オタクをやめた。
約3年間。追いかけてきた時期で言うと約2年半熱中していたが、オタクをやめた。
まずここに記さなくてはならないことは、〈わたしは2年半たしかになによりもいちばん好きだった〉ということと、〈今でもそのグループを好きだ〉ということである。
若手俳優が好きだったわたしだが、そのジャンルの友人からこのグループについて教えられまんまとハマった。みんなが話題にしてるからちょっと見てみよう、くらいの気持ちで見てしまうとどっぷりハマってしまうタイプだということをそのときのわたしはすっかり忘れていた。
2013年春。本格的にハマりはじめた頃、ニューシングル発売のリリースイベントがはじまろうとしていた。わたしはなかなかの地方在住なため、その頃彼らのライブを見るためには〈遠征〉をしなければならなかった。遠征自体は若手俳優のオタクの頃からちょくちょくしていたため何の抵抗もなく、同じ場所に住んでいる友人と共に遠征することを決めた。このときのわたしは「たまに会いに行ければいいかな」程度の気持ちだったと思う。
当時わたしは自分の推しに対し俗にいう〈盲目〉だった。かわいいかっこいい美しい好き以外の感情を失い、いま冷静に見てみるとなにもかっこよくない自撮りを見て「はぁ、好き」と言えるタイプだった(そう思えることがいちばん幸せだということをこの頃のわたしは知らない)
そしてそんなわたしの初現場。リハーサルで踊る彼を見て泣いていた。美しさ、かっこよさ、感動、その感情を超えたのは〈見たくない〉というこの目で彼をとらえるまで感じなかった思いだった。あれだけ推しに会いたかったわたしだが、〈会いたい〉と同時に「彼はこの世に存在していないのではないだろうか」という、彼を目にするまで抱えていたサイコーに頭の悪い感情が原因だったようだ。
そしてそんな思いを片付けたところでライブがはじまった。わたしたちはライブを見るのにステージから遠いところを選んだ。ただ彼らを見れればそれだけでよかった、本当に幸せな時間だった。だってやっぱり彼は存在して、そこで美しく舞っていたのだから。
ライブが終わり余韻に浸る間もなく、特典会がはじまろうとしていた。人生初のCD複数購入を前に、わたしの脳裏に実家の父と母の顔がよぎった。ごめんなさい。お父さんにもらったお小遣いでわたし、推しと写真を撮るためにCDを3枚買います。くじもやりたいのでもう2枚買います。みんなとグループショットも撮りたいのでもう2枚買います。今日だけだから許してください。
はじめてのサインのため名乗ると、コメントのことや手紙のことなどしっかり覚えてくれていたらしく、たくさんの言葉が返ってきた。どこから来たか話すと「絶対行くから、○○のために行くから待っててね」とやさしく言葉をかけてくれた。言ってしまえば〈テンプレ対応〉なのかもしれないが、その頃のわたしには十分だった。
そして最後にツーショットを撮って帰途に着いた。触れた右手と髪から知らない男のにおいがした。
こうして初現場が終わり、翌日の単独イベントも感想は「最高の気分だ────」の一点張りで彼らとすごしたはじめての週末が終わった。これで終わっていたらわたしはきっと2年半をああやって過ごすことはなかっただろう。
その次の週末。土曜、日曜と別所でリリースイベントが続いた。
土曜日、CDは同行してくれた若手俳優オタク時代からの友人の整理券も確保するため4枚買った。特典券はツーショットのための3枚でよかったので1枚は友人を握手に行かせた。結果、彼女もハマった。
次の日の出来事だった。1部が終わり、わたしはサインのため列に並んでいた。メンバーごとの整列の前のオタク大集合ランダム整列のとき、彼がこちらに手を振っていた。当時わたしはとてもかわいいファンだったため、「手振ってるのもかわいいな~」と思いながらもやはり誰になのか少し気になりまわりをチラチラと確認した。すると彼はこちらに指をさした。やはりわたしはとてもかわいいファンだったため、「誰かのおかげで指をさされた気分になった」と喜んでいた。
10分ほど後、自分の番がやってきた。すると彼は、「待ってた!○○だよね!」とわたしの手を掴み、「さっき手振ったのわかった?」と言ってきた。昨日声が出なかったこと、先週話したわたしの住んでいる場所のこと、彼はすべて覚えていてそれを当たり前のようにつらつらと話していた。
それはわたしが一番恐れていた、〈認知〉というものだった。〈盲目〉だったわたしはそれと同時に〈推しに覚えられたくない〉という気持ちを抱いていたからである。
それでもわたしはツーショットを撮るため軽卒にもCDを買い足していた。買い足した表面上の理由とはまた別に理由がないとは言えない。おそらくこの日、わたしはいろんな状況が作用し無意識にもファンからオタクへの道を歩み始めたのだと思う。
そしてやはり〈認知〉というのは大変恐ろしいもので。この2文字こそわたしを2年半、いや、1年半ほどこっそりと苦しめてきたそのものであった。
CDのフラゲ日に地元に戻ったわたしは、家に届いたCDをそっと隠した。母親に「たくさん買ってしまった」と告白したら「○○が楽しいならいいのよ」と、一緒に初回限定盤のDVDを見た。わたしはこの人たちに会ったのか、とまだ夢見心地だった。内容は微妙だった。
その数日後、「リリースイベント追加決定!」というツイートがTwitterのタイムラインを騒がせた。イベント10日前のあまりにも急な発表であった。わたしは発表1時間後、交通手段を確保していた。CDは11枚買った。
それから2013年末までまでわたしはオタク活動を謳歌した。ただ彼が、彼らが好きという気持ちだけでわたしは地方から毎月ひたすら遠征を続け、CDを買い続けた。推しがセンターのシングルの購入枚数は裕に100枚を超えた。ライブに行き毎回レスをもらい喜び、接触で推しとたのしく会話できて、いま思い出しても2013年は最高以外のなんでもなかった。
2014年、事件は起こった。匿名掲示板で叩かれはじめたのだ。
「ブス」わかる。「性格悪い」わかる。「推されアピールがひどい」わからなかった。
2013年夏から秋、わたしはそこそこCDを買った。特典会のループも多く、最後まで残り所謂〈鍵閉め〉をすることが多かった。それが目立ってしまうのはわかるため叩かれる可能性は無きにしもあらずだとは思っていたが、叩かれ方の意味がわからなかった。
まず、わたしは自分を推されだと思ったことがなかった。オタクというのは基本的に〈対アイドル〉であり〈対オタク〉ではないと思っていたため、他のオタクの対応等を気にしている余裕もなかった。
「推されアピールがひどい」そう書かれたことでわたしのなかで「わたしが〈推され〉である可能性」が浮上した。わたしはオタクがみんな言われてると思ったことしか不特定多数が見れる場所で書いていなかった。それを見て「推されアピール」だと思う人がいるということは、そういうことだ。
それによってネット以外でなにかあったかと言われると特に何もなく、知らないオタクにじろじろ見られることが増えたくらいだった。遠征する気にはならなかった。
そして、2014年春。上京したわたしに、2年半の中でも重大な事件が二つ立て続けに起きた。
まず、推しを〈1推し〉とすると次に好きなメンバー、〈2推し〉に過剰に構われるようになった。1推しのペンライトを持っているにも関わらず、ライブ中にレスがきたりハイタッチで手を握られるようになったりと(これがわたしのオタク活動に大きな影響を与えたのは2015年になってからだが)それによりわたしは〈推し変〉を考えはじめるようになった。
もう一件について詳しく述べることは難しいが、〈推し変〉ではなく、あらゆる意味で〈彼を推すことをやめる〉ことを考えさせられるような内容の接触が原因だった。
そして夏の最後、わたしははじめて推しに〈干された〉。
この頃、「推しのどこが好きなのか」「このグループの何が好きなのか」を考えてしまうようになっていた。はじめて干されて病んだ。干されたことで嫌いになりそうで病んだ。そしてどうしても答えが出ずに病んだ。オタク特有の病み方だった。ものすごく病んだ。めちゃくちゃに病んだ。現場に行くのを控えることを決めた。
2014年秋、地元で行われるサイン会に行くことにした。推しの第一声は「やっときた」だった。かわいいファンだった時期はとっくに終わってしまっていて、「正直あんまり来る気にならなかった」と言ってしまった。2回目のサインでは彼がひたすらいろいろなことについて謝っていた。重たかった。その次のサインも、最後のサインも、重たかった。彼に覚えられるとこんなに面倒くさいのかと、(心のどこかで自分を気にかけてくれてるのかと喜ぶ自分もいた)いろんな感情がせめぎあっていた。
2014年末。最後の現場にしようという気持ちで行った1年の締めくくりのライブでわたしは彼らを見て久々に号泣した。大きな会場の2階席から見る彼らは今までで1,2を争う小ささだったが煌びやかな演出にも負けない圧倒的オーラで踊っていた。あまりにもかっこよくて、泣いた。謎の不完全燃焼感はあったが、「これからも遠くからでゆっくり彼らを見ていたい」という気持ちでいっぱいになった。
しかしオタクというのはかわいそうな生き物で、そう簡単に応援スタンスを変えることはできなかった。
2015年春。わたしは当たり前のように東名阪ツアーを全通していた。このグループのオタクでは珍しい事ではなかったが、2年オタクをやってはじめての全通だった。「遠くでゆっくり彼らを見ていたい」という年末の気持ちを忘れたわけではないしむしろそうしていたい気持ちは強くなる一方だったが、結局〈モチベ〉が戻るとオタクはこうならざるを得ないのであった。
そしてこの春だった、前述した〈推しではないメンバーに構われる〉がわたしのオタク活動にダイレクトに影響を与えてきた。しかし「こうなった」のは完全にわたしの自己責任であることも忘れない。その春、わたしは2列目どセンターという席で〈1推し〉と〈2推し〉の2色のペンライトを持ってしまった。好奇心だった。〈2推し〉は自分の推しにあからさまにレスをしないという話をいろいろなところで聞いていたため「落ち着くか駄目になるかの2択だ」と、自分のオタク人生最大の賭けになるとも知らずペンライトを振った。最終的な結果として、わたしは負けた。
恐ろしいほどのレスの嵐だった。〈1推し〉からも、〈2推し〉からも。そのときわたしは最高にライブを楽しんでいたが、2年前とはまったく違う楽しみ方であった。純粋にパフォーマンスを楽しめてないことに気付き始めた頃だった。
そこから〈現場〉の楽しさは留まることを知らなかった。楽しい、レスは止まない、友人は最高、大好きな友人と見るライブも最高。春、夏と現場に行く足が止まらなかった。
それだけならよかった、オタクとして最高の環境だろう。しかしわたしの賭けが失敗したおかげでそれだけとはいかなくなった。
2015年夏の終わりまで(わたしが行った最後のライブまでだ)2推しからのレスは相変わらず続いていた。所謂〈固定レス〉まででき、彼を見ないという選択肢がわたしから失われはじめた。1推しからも変わらずレスはくるが、2推しを推した方が、推し変をした方がわたしは幸せなのではないか?と思い始めたのだ。しかし、ここでそれの障害になるのは〈オタク〉と〈認知〉であった。
前述した通り〈対アイドル〉ではなく〈対オタク〉のオタクはとても面倒だ。自分とは関係のないオタクの推し変にまで文句を言い、馬鹿の一つ覚えのごとく掲示板で叩く。叩かれるのはやはり不愉快だった。
そして認知されていると、やりにくい。彼に何百(または千とかそれ以上)のファンがいようと、仮にも認知されていたファンだから…と少し意識してしまうのは自意識過剰だろうか。彼らとの最後の接触となった特典会で1推しから2推しに関し「好きだよね、知ってたよ前から、俺も△△(2推し)」と言われてしまった。両者にはすでにバレているのである。「それならさっさと推し変すればいいのでは」と思うだろうか。わたしもそう思う。しかしわたしはその言葉に、「わたしは推し変しないよ」と返事をした。そして今、そう返事をした彼はわたしの〈1推し〉ではない。
オタクをやめた。
約3年間。追いかけてきた時期で言うと約2年半熱中していた彼のオタクをやめた。
オタクにも推しにも言わず、心の中で推し変を決めた。推し変したことを最初に告げたのは、大学の同期たちだったと思う。講義間の休憩中に「推し変したんだよね」と報告した。誰にも言わないつもりだったが、一人で抱えるのはしんどかった。
年末に、久々のライブが控えている。楽しみだな、どんな感じかな、を超える「彼は、そして彼はわたしを見つけてくれるだろうか。」という気持ち。純粋な楽しみ方は忘れた。なにが好きなのか?魅力は?という質問にわたしは答えることができない。そういった感情は失った。そうでもしないと彼らを推すことができなかった、彼らを推すことをわたしはやめられなかった。
ペンライトは今までと変わらない色を振ろう。推し変してどちらにも干されたら嫌だから。これからもきっとわたしはあの色のペンライトを振り続けるだろう。結局わたしはどうしてもオタクだった。
2013年、わたしはかわいいオタクだった。そして2015年が終わろうとする今も、かわいいオタクである。