記憶遺産 ユネスコで対立する前に
国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、中国が申請していた旧日本軍による「南京大虐殺」の資料を世界記憶遺産に登録した。日本が申請した第2次大戦後のシベリア抑留資料と国宝「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)」も登録された。
世界記憶遺産は、歴史的に重要な資料を保存し、広く公開することを目的とする。九州では、福岡県筑豊の炭鉱絵師、山本作兵衛の作品群が2011年に登録されたことでも知られる。
南京大虐殺は日中戦争時の1937年12月、旧日本軍が市民や捕虜などを殺害し、略奪、暴行したとされる事件だ。日本政府も「非戦闘員の殺害や略奪行為は否定できない」とするが、犠牲者数をめぐり日中間で長年論争が続く。
認識の溝を埋めようと、日中の有識者による歴史共同研究委員会が初の報告書を公表したのは2010年のことだ。そこでも犠牲者数は、日本側が「20万人を上限として4万人、2万人などの推計がある」としたのに対して、中国側は「30万人以上」とする従来の見解を繰り返した。
溝の深さを認識しつつ、政治や外交から離れて歴史認識を近づける努力が始まった中で中国の資料と主張だけでユネスコが登録したのは一方的と言うしかない。中国には登録を対日圧力で政治利用しようとしているとの疑念もある。
だからといって、日本政府がユネスコへの拠出金の停止や削減を持ち出すの
はいかがなものか。世界2番目の拠出国の立場を利用して圧力をかけるようで、決してほめられた姿勢ではない。
一方、シベリア抑留資料の登録を申請した京都府舞鶴市は、姉妹都市のロシア・ナホトカ市と国境を越えて協力し、ロシア側でも資料を調べたという。歴史の真実を明らかにするには多面的な視点が必須という好例である。
数万人であろうと、30万人であろうと、大変な数である。日中双方ともユネスコを舞台にいがみ合うより、殺害された人たちの無念に寄り添って、歴史認識を近づける努力を優先すべきではないか。
=2015/10/14付 西日本新聞朝刊=