僕には他人に見せられる自分がない。
他人に自分の本心を見せることができないのだ。
表面上は愛想がよく、まるで営業マンのように明るく振舞うが、そこに僕の本心はない。
「Alfってどこかよそよそしい感じがするんだよね。イイヤツなんだけどな」と言われたことさえある。
よく街中では、恋人同士がじゃれ合っているのを見かける。
つっつき合ったり、男の方が女の髪をぐしゃぐしゃとやって頬を膨らませる女の子。
「ちょ、やめてよ!」
「アハハ、うるせー」
とかそんな感じ。
僕にはそれができない。
これまで付き合ってきた女性とはもちろん、一般的な男女が行うであろう営みを一通り行ってきた。
しかし、じゃれあって互いに思いっきり腹が痛くなるまで笑ったりしたことはない。
いつもどこか紳士であり、常に社長や役員でも接待しているかのように接している。
だから、僕は一般的な営みしか育んだことがない。
そこから一歩踏み出して、一般的でない行為を行えるだけの関係を築けないのだ。
僕には愛情表現的な”何か”ができなかった。
だから当時付き合った彼女からはよく浮気を疑われた。
どこか一歩引いたところで人を見ていて、上から目線でどういう人か見定める。
そして「あの人はあんなこと言ってるけど、本当はこういう人だ」と自分の中で決め付けている。
それが見透かされた気がした。
決して見下したいわけじゃないんだ、ただ僕は本当の自分を知られたくない、だから警戒してる。
僕はお育ちの良い出自であり、人前ではお行儀よく上品にしてしていなければならない。恥をかくようなことはしてはだめだ、と教えられて育ってきた。
表面上いいとされている人になろうとしていた僕は誰とでも愛想よく話せる技術だけは長けていた。そのため、よく人に「あなたってすごく人が(性格)よいよね、メンタル強そうだね」と言われる。
しかし、実際はそんなわけない。違うんだ
本当の僕はメンタルも弱いし、人に本当の意味での気持ちを伝えることができない。
気遣いらしいなにかをしているだけ。
ただ愛想よくしゃべったりすることで本当の自分を隠して、ただ傷つきたくなかっただけなんだ。拒絶されたくない、失望されてしまうんじゃないかって。
そうやってこれまで僕は自分に嘘をついて生きてきた。
小さい頃はそんなことなかったのにどうしてこんなことになってしまったんだろう。
思い当たる節はいくつかある。
小学生の時に、ある日突然仲のよかった友達から「これから登下校を一緒にするのやめよう」と急に絶交を言い渡されたことがある。その後1、2年後に何事も無かったかのように彼は戻ってきた。
男同士でも嫉妬で関係を引き裂かれるということを何度か経験した。
わけがわからなかった。
その時のトラウマか、失恋からなのか、今の僕という人格が形成された要因があったのだと思う。
そんなことだから、学生の時告白をされたり、相手から自分に深い関係を持とうと近づいてくる人のことはことごとく拒んだ。
だってあなたが見ている僕は幻想なんだから、僕じゃないんだよ。
だからアクションを起こすのは基本的に自分から。
ここぞという所で本当の自分を見せなければいけなかった。
けどそのうちどっちが本当の自分なのかわからなくなってきて、表面的な自分を演じて人と付き合いだした。
最低だ。
偽りの僕は基本的にはまっすぐいく。
素直で、嘘はつかない本当のことを言う、そうすることで相手に信用してもらう。
偽りの僕はあまり否定しない。
強い発言はせず、誰からも好かれようとした八方美人のなりそこないであり、どの顔も全く同じ愛想のよさそうな顔をした阿修羅像だ。
偽りの僕という嘘を隠し続けるために。まるで詐欺師だ。
本当の僕はそんな人間ではない。
人並みに人に言えぬ性癖を持ち、理不尽に怒ったり、暴言だって吐く。
けれど年齢が重なるにつれ演じるのもだんだん苦しくなってくる。
なぜなら年齢がかさむごとに周りも色んな経験を積んでいるからだ。
すぐに見透かされてしまう。
僕と対極的であろう「自分を表に出して相性が悪くて去っていく人はそれでいいと考え、来るもの拒まず自然と人が集まってくるような人」は羨ましかった。
けれど、僕自身がそんなことできるメンタルを持っているわけでもない。
僕は人を集めるだけ集めといてその中で親密になりたいと思ってやってきた人を断絶してしまう。
恋愛でもそうだ、気を引き付けるだけひきつけ相手がその気になったら怖くなって拒否してしまう。
しかし、今思い返せば僕は友達は少ないほうだけど、本当の自分をさらけ出せた人だけには何処にいようが飛んでいけるような深い関係が築けていた。
自分を知って自分の気持ちに正直に体現することの大切さ。
このことにもっと早くから気づいていれば人生も違ったものになっていたのかもしれない。
そしてこんな当たり前のことに気づけた時、自分を変えるチャンスなんだと思った。