うちには猫が2匹いる。
キジトラのジルと、
茶トラのナッツ。
プロフェッショナルを観た
先日、録画していたプロフェッショナルを観た*1。東大阪の獣医さんのお話だった。
実は、次男のとん介は大の動物好き。サッカー選手じゃなかったら何になりたいかと聞くと、「動物のお医者さん」と言う。そんな次男のために、録画しておかなくては!と録っておいたやつを、夫と2人でお酒を飲みながら観ちゃおっかーって観ることに。かる〜いノリで観だしちゃったが最後。実はまったく気軽な内容ではなかった!激しく動揺しつつ、結局最後までノンストップで観てしまった。
2人でボロボロ泣きながら。
一番心に刺さったのがこれ。
「精一杯やったという思いが、支えになる」
「十分出し尽くす。全て出し尽くす、動物に。で、動物もそれに応える、我々も当然それに応えて、亡くなるのがやっぱり理想ですね。そうすると違う心が出てきますから。 あきらめないで、亡くなったら吹っ切れてって。」
この言葉を聞いたときに、1冊の絵本を思い出した。小学校の国語の教科書にもでてくるお話。
「ずーっと ずっと だいすきだよ 」
男の子と犬のエルフィーはとても仲良しで、一緒に大きくなった。たくさん遊んで、いろんなところに出かけた。でも、エルフィーの方がずっと早く成長し、だんだん太って、だんだん動けなくなってしまった。
毎晩毎晩、男の子は「エルフィー、ずーっと、だいすきだよ」と言って一緒に眠った。
そしてある朝、エルフィーは死んでしまう。
にいさんやいもうとも、エルフィーがすきだった。でも、すきっていってやらなかった。
ぼくだって、かなしくてたまらなかったけど、いくらか、きもちがらくだった。だってまいばんエルフィーに、「ずーっと、だいすきだよ」っていってやっていたからね。
ハンス・ウィルヘルム (1988)「ずーっとずっとだいすきだよ」評論社
この男の子は、「自分は精一杯エルフィーに気持ちを伝えきった」っていう思いがある。だから、悲しくてたまらなかったけど、少し気持ちが楽になった。
いつかぼくも、ほかの犬を、かうだろうし
子ネコやキンギョも、かうだろう。
なにをかっても、まいばんきっと、いってやるんだ。
「ずーっと、ずっと、だいすきだよ」って。
ハンス・ウィルヘルム (1988)「ずーっとずっとだいすきだよ」評論社
まだまだ若いうちの猫たちも、いつか別れのときがやってくる。
猫だけじゃない。当たり前のように「おやすみ」って寝て、「いってらっしゃい」って送り出している夫や子どもたちとだって、いつか必ず別れのときはやってくる。
家族を看取るということを何度か経験したのに、毎日の生活のなかで、普通の日々の尊さっていうのを意識することが本当に少ない。
そういえば最近、自分にとって大切な家族(もちろん猫たちも含めて)に、好きだよ、大事だよって言えてないなーって思った。心の中で思っているだけじゃなくて、やっぱり口に出して伝えなきゃな。伝えたいな。
精一杯やったって言い切れるくらい、大事にしよ。
すきなら、すきといってやればよかったのに
だれも、いってやらなかった。
いわなくっても、わかるとおもっていたんだね。
ハンス・ウィルヘルム (1988)「ずーっとずっとだいすきだよ」評論社
いわなくってもわかるなんてこと、ないと思っていた方がいいね。
おわりに
獣医の蓮岡先生は、厳しいけど優しい人だと思う。でも、パンツで診察に出てくるのはよしてねと思った。次男にはまだ観せてないけど、そのときがきたら、感動すると人目をはばからずオイオイ泣いちゃう次男のために、そっとタオルを用意してあげたい。
今日はこれでおしまい。