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文芸メイン、その他もろもろ

映画「あん」を観てきた母と私の物語⑥

復興祭の踊りを見る前に、私は父に電話をかけていた。

「帰りが少し遅くなるけれど、お昼ご飯を待っててくれる?」

難聴だから、何度も大声で繰り返し話さなければならない。それでも何とか伝わったようで

「適当に食べるからいい」との返事だった。

けれども、家に帰ると父は不機嫌な顔をしていた。食べるものが食パンしか無かったという理由だった。

一度機嫌が悪くなると、次々とつまらない事に文句を言い出し、仕舞いには理不尽に激昂するというのがお決まりのコースなのである。

私の帰省にも文句を言い出すのだろう。母を連れ歩き、そのせいで自分が不自由をしたと怒り出すに違いない。

そうなる前に私は母を外に連れ出してタクシーを呼んだ。そして映画館が入っているショッピングセンターへと向かった。

何が何でも母を、映画館に連れて行くのだ。

そのショッピングセンターに入るのは、初めてだった。

先に「あん」のチケットを買ってから、開演時間まで店内を見て回る事にした。

アイスクリームが食べたいというので、母を休憩できる場所に座らせた。

私は何か飲みたいなと思っていたら、ソフトクリームが乗ったソーダフロートがあった。

「お母さんがアイスを食べて。私がソーダを飲むから」と言うと、母は少し嬉しそうに

「そうすっぺ」と言った。

 

ふわふわと真っ白なソフトクリーム。澄んだ緑のソーダ水。

クリームソーダなんて、久し振りだ。

盛岡のデパートや、花巻の温泉地など、特別なお出かけの時にはいつも飲んだクリームソーダ。

ワクワクする気持ちを隠しながら、小公女のようにおすまししてストローを挿したのに何故か泡が吹き出して、そこいら中を泡だらけにした。

それも一度や二度ではなかったけれど、旅先での母は叱らなかった。

そうっとストローを挿した。ソーダが白濁し、みるみる溢れそうになったけれど溢れなかった。

「あぁ、美味しいね。」

「うんめぇがな。」

母がスプーンでソフトクリームを掬って食べる様が、まるで子供のように見えた。

私が子供の頃のお出かけは、いつも祖母と母と子供達だった。

出かけられない私達を不憫がって、祖母が連れ出してくれたからだ。

旅先での私達は、子供らしく伸び伸びと過ごした。今思えば小さくさえない田舎の遊園地であっても、私達には楽しい夢の国であった。

そして遊び歩いた代償として私達は、父が母を恫喝するのを見て泣くのだった。

 

大人になり、私だけ何もせずに田舎から遠く離れていた間に、姉と弟は母を救う努力をした。

けれども、その努力は全てが無駄になった。そして今でもこうして啀み合って、父と母は一緒に暮らしている。

 

そこは、思った以上に小さなスクリーンの劇場であった。

私がよく行く劇場とは、何もかもが違い過ぎていた。

 

映画「あん」は静かに始まった。

 

私が来て昨日今日と歩き疲れた母が、途中で寝てしまわないかと心配になるほど

静かに淡々と物語は続いた。

「あん」の内容は、書かないでおこうと思うのだがひとつだけ。

鳥籠の小鳥がカナリアなのが私には少し違和感があった。けれども小鳥はどうしてもカナリアでなければならなかった。

 

映画が終わる頃、母がしきりに時間を気にしだした。

「最後まで観ても、キシャには十分に間に合うから」

と、私は小声で言ったけれどもあれは私の時間ではなくて、父の事が気になっていたのかも知れない。

 

エンドロールの「原作 ドリアン助川

 

ゆっくりとゆっくりと上っていくその名前を、母は感慨深そうに見つめていた。

「息子さんが成功して、立派になって、Sさんは嬉しいべなぁ。良かったぁなSさんは。」

「そりゃあもう嬉しいだろうねぇ。親として、これ以上の幸せはないよねぇ。」

私達は、映画の感想をあれこれと話し合ったりはしなかった。

私は、母に「あん」を観せる事が出来た。ただそれだけがほっとした。

この映画はもう一度、東京に戻ってから反芻するように観たいと思った。

母は多分「籠の中の鳥コは、おれだぁな」と思っていた筈だ。

けれども周りの人がいくら「外に出なさい」と諭しても、子供達が鳥籠の蓋を開けてあげても

飛んで行かなかったのは母なのだ。

頑なに鳥籠の隅に居座り続け、逃げ出さなかったのは母自身なのだ。

それを私はもう、母に言うつもりはない。

母には母の生きる意味があって、私も自分のそれを探すだけの事だ。

そして、生きなければならないのではなく、私達は何かに生かされている。

こんなゴミのような人生にも、きっと何かの意味がある。

そう思って生きていく。

 

母は、ここ数年「私は幸せ」と言う。

それを聞く度に私の精神の均衡が崩れていく。

「母は可哀想」という意識が、ずっと私の根底にあったからだ。

母は可哀想だから母を喜ばせたい。

母は可哀想だからこれ以上悲しませてはいけないと。

それは私だけではない、姉と弟にも暗黙のルールであった。

母は、本当に幸せなのかも知れない。でも解らない。

幸せな人生かどうかは、今際の際の母だけが知る事だから。

 

私と母はタクシーに乗った。

「ひとり⚪︎⚪︎町で降ろして、それから駅までお願いします。」

「わかりました。駅は、バスの方さ?それともキシャの方さ?」

「キシャの方で。」

やっぱりキシャは、こっちの方言なんだな…

そう思って私は、可笑しくなった。

 

 

-END-