復興祭の踊りを見る前に、私は父に電話をかけていた。
「帰りが少し遅くなるけれど、お昼ご飯を待っててくれる?」
難聴だから、何度も大声で繰り返し話さなければならない。それでも何とか伝わったようで
「適当に食べるからいい」との返事だった。
けれども、家に帰ると父は不機嫌な顔をしていた。食べるものが食パンしか無かったという理由だった。
一度機嫌が悪くなると、次々とつまらない事に文句を言い出し、仕舞いには理不尽に激昂するというのがお決まりのコースなのである。
私の帰省にも文句を言い出すのだろう。母を連れ歩き、そのせいで自分が不自由をしたと怒り出すに違いない。
そうなる前に私は母を外に連れ出してタクシーを呼んだ。そして映画館が入っているショッピングセンターへと向かった。
何が何でも母を、映画館に連れて行くのだ。
そのショッピングセンターに入るのは、初めてだった。
先に「あん」のチケットを買ってから、開演時間まで店内を見て回る事にした。
アイスクリームが食べたいというので、母を休憩できる場所に座らせた。
私は何か飲みたいなと思っていたら、ソフトクリームが乗ったソーダフロートがあった。
「お母さんがアイスを食べて。私がソーダを飲むから」と言うと、母は少し嬉しそうに
「そうすっぺ」と言った。
ふわふわと真っ白なソフトクリーム。澄んだ緑のソーダ水。
クリームソーダなんて、久し振りだ。
盛岡のデパートや、花巻の温泉地など、特別なお出かけの時にはいつも飲んだクリームソーダ。
ワクワクする気持ちを隠しながら、小公女のようにおすまししてストローを挿したのに何故か泡が吹き出して、そこいら中を泡だらけにした。
それも一度や二度ではなかったけれど、旅先での母は叱らなかった。
そうっとストローを挿した。ソーダが白濁し、みるみる溢れそうになったけれど溢れなかった。
「あぁ、美味しいね。」
「うんめぇがな。」
母がスプーンでソフトクリームを掬って食べる様が、まるで子供のように見えた。
私が子供の頃のお出かけは、いつも祖母と母と子供達だった。
出かけられない私達を不憫がって、祖母が連れ出してくれたからだ。
旅先での私達は、子供らしく伸び伸びと過ごした。今思えば小さくさえない田舎の遊園地であっても、私達には楽しい夢の国であった。
そして遊び歩いた代償として私達は、父が母を恫喝するのを見て泣くのだった。
大人になり、私だけ何もせずに田舎から遠く離れていた間に、姉と弟は母を救う努力をした。
けれども、その努力は全てが無駄になった。そして今でもこうして啀み合って、父と母は一緒に暮らしている。
そこは、思った以上に小さなスクリーンの劇場であった。
私がよく行く劇場とは、何もかもが違い過ぎていた。
映画「あん」は静かに始まった。
私が来て昨日今日と歩き疲れた母が、途中で寝てしまわないかと心配になるほど
静かに淡々と物語は続いた。
「あん」の内容は、書かないでおこうと思うのだがひとつだけ。
鳥籠の小鳥がカナリアなのが私には少し違和感があった。けれども小鳥はどうしてもカナリアでなければならなかった。
映画が終わる頃、母がしきりに時間を気にしだした。
「最後まで観ても、キシャには十分に間に合うから」
と、私は小声で言ったけれどもあれは私の時間ではなくて、父の事が気になっていたのかも知れない。
エンドロールの「原作 ドリアン助川」
ゆっくりとゆっくりと上っていくその名前を、母は感慨深そうに見つめていた。
「息子さんが成功して、立派になって、Sさんは嬉しいべなぁ。良かったぁなSさんは。」
「そりゃあもう嬉しいだろうねぇ。親として、これ以上の幸せはないよねぇ。」
私達は、映画の感想をあれこれと話し合ったりはしなかった。
私は、母に「あん」を観せる事が出来た。ただそれだけがほっとした。
この映画はもう一度、東京に戻ってから反芻するように観たいと思った。
母は多分「籠の中の鳥コは、おれだぁな」と思っていた筈だ。
けれども周りの人がいくら「外に出なさい」と諭しても、子供達が鳥籠の蓋を開けてあげても
飛んで行かなかったのは母なのだ。
頑なに鳥籠の隅に居座り続け、逃げ出さなかったのは母自身なのだ。
それを私はもう、母に言うつもりはない。
母には母の生きる意味があって、私も自分のそれを探すだけの事だ。
そして、生きなければならないのではなく、私達は何かに生かされている。
こんなゴミのような人生にも、きっと何かの意味がある。
そう思って生きていく。
母は、ここ数年「私は幸せ」と言う。
それを聞く度に私の精神の均衡が崩れていく。
「母は可哀想」という意識が、ずっと私の根底にあったからだ。
母は可哀想だから母を喜ばせたい。
母は可哀想だからこれ以上悲しませてはいけないと。
それは私だけではない、姉と弟にも暗黙のルールであった。
母は、本当に幸せなのかも知れない。でも解らない。
幸せな人生かどうかは、今際の際の母だけが知る事だから。
私と母はタクシーに乗った。
「ひとり⚪︎⚪︎町で降ろして、それから駅までお願いします。」
「わかりました。駅は、バスの方さ?それともキシャの方さ?」
「キシャの方で。」
やっぱりキシャは、こっちの方言なんだな…
そう思って私は、可笑しくなった。
-END-