野球が唯一苦手だった!? 山崎武司氏が語った野球人生とは

2015年10月7日 11時00分

ライター情報:さのゆう90

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プロ野球の世界で27年間、中日、楽天などで活躍した山崎武司氏に今回はインタビューしてきました! 山崎氏は元プロ野球選手であるが、取材場所はなんと富士スピードウェイ。
なんでも山崎氏自身がレースに出場するそうだ。山崎氏はレースだけでなく、ミニカー収集やラジコンを趣味に持つなど根っからの車好き。そこで本業の野球について聞く前に、車好きになったきっかけを伺った。
「父や兄が車好きだったのも影響していますね。小さい頃からミニカーが大好きで、買い物に行くたびに『トミカを買って』とお袋にねだっていました」

【野球が唯一苦手だった!? 山崎氏の学生時代】


さてそんな山崎氏の学生時代。さぞ野球も得意だったのではと思ったが、そうではなかったと語る。例えば中学時代、陸上や相撲で全国大会に出場するなど(特に相撲はわずか数日の練習で県大会で優勝したそう!)好成績を残したが、野球では無名の存在だった。山崎氏は「唯一、野球が上手くいかなかったね。中学時代は本塁打数がゼロだし」と当時を振り返る。

だが山崎氏は名門として知られる愛工大名電の野球部に入った。その理由を聞くと「兄が教職課程で名電に居たとき、兄の担当教師が倉野さん(注:倉野光生。現在の名電野球部監督)だった縁で、セレクションを受けたところ合格したから」とのこと。
名電に入った山崎氏は才能が開花し、高校通算56本の本塁打を記録するなど活躍。晴れて地元の中日ドラゴンズに2位指名で入団した。

しかしドラフトではこんな裏話がある。元々巨人ファンだった山崎氏は巨人から「阿波野秀幸の外れ1位で指名する」と言われていた。にもかかわらず、結果的に巨人は木田優夫氏を指名したのだ。そのため、「行きたくない中日ドラゴンズに指名されちゃった」というのが率直な気持ちだったと振り返る。
この一件があったため、巨人と対戦するときは「絶対に負けたくない、絶対に打ってやろう」という気持ちで奮起したそう。

【中日時代の豪快なエピソード】


そんな経緯で中日に入団したが、1996年に松井秀喜氏との争いを制して本塁打王のタイトルを獲得するなど活躍。中日時代の山崎氏には「ジャイアン」とのあだ名通り、豪快なエピソードが多い。ここではそのエピソードの一部を紹介していこう。
現役時代のあだ名は「ジャイアン」

・骨折した状態で本塁打(1994年)
先日引退を表明した山本昌投手が印象に残っているというこの本塁打。山崎氏はそのときの様子を振り返ってくれた。

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ライター情報: さのゆう90

1992年生まれ、静岡育ち。イチローとMr.Childrenは別格。好きなもの=スポーツ全般(特に野球)、ラーメン、戦国史

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