新たに確認された高宗の写真には、大韓帝国の悲しい歴史がありのままに投影されている。当時、日本による主権侵奪の危機に直面していた大韓帝国は、米国に最後の望みをかけた。高宗は、米国の助けを得るため、「公主」のもてなしに心を込めた。しかし、米国の胸の内は違っていた。使節団は既に東京で、米国のフィリピン統治の代わりに日本の韓国支配に同意するという「桂・タフト協定」を結んだ後だった。使節団長ウィリアム・ハワード・タフトが、まさにこの協定の張本人だった。
高宗は「われわれは米国と約束したことがある。何があっても、米国はわれわれの友人になってくれるだろう」と言ったが、ルーズベルトは、副大統領だった1900年、友人に手紙で「私は、日本が大韓帝国を取ることを望む」と書き送っていた。使節団の訪問から2カ月後、乙巳勒約(いっしろくやく。第2次日韓協約)が締結され、韓国の外交権が剥奪された。鄭晋錫(チョン・ジンソク)韓国外国語大学名誉教授は「国際情勢に無知で、強力な軍隊と有能な外交官を養成できなかった大韓帝国は、結局滅亡の道へと進むほかなかった」と語った。
■韓国人が撮影した最も古い高宗の写真
写真に写る高宗の目は、どこか痛々しい。サイズは縦33センチ、横22.9センチで、「大韓皇帝真 光武九年 在慶運宮」と「金圭鎮照相」という文字が書いてある。光武九年は1905年、慶運宮は現在の徳寿宮を意味する。具体的な撮影場所は、西洋式のタイルがある床にカーペットを敷いているところからみて、現在の徳寿宮重明殿1階の廊下と推定されている。
特に、モノクロ写真として印画した後、皇帝服とされる黄色の黄竜袍(ほう)や紫の翼善冠など、一部を彩色している点が注目される。財団は「彩色された高宗の写真は、当時高宗がアリスに贈った、フーリア・サックラー・ギャラリー所蔵の写真を含めて2点のみ」と指摘した。