好きかどうかわからないから付きあってみる、ということが判らないみたい、と言う。
「あ、日本の男の人って、そーゆーもんみたいよ」と述べるわし、
相手は溜息をついています。
ローラさんが、ヨシと付き合いだしたのは、一年前で、ローラさんはパートタイムの英会話講師で、ヨシと会ったのも英会話学校の教室だった。
いくらパートタイムで時々お小遣い稼ぎにいくだけだと言っても、同僚は同僚で、冷やかされるのは嫌だなあーと思ったが、ヨシのマジメな態度と、熱心さが好もしかったので、そのうち一緒にコーヒーを飲みにいくようになって、ボーイフレンドとガールフレンドになった。
こういうことを付け足して説明しなければいけないのは煩(わずら)わしいが、ボーイフレンド、という言葉はもともと英語では肉体関係があることを暗黙に含む。
楽しかった、という。
それまでは英会話学校で知り合ったパートタイムの講師仲間と「居酒屋」に行ったり、ひとりでヘッドフォンをつけて音楽を聴きながらインターネットで遊んでいたりしたのが、なんだか目をきらきらさせて、自分に夢中になっている若い男が、毎日でも会いたそうなことを言ってくる。
電話が、毎日かかってくる。
日本は面白い国で刺激がたくさんある。
文房具ひとつとっても、何百という種類があって、しかも伊東屋と東急ハンズでは、まるで違う文房具が並んでいる。
丸善に行くと、さらに異なる種類がある。
まるでパラダイスのようだ、と誰でもおもう。
デパートメントストアの地下に行くと、「デパ地下」がある。
やたらに清潔な売り場に、見たこともない食べ物が並んでいる。
英語世界のデリでも、店員さんに言えばいくらでも味見させてもらえるが、日本では「試食」で、ほとんど、どの食べ物も黙っていても食べられるようになっている。
一方では東京は、英語人にとっては疎外されやすい都会で、まず英語を話す人の数が少なすぎる。
その上に毎日の生活に夾雑物が多くて、その結果、起きてから寝るまでやたら忙しい生活なので、友達ができにくい。
英語人の男は、わしのようにええかげんな奴ばかりなので、誘っても約束の場所にくるんだかこないんだかも半々ぐらいで、
「3時に有楽町の電気ビルの裏口って約束したじゃない」と電話で抗議すると、
「そうだっけ?すまんすまん、忘れてた」という。
後ろで、「コーヒーができたよー」という知らない女の声がしている。
アメリカ訛りで、また新しいのと付き合ってるのかと頭にくる。
そこにいくと日本の若い男は誠実で、ヨシは4歳年上の27歳だが、真摯さがまるで異なるようだ。
「と思ったんだけどね」と言う。
ふんふん、と妙に図体がおおきい、見るからにやる気のなさそうな男の友達(←わしのことね)がうなづいている。
「ガメ、ちゃんと、聴けよ」
聴いておりまする、と言うことは神妙だが、ほんとうはさっきから遠くに見える「ぢ」の赤いネオンサインに気をとられているのではないか。
なんというか、わたしは寂しくて、ひとりぼっちな感じがしたから付き合ってるわけだけど、ヨシのほうは、なんだかものすごくシリアスに関係を受け取ってしまっているみたいだった。
困ったな、と考えた。
そう考えだすと、ヨシと一緒にベッドで過ごしても、なんだか勝手に相手が自分の身体の上に乗っかって「用事をすます」のを我慢しているような気になってきた。
愛してはいないんだよなー、とつくづく思わされてしまう。
そこにタケが登場したわけだな、と、わし。
そう。
ローラさんは、また溜息をついている。
子供っぽいヨシとは違ってタケのほうは女の気持ちがわかるみたい。
ヘアドレッサーのせいかも知れないけど洗練されてるしね。
タケなら一歩すすんで、もっと深い関係ができるかもしれない。
じゃ、タケさんにすればいいんでないの、と述べてみると、
「やってみるとセックスの相性が悪いんだよ」ということが理由だった。
なるほど。
つまりヨシのほうは、それほど悪くない、ということね。
そこからが問題で、週末にどこに行ってたんだ、と詰(なじ)るヨシに、タケのアパートにいた、と言ったら、猛烈に怒りだした。
暴力はふるわないけど、なんだか偏執狂のように、そのことばかり持ち出す。
だって、わたしたちは付き合いだしたばかりで、お互いに自由を尊重する、ってあなたのほうが何度も繰り返したじゃないの、というと、
「それとこれとは別だ!」と大声をだす。
まったく、うんざりしてしまう。
なんで日本の男は、ああ、子供なのか。
ツイッタで、
と書いた。
最近は日本のひとの気持ちが少しは飲み込めるようになったので、
「きっと嫌がらせとか、また来るかなー」と思ったら、やっぱり、たくさんきました。
どうも、日本の男の人々は「おれたち男の純情を理解しない」というリーグ的な気持ちが強いらしい。
わしの理屈では、だって、そんな男の勝手な理屈を言って、女も人間で幸福になりたいのを全然無視して、自分に都合の良い女たちでいて欲しいたって、前世紀ならともかく、もう無理なんじゃないの?とおもうが、
そういうものでもないらしい。
ツイッタだと、いかにも2chふうな、「ひとこと捨て台詞」ふうだが、多分ツイッタだとあっさりブロックされるのが嫌だからでしょう、ブログのコメントのほうにわざわざ名前とemailアカウントをでっちあげてくる人々のほうでは、もっとネチネチで、
「そんな女に阿るようなことを言ってタダではすまないぞ。必ず足をすくってやる」ふうのがたくさんくる(^^;
ただじゃなきゃ、じゃ、百円くれ、と言いたくなるが、こういうタイプの人々は、そういうことを言うとメラメラと逆上するので、十円くれくらいにしておかないと、後が怖いのは、ずっと昔の記事
「Heforshe」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/09/23/heforshe/
「日本男児の考察」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/14/japanese_men/
で経験ずみである。
男と女の問題とはぜんぜん関係がない、いろいろな話題にかこつけて、嫌がらせにやってくる。
連係も阿吽の呼吸で非常にうまいトリックを「群れ」として実行する。
見ていると、どうも、自分のガールフレンドに裏切られるという絶えざる恐怖心がある人もいるらしい。
そう云えば、こういうのは、「男を差別するな」と述べていたオダキンも怒ってなんか言ってくるな、とおもったら案の定、
「これは俺、アホじゃないの?と思うんだけど、なぜそう思うかを書くといろいろ面倒くさいことになるのは目に見えており、とりあえず後で時間と元気のあるときのためにメモとしてここに残す」
と書いてあった。
モニさんが大好きであることを発見してからは、自然に他の女の人とエッチしなくなった、というのは前に書いた。
それ以前は、付き合っている女の人が週末に違う男と一緒にいても、自分たちがどういう関係であるかを落ち着いてよく考えると、
「ま、愛し合っているとは言えないよね」と結論して、お互いに懸命に自分を幸福にしようと考えてやってるんだから仕方がないさ、
と22歳くらい頃には、もう思えるようになっていた。
なぜ、そうなのかと考えることも多かったが、それはやはり、「女の人も人間で、男と何の変わりもない」ということに人間の社会全体が気がついてきたからだと思います。
男も女も、真剣に愛し合う相手が出来れば、他の人間とわざわざベッドに行こうと思わないのはおなじで、裏切りだの、もっとひどい言葉を使って肥大した「性」の観念の側から汚い言葉を投げつける人もいるが、
相手に好意を持って「付き合ってみる」と大昔には述べていた、その
「付き合ってみる」に肉体の関係も含まれたほうが合理的だ、と社会が判断しただけのことで、お互いがcompatibleかどうか試してみる、というときには、当然肉体関係が含まれたほうが、関係が深まってゆくものなら、後々のことを考えて、男と女の両方にとって都合がいい、としか、わしには言うことがないよーだ。
仮に「お互いに愛し合っているのだ」と確かめ合って、結婚なら結婚で、あるいはフランス式に、いつも一緒にいて子供をつくるというようなことのあとで、他の人と「寝て」しまいました、というようなことになれば、当人たち同士のつもりで異なって、カウンセリングを受けて関係を修復するカップルもあるだろうし、別れてしまうカップルもあるだろうが、その深みに関係が至る前に「一度寝たから、おまえはおれの女だ」みたいなことを言われても、あるいは「自分はこんなに誠実に愛しているのに、ひどいじゃないか」と言われても、自分勝手なことばかり言わないでくれ、としか言いようがない。
Be a man、ということでもあるのかも知れません。
この話は、日本語の壁のなかの男の人にも女の人にも、いちばん理解しがたい話題であるのを、わしは観察によって知っている。
そこには日本の社会の謎解きをする、おおきな手がかりのひとつが眠っているのも気がついている。
でも、まあ、書いておきます。
またヘンな人が大挙してやってくるだろうけど。
毎回、とても楽しみに読んでいます。ガメさんの文章が好きです。
日本という国について、モニさんとの話、私の苦手な経済の話、武器について、など、ページを開いて、まだ読んでないタイトルを見たら続きを読まずに珈琲をいれてじっくり読むのが一日の中ですごく好きな時間になっています。
「寂しさと愛情」についてこのところ考えていて、迷うということはどちらでもいいということ、と思ってはいても差し迫って彼と別れる理由もなく……、というところで今日の文章を読み、先日、このブログが一時、読めなくなって悲しい(ほとんどパニックに近い)思いをしたので、まだコメントを書けるうちにと思い、今日は書いています。
こどもを連れて夫から逃げ、四年半前、地震の三日後に東京から逃げて、日本からも逃げようと思って準備をしていましたが、今は少し、これからどんな国になるのか、自分のできることはやりながら見つめています。
今日の話、興味深かったです。
これからも楽しみにしています。
とりとめのない文章ですが……。