もう「下流」なのに「中流」だと言い張る日本人!ー誤った「中流意識」が社会の発展を阻害する!?ー

皆さんは自分自身の生活の程度を他と比較して、「上」「中」「下」で表してみるとどこに当てはまるだろうか。

例えば、上流階級、中流階級、下流階級、どこに位置づくだろうか・・・。

セレブ、庶民、貧民、どの分類だろうか・・・。

実は、平成26年度の内閣府の世論調査によれば、「中」のなかで、「中の上」「中の中」「中の下」に当てはまると答えた人が約90%を超えている。みんな程度の差はあれ、未だに「一億総中流」であると思っているのかもしれない。

皆さんはどうだろうか。

平成26年度内閣府「国民生活に関する世論調査」生活の程度
平成26年度内閣府「国民生活に関する世論調査」生活の程度

何をもって中流意識なのかと言えば、多くの場合は世帯や自身の所得が多いか少ないかが決定要因になるだろう。

ワークライフバランスなど、働き方が家事や育児をしやすいようになっているか否かも検討事項かもしれない。

十分な余暇があることも要因として大事かもしれない。

いろいろな要素があるだろう。

ここでは実際に分かりやすいように所得のみに絞って見てみたい。

平成25 年の1世帯当たり平均所得金額は、「全世帯」が528 万9 千円となっている。また、「高齢者世帯」が300 万5 千円、「児童のいる世帯」が696 万3 千円となっている。(平成26年国民生活基礎調査 厚生労働省)

上記の所得は目安であり、世帯人員数などを省くが、このあたりは「中の上」か「中の中」あたりの生活と言えるかもしれない。

しかし、全世帯の所得金額階級別世帯数の相対度数分布をみると、「200~300 万円未満」が14.3%、「100~200 万円未満」が13.9%及び「300~400 万円未満」が13.4%と多くなっている。

そして、中央値(所得を低いものから高いものへと順に並べて2等分する境界値)は415 万円であり、平均所得金額(528 万9 千円)以下の割合は61.2%となっている。(平成26年国民生活基礎調査 厚生労働省)

実に平均所得金額(528万9千円)を61.2%の世帯が下回っているのである。

皆さんの世帯の所得は、平均にいかないまでも、中央値の415万円はあるだろうか。

この所得程度である場合、「中の中」「中の下」といえるかもしれないが、さらに所得が低い場合は確実に「下」に当てはまるだろう。

そして、都市部では所得は高いが、地方では所得は低い傾向にある。地方では「下」に当てはまる世帯は都市部よりも多いはずである。

先ほどの生活の程度を聞いた世論調査に戻りたい。

「中」のなかで、「中の上」「中の中」「中の下」に当てはまると答えた人が約90%を超えている。

「下」と答えた人は4%程度しかいない。

他の要素を考えずに所得のみで捉えると、相当数の人が「下」の暮らしを強いられていることが容易に予想される。

それにも関わらず、「下」が4%というのは異常ではないだろうか。

しかし、当人に聞いてみると、おそらく「生活は苦しいけど普通じゃないか」、「大変だけど自分は「中の下」程度ではないか」と答えが返ってくるかもしれない。

この希望的な見解も含んだ”ぼんやりとした中流意識”が何をもたらすかと言えば、現行の社会システムの温存である。

そして、「自分は頑張っているから「中の下」なのだから、頑張らないと「下」になるのは当然だ」というような意識ではないだろうか。

攻撃の矛先はより弱い対象へ向かい、さらなる努力や義務を課すような意見も出てくるはずである。

わたしは社会システムや社会政策が貧困や生活のしづらさを生み出しているにも関わらず、そのシステムの変化を望まない人を見てきた。

さらに、自身の所得が低いにも関わらず、より弱い生活保護利用者や低年金高齢者を「自己責任論」で批判する人を見てきた。

批判する人たちも含め、実は多くの人たちが「下」に至っている社会において、「下」同士で内輪もめしている場合ではないと思う。

皆さんの生活は本当に「中」なのだろうか。3段階でハッキリ区分けしたら「下」にならないだろうか。

ワーキングプア、非正規雇用、長期失業者、引きこもりの若者、低賃金労働者、ブラック企業、長時間労働、母子世帯、下流老人など、生活課題を有する人々は増え続けている。生活に困っている人は相当数に及ぶ。

しかし、それらの人々が”ぼんやりとした中流意識”を持つ限り、社会に変化を求めることはない。この”ぼんやりとした中流意識”を打破しない限り、貧困層や生活課題を持つ人々がまとまり、社会システムを再編していく力にはならないだろう。

厳しいかもしれないが、「下」の生活であることを自覚し、社会や政治を変えるように働きかけてほしいと思っている。

「下流老人」(朝日新聞出版)という用語もあえて、この階層を意識してもらうために用いた言葉である。

もはや多くの人が中流ではないことを知り、中流であるように、あるいは中流であり続けられるような社会システムを構築し直していきたいと思う。