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くらむせかい

 く ら む (メンタルさん)のひとりごとblog

人を、すくえないという事。

Organize thoughts

人は、人をすくえないという事を、

心に留めて置かなければならないと思っています。
 
昔の話です。
自分が初めてブログを始めたのは、
メンヘラとしての居場所が欲しかったからでした。
ODし、腕を切り、痛みや苦しみでしか、
生きる事の辛さを紛らわす術を知らなかったくらむ は、
弱い者のコミュニティに入り、弱さを共鳴し肯定することで、
自分の存在を許されたかったのだと思います。
 
自分にとってブログ自体は、完璧主義や不安や恐怖心の強さから、
始めは苦痛でしかありませんでした。
しかし、やはり気質なのでしょうか、
徐々にですが、ブログを書くという苦痛にさえ、
自傷時のような痛みを覚え、
そしてそれにより、自分が生きている事実から、
逃れられたのです。
依存といえたと思います。
 
そんな中、あるブログに、
高校に通えず、腕を切る子がいました。
自分よりも数ヶ月前からブログを始めていたその子は、
たくさん本を紹介し、
やはり自傷をして、痛々しくも生々しい心を、
こぼしていました。
 
 
TwitterもFBもmixiもやらないくらむ は、
ネット上ですら人とコミュニケーションをとる事が,
怖くてなりませんでした。
どんな言葉をどんな距離感で選べばいいのか、
解らなかったのです。
 
くらむ にとっては唯一の居場所でも、
大多数の人にとってブログは遊びの一つ、
ということも、自分を混乱させ、
勝手に悲しませました。
 
それでもその子に言葉を掛けたかったのは、
その子のギリギリで生きる姿に昔の自分を見て、
今の自分でさえ、重ねてしまったからだと、
思います。
寂しさから、手を伸ばしました。
 
 
 
苦しむその子に、
くらむ は、
 
『逃げていいんだよ』
 
そう、言葉を掛けました。
 
 
それは、その言葉は、
なんの悪意もなかったし、むしろ、
くらむ の気持ちとしては、なによりの、
その子への許しでありすくいであると、
思っての言葉でした。
 
子供は不自由です。
大人になればある意味、自分の命を自分で終らせる手段も、
覚悟も手に出来ますが、
子供というのは、
学校と、家庭にしか、席はなく、
とても、狭い社会でしかし、
深く深く、呑み込まれて生きています。
 
くらむ 自身も、呑み込まれて、
心を壊し、一生消えない履歴書の、一言を、
背負いました。
それでも、今思えば、
命より大切なものなど、ないのです。
 
学力も、コミュニティも、学歴も、
社会で生きる上で大切で取り返しがつかないけれど、
それでも命より優先させるべきものでは、
ないのです。
 
 
悪気はなかった、というのは、言い分けでしかありません。
諭そうとした、くらむ に、その子は、
『自分は、もう、ずっと逃げている』
と答えました。
 
間違ったんだ、そう思いました。
その子は救われたいのではなく、
逆に他の人を救う事で自分を救おうとさえしていたのだと、
気付き思いました。
弱い他人を肯定することで、
同じような状態にある自分自身を許し、
肯定しようとしているくらむ 自身と、
同じだったのだと思いました。
この結論はもちろん、
くらむ の勝手な答えでしかありません。
本当にその子の考えて感じて求めていたことは、誰にも、分かりません。
 
 
初めての、ブログは、
画面一杯に埋め尽くされた自分も人も傷付ける言葉を受けて、
終りました。
 
現実にいじめられたことはいくらでもあるけれど、
ネットに生きていなかった自分は、
ネット上で傷付いたのは、あれが初めてだつたから、
正直、本当に、ショックで、今でもあの画面を覚えています。
 
 
でも、きっとそれは、
あの子の、ありったけの、
分かったふうな顔するな、であり、
たすけて、であり、
悲しくて苦しくてたまらない、という、
叫びであったのだと思います。
これもくらむ が勝手に思っているだけですが。
 
 
あの時と、同じHNでこのブログを、始めました。
もしあの子がどこかで生きていて、
もしたまたまここへたどり着く事があれば、
 
あの時は、思い上がってごめんね、と言いたいし、
元気でね、生きてね、とだけ、伝えられたらと思っています。
 
 
ごめんね。
生きてね。
 
 
 
そう、出来ればでいいんで。
 
 
 
 
 
 
人は人をすくえないという事を、
心に留めて置かなければならないと思っています。
 
自分を殺すのが自分であるのと同じように、
自分を救うのも自分でしかありません。
外部からの助けや攻撃はあっても、
最後に決断するのは自分だから。
 
自分を守るのも、自分でしかないから。
 
 
 
 
 
 
人は人をすくえないのです。
 
ブログの炎上がおき、
それに対する記事が評判になり、
元のブログが返答記事を公開しました。
 
 
 
 
人は人をすくえないけれど、
 

それでも、

人を傷つけるために生きるのは間違ってると、
くらむ は思います。
 
 
単純に、
意図して人を傷付ける事は、
よくないと、思うのです。
 
ましてや、このブログの件は、アクセス数の利害も絡んできて、
ただ、悲しいなと思います。
 
 
 
くらむ は、
 
最初に記事を出した人は、まだ、
内容はボーダーだったかもしれないけれど、
個人の意見を発表しただけであり、
 
批判記事を書いた人は、矢面に立たされた人を、
大多数の意見として自分の言葉を正当化した、
賢い確信犯であると思いました。
 
 

あなたを批判する人が正しいとは思いません。人は誰でも人を傷つけるし、人に傷つけられます。誰が一番悪いの?と、誰か一人を名指しで批判する方が、間違ってる。みんなみんな、冷たいですね。生きてるのに。

 

 

みんな冷たい、そう思います。

人が傷付くのを、笑うのも、収益にするのも、

 悲しいなって、思うのです。

 

それでも、二番目の人が、良くないよと思う自分だって、

『みんな』なのかもしれないと思うと、

悲しくて、恥ずかしいです。

 

 

 

今日も、青空を見上げて、

あの子が昔ブログで紹介していた本を、

いつか必ず読もうと、

思いました。

 

 

誰かが誰かを傷付けて、

それでも世界は終わらずに、

誰かが死んで誰かが生きて、

誰かが許されて誰かが責められる。

 

みんなみんな冷たくて。

 

そんな悲しい世界で、

くらむ のブログを読んでくれる方々には、

感謝しかなく、勝手に希望をもらっています。

 

みんな勝手だし、

だからあの子も、

勝手にでもなんでもいいから、

命だけは手放さないで生きていてくれたら、いいなって、

これまた勝手に思います。

この気持ちが、冷たさじゃない事を、自分だけでも、

信じていようって、思うんです。

 

 

炎上の件(引用は必要ないかと思いましたが自分の記憶の為に残します)

cild.hatenablog.com

 

外資系OLのぐだぐだ

 

 

 

雨の降る日は学校に行かない

雨の降る日は学校に行かない

 

 

 

人をすくえないという事を、心に留めて、

人を傷つけるためにだけ生きる事のないように、

自分を保って生きたいと思いました。

 

 

出来ればね。

 

くらむ