つい最近、「僕が宮森はやとをdisる理由」というタイトルのブログをかかれました。
イケダハヤト氏の劣化版みたいで応援する気になれない
その内容のブログには、
僕はこの、宮森はやとさんをどうしても応援する気にはなれないんですよ。どうしてか?って聞かれて適切な答えを返すことができないんですが、とにかく応援する気にはなれない。
どうして宮森さんに対して僕がイライラしているのかと考えると、その答えは、「彼が唯一無二の存在になろうとしていないから」「結局、彼がたどり着こうとしているのはイケダハヤトさんの劣化版でしかないから」なのではないかと僕は考えています。
とりあえず、ぼくのことをどうしても応援する気になれなくて、その理由として「ぼくがイケダさんの劣化版みたいで、オリジナルな存在になろうとしていないから」ということだそうです。
ぼくはもうdisられることに慣れてますし、イケダさんと似てるとよく言われるので、その点に関しては、その人たちの判断に任せます。
ただ、わざわざ自分の時間を割いてまで赤の他人をdisって意味あるんですかね?
他人をdisってる間は自分の夢も実現しないよ
赤の他人をdisるってことは周囲に関心がいきがちってことですから、自分のやるべきことに集中できていないんですよね。
ブログ主さんはもっと自分のことに集中した方がよろしいです。
あなたは他人に勝手にイライラして精神を自分で勝手に消耗させてるんですよ。
このブログ主さんにも夢があるそうです。
1若くて美人の彼女をつくる
2 電撃文庫からライトノベルを出版する
3 自身の書いたライトノベルがアニメ化する
4 ジムに通えるほどの経済力を身につけて、強い肉体を手にいれる。
5 整形をして口元を整える
いいじゃないですか!
このような夢があるなら、ぼくみたいな会ったこともない人間のことブログに取り上げなくとも、その夢を実現できるような稼げるブログをかきましょう。
もしくは、ブログで稼ぐつもりがないなら他の仕事で夢の実現に向けて行動してください。
赤の他人をdisってもただ周囲を不快にするだけで、何も生まれないですからね。
ちなみにぼくもdisりたくなる時なんて多々ありますが、その場合は個人ではなく「社会」に向けてdisってます。
個人をdisってもただの誹謗中傷になってしまいますが、社会をdisればそれは問題提起のある価値ある記事になりますので。
他人を応援したら、自分の夢を実現できる可能性も上がる
せっかく誰かに向けてブログをかくなら、その人を応援するブログをかいたらいいです。
他人を応援することで、自分の夢を実現する可能性が上がりますから。
この手の記事をぼくは最近、けっこうかいてます。
誰かを応援するブログをかくことで、自分もその人に応援されたり、別の誰かに応援されるようになるんですよ。
これはもう社会のシステムで、「因果応報」ってヤツですね。
「他人をdisれば、自分もdisられる。他人を応援すれば、自分も応援される。」
ぼくは自分が極力応援されたいので、他人を応援するブログをかくんです。
ぼくは誰かに対してブログをかく時に「その人を有名にしてやる!」という気持ちでブログかいてますから。
仕事の本質は社会貢献です。
社会にとって役立つブログや、問題提起のある記事、誰かを元気付けるようなブログをかいた方が世間にとっても、自分にとってもメリットが大きいのです。
他人をdisっても罪悪感で自分を消耗させるだけです。その時間を自分の好きな誰かを応援する時間に変えましょう。
そっちの方が自分にとっても相手にとっても生産的ですよ。
ぜひ自分の夢を叶える確率を高める行動をとってくださいませ。
まだ他人をdisって消耗してるの?
わっしょい!