今ね、晩ごはんの買い物に行ってきたんです。スーパー。祝日だし買い物客もたくさんでなかなかの賑わい。なんだかびっくりしたことがあったので書いてみます。
相変わらず分かりにくい絵で申し訳ないです。
晩ごはんに必要な食材をカゴに入れた僕と家人はレジ(れ)に並んで支払いを済ませ、マイバッグに買った食材を入れるために「袋詰め場所」に移動しました。→(サ)の所。
混んでいるスーパーの中で走る女の子が目に入ります(子)「危ないなぁ」と思ってみていると、レジを操作している女性の所に走って行って何やら従業員さんに声を掛け「レジ袋」を2枚もらっている様子。
ああ、袋に詰めたけど足りなかったんだ。ここのスーパーは数少ない「レジ袋」をくれるお店。最近はマイバッグを持って行かないとレジ袋代を取られたりするんですよね。お礼をいいながら2枚を受け取った女の子は元来た道を戻る・・・と思いきや。
その女の子は袋を貰ったレジを一つ飛び越したレジに小走りで向かうと、さっきもらった袋を後ろポケットに隠し「袋を2枚下さい」と従業員さんに伝え、レジ袋を2枚もらっています。そして今度はそのまま母の元へ(お)
女の子から袋を4枚受け取った母親(もう鬼母と書く)は女の子に「もう一度あっちとこっちでもらってこい」的な指示を出しています。女の子は恥ずかしかったのでしょう、もう行きたくないみたいでうつ向いています。
そこでお母さんは諦めたのか「もういいわあんたなんて!」みたいな表情。女の子はすごく悲しそうな顔をしていましたが、買い物袋に詰め終わった鬼母が帰ろうと動き始めたのを見て寂しそうに(本当に寂しそうに)鬼母の後ろをついて出て行きました。
あの悲しそうな表情はどこから来たんだろう。親の命令をきかず怒られたことに対する悲しみなのか、それとも恥ずかしいのに袋を取りに行かされた悲しみなのか。トボトボついていく女の子の背中がすごく小さかったのが記憶に残りました。
ウチも決して裕福な家ではないから無駄なものは買わず、買ったものは大事に使う、使い終わったものはリユースできるものは形を変えて使って無駄にはしないようにはしてますよ。でもそんなに袋が欲しいなら100枚で200円とかで売ってるのを買いますよ。
「ボロは着てても心は錦」までは言わなくとも、高級車を乗り回したり別荘があったり豊かな生活をしているわけじゃないけど、心は貧しくならないように子供たちにも伝えてますよ。お高く止まることなく、卑しいことなく正しく生きて欲しいから。
親がレジ袋を欲しいなら自分が行けばよかったんですよ。自分でレジに歩いて行って「すみません、袋を2枚もらえませんでしょうか」って頭を下げてたらよかったんですよ。それをわざわざ命令して自分の子どもにやらせる、ということに悲しみと怒りを感じたわけです。
なんだか嫌なものを見ちゃったなぁ、というお話でした。どう感じるかはそれぞれの方の自由ですけど、子どもは親のペットじゃないとだけは言わせて欲しいですね。
ちなみにうちの晩ごはんはお鍋。僕以外は辛いものが苦手なので、僕だけこれを使ってキムチ鍋にしてます(^_-)