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句点の音色

るそーちゃんのかわいいブログ

親父の遺したストロベリー・パニック

 昨日、こんなツイートをした。

  

 ストロベリー・パニックは『電撃G's magazine』(メディアワークス)に2003年から2005年まで連載されていた読者参加型の企画で、寄宿舎を同じくする三校の名門女子校における少女同士の触れ合いを描く、いわゆる『百合もの』の作品だ。興味のある人は調べてほしい。公野櫻子先生は巨大な存在だ。とはいえ今触れたいのはその内容についてではない。話を続けよう。

 先日、寓居の部屋を掃除した。身の回りの事もある程度落ち着いたので少し早めの大掃除と洒落込んだというわけだ。その最中に大量の段ボール群を見つけた。どうやら私の父であった人の物らしい。特に理由はなかったが、何か面白いものでも見つかると良いと思って、それらを開けてみることにした。

 ツイートでは「遺した」と語ったが、彼は死んだわけではなかった──少なくとも私の知る範囲では。彼は私が五歳になるころに蒸発をした。私の母である人はその頃すでに彼との不和から心を病み、私の世話はもっぱら彼の愛人にまかされていた。その愛人というのも入れ代わり立ち代わりするので、私は誰一人として顔を覚えていない。更に言えばその愛人たちと同じように、彼についても顔を覚えていないのだった。

 子供と大人の身長には絶対的な差がある。だから親子の顔が同じ高さにあるという事はありえなくて、親は子の顔を覚えられないし子は親の顔を覚えられないのだと思う。写真を撮ってそれを見返すような、そんな習慣があるのなら別にして。

 彼はミュージシャンだった。家の二階にはドラムやギターが置いてあった。彼がそれらを演奏している所を見たことはなかった。本当はミュージシャンでもなんでもなく、ただフリをしていただけの瘋癲だったのかもしれない。

 彼についての唯一確かな記憶は、彼とその愛人と行った大阪への旅行の時のことだ。深夜、ビジネスホテルのツインベッドルームで尿意に目覚めた私は、もう一つのベッドの上、密やかに蠢く布団を目にした。私にとっての彼とはそのように「対岸で」「隠されている」ものだった。ふと、これを書きながら気付いた。そういえば私は彼の名をも知らない。母である人に尋ねればすぐにわかるようなそれをさえ、私は知らなかった。

 前置きが長い。構成も推敲もせずにものを書くからこういうことになる。悪い癖だと思う。文章のみでなく、筋道立てて物事を考えるということができないから日常生活にも支障をきたす。話がまた逸れた。

 私は上に書いたようなことを考えながら、段ボールを紐解いていった。驚くほどにあっけなくそれは解けた。中には大量の民族衣装や祭具、なんだかわからない人形、懐中時計、ベントアップルのブライヤーパイプ、万華鏡、ビー玉、そしてストロベリー・パニックPS2)が入っていた。私はそれを見て一つの出来事を思い出した。そして「そうか」と言った。

 パラサイト・イヴ瀬名秀明の小説『パラサイト・イヴ』を原作としたTVゲームシリーズだ。主人公であるニューヨークの女性警官「アヤ・ブレア」が超人的異能に目覚め、女優の意識を乗っ取り人類への宣戦布告を行ったネオ・ミトコンドリアの女王「イヴ」に立ち向かうという内容のアクションRPGで、グロテスクな表現や陰鬱な雰囲気、ミトコンドリア共生起源説やリチャード・ドーキンスの利己的遺伝子説に基づく重厚な設定、漫画版ではアヤに女性の恋人が居るなど、嗜癖を拗らせた百合厨にはたまらない作品に仕上がっている。いや、こういう話がしたいわけではない。いや違う。したいけど今書くのはそのことではない。お前を殺せるのは私だけ、って百合なんだよな。

 このようにして私は、彼との触れ合いを思い出した。いや、瞬間に体験した。余りに強烈な想起は、それが過去のことであれ「今、ここで」の私を揺り動かすものだ。

  その瞬間を得ようとも私は彼の顔も名も、思い出すことはできなかった。けれどそれで良いのだ、と直覚をした。今ならわかる。彼は、女の放つ9x19mmパラべラム弾が女を撃ち抜かんと吼え、疾駆するその瞬間と真摯に向き合っていた。彼の膝の上で、私も同じものを見つめていた。彼の言うに従い私もまた「女が女を殺そうとしている」ことと対峙していた。私たちはあの瞬間、互いに顔を突き合わせるのでなく、同じ方を向いて、同じものを見つめていた。抱き合い、温かく寄り添う親子の姿はなかった。私たちは紛れなく、同じ戦場に立つ戦士としてそこに在った。そのことがただ嬉しかった。顔も名も知らない、夫としても大人としても上手に振る舞うことのできなかった不器用な男との、心からの触れ合いがあった。それを今、体験した。

 ふと、頬を伝う涙に気付く。それは拭う間もなくストロベリー・パニックPS2)のパッケージに落ちて、外装フィルムに碁石型の水滴を形作った。涙って百合なんだよな、と思った。涙はどこにも吸い込まれないまま、ただ静謐を湛えていた。だからティッシュで拭いた。どこにも吸い込まれないままに拭い去られる涙って百合なんだよな、と思った。

 ところで「エルダードラゴン」「発達障害」「社会不適合な親子の不器用な交流」あたりの観念を頭の中に放り込んだら『ダイの大冒険』が出力された。そういえば傘でアバンストラッシュをやりすぎて脱臼したこともあった。またこうやって話が逸れる。

 ひと段落して、クローゼットからPS2を取り出した。そのままでは液晶での解像度に難があるらしく、天下のAmazonからD端子ケーブルも注文した。古いPS2は縦置きにするとディスクの取り出し口が上手く開かないので横置きにした。その上にストロベリー・パニックPS2)を置いた。このゲームは27通りのカップリングが楽しめるらしい。彼はどのカップリングを愛したのか。いつか、分かる日がくるのだろうか。そんなことを想う私の頬を、掃除のため開け放った窓から吹き入る初冬の風が撫ぜた。

 彼の名も顔も、私はまだ知らない。