教育部が推進する意向を示している、韓国史教科書の国定化には個人的に賛成しない。今のような時代にあって、政府が表に出て歴史教科書を作成するということ自体が時代錯誤であり、誤解を招くことが懸念されるためだ。国定教科書制度を実施しているのは北朝鮮やベトナムなどごく一部の国にすぎない。日本の産経新聞は十数年前、「新しい歴史教科書をつくる会」が作成した教科書が論議を呼んだ際「韓国の国定教科書を見習い、信念に従って(教科書を)書けばいい」とあおった。最近、朴槿恵(パク・クンヘ)大統領を明成皇后(日本での呼称:閔妃〈びんひ〉)に例えたコラムを電子版に掲載した新聞だ。このケースからも分かるように、韓国史の国定教科書を発行するというのは、世界的にも物笑いの種になりかねないことだ。
教育部は果たして、事実に忠実でありながら、バランスの取れた韓国史教科書を作成するだけの十分な準備ができているのだろうか。記者はそうは思わない。2003年、民間の出版社が作成し、政府の審査を経て発行した高校用韓国近現代史教科書(検定教科書)が左寄りだとして論議を呼んで以来、韓国史教育の偏向問題が10年以上たっても解決していないため、教育部は国定化に言及し始めた。検定教科書の内容があまりにもひどいがために、国定化の話が出てきたのだろうとは思うが、国定教科書はむちゃくちゃな韓国史教育の問題を解決できる特効薬にはなり得ない。
だが、韓国史の研究者を含む大学教授たちが「国定化反対」を叫び、連日のように各大学で声明を発表しているのは見苦しく思える。現代は声明文に名を連ねただけで解職まで覚悟しなければならなかった軍事独裁政権時代ではない。自分の名前を書いた声明文をもって、知識人の社会参加を論じることで、声明文の価値自体が大きく下がってしまった。