲームだからと割り切って、ステータス有用でなければ切り捨てたかな。実際は強くなると知ってたし、ニワトリが先か卵が先かみたいな不毛な思考なんですけれども。

DQ6でもモンスターを仲間にすることは出来て、でもDQ6の主人公たちは職業としてモンスターを使役するので、モンスターに愛着とか考えなかったんですよ。DQ6ならきっと、ステータスだけで外せる。振り返ってもスラリンをDQ6で「使ってた」記憶はありませんし。

 

レゾンデートル(存在理由)、とまで言うと大げさですが、子供の自分はDQ5のスラリンに、そういうものをちょっと感じてた気がします。

オラクルベリーの街周辺で最弱モンスターとして生まれ育ったスライムが、ある日戦闘で負かされたDQ5主人公に「この人だ!」と着いてくことを決め、最後までその旅を見届ける(一度主人公石化して野生化したりもしますが)。

どこまでも平凡だったスライムが、存在すら知らなかったであろう天空城にも暗黒世界にもお供するんです。そしてちゃんと、主人公の力になる。もしかしたら主人公に、人間の仲間の誰よりも長く寄り添うかもしれない。そんな物語がDQ5の中でひっそりあったとしたら、それってなんだか素敵じゃありません?

 

というかDQ5自体、主人公って勇者じゃありませんし。勇者の父親というポジション。勇者の物語として書かれるのであれば、前日譚とかでおまけ扱いされたかもしれない立ち位置です。失踪した父親を探す勇者の物語(あれそれDQ3?)の脇役にされてもおかしくない。

でも、主人公なんです。DQ5は、勇者ではない主人公の目線で物語が進んでいく。メタなことを言えば、勇者の息子をルイーダの酒場に預けたままでもゲームクリア出来ますし。

特別な存在意義を与えられないDQ5の主人公(それなりに特殊な生まれではあるものの)やスラリンに、長い冒険の物語が成立して、思いがけない場所まで辿り着りつくの、胸にくるものがあるなと。

存外、大器晩成な人生はどこにでも転がってるのかもしれなくて。現時点で自分に特別な存在意義みたいなものを見出せなくても、自分の道っぽいところを歩き続けるのも良いんじゃないかなという、ポエミーな文章でした。〆。

 

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