いまや海外140カ国以上で事業を展開する空調のダイキン工業。しかし約20年前までは、国内にビジネスの重点を置いていた。その国内での販売がバブル経済崩壊や冷夏の影響などで危機に瀕していた平成6年、それまでリスクを恐れて避けてきた海外に活路を求めると決断。翌7年から販売のノウハウもなかった中国市場に高品質を前面に打ち出して飛び込んだ。地道な営業活動で独自の販売網を開拓するのに成功し、「世界のダイキン」へと飛躍する原点となった。
「成長が見込めない国内の家庭用空調はやめるべきでないか」。平成6年に開かれた同社の投資家向け説明会。3年前のバブル経済絶頂期には約300億円の黒字だった経常損益は、一転して39億円の赤字を計上していた。赤字転落は17年ぶり。特に不振だった国内の家庭用空調が集中砲火を浴びた。
この年の株主総会で、創業家の山田稔氏から後継社長に就任することを承認されたのが、ココム違反や米国でのダンピング騒動などで沈滞ムードが漂っていた化学事業を再建した井上礼之氏(現会長)だ。ダンピング問題で米国への輸出が難しくなった際には化学事業での現地生産を決断。一時は危ぶまれた米国事業を継続した手腕が買われた。
国内販売の危機を受け井上氏が決断したのが海外への本格進出だった。それまで同社は進出企業に税の優遇などがあったベルギーやオーストラリアに拠点を構え、現地の代理店経由で商品を販売することはあったが、基本的には「海外市場はリスクが高い」と国内主義を貫いてきた。社内にはなお慎重論が根強いなか、井上氏は「海外には夜明け前の市場が広がっている」と押し切った。
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