自分の中に溜めておけないけど話せる相手が居ないから増田に書こうと思う
年数だけ見たら気心知れた間柄かと思われるかもしれないが、全くそんなことは無い
小学5年生のころから、特に理由はないがAの気に入らない子がターゲットにされクラスみんなが口裏を合わせて無視をしてみたり、聞こえるように悪口言ってみたり、缶ケリで1週間ずっと鬼にさせたり、UNOで永遠と前の人がドロー2出して上がらなくさせたり、物事の大小はあれど工夫してハブることが日常的に行われるようになった
私がそのターゲットにされたときは、とにかく何が何でもひたすら無視だった
学校に行っても誰にも話しかけられず誰とも話せず居るのに居ないような扱いをされた
その期間は半年にも1年にも感じたが正確な期間は覚えていないが、息が出来ない感覚がずっと続いて辛かった
普通に学校行くのやめようかな、明日は休もうかな、ママに何て言おうと考えていた
ターゲットにする基準を今考えると、男の子とよく喋っている子とか先生に気に入られてる子とかだった
私は、Aの指示にきちんと従わない問題児というところが選考基準になったのかもしれない
とにかく、いきなり友達が居なくなって昼休みもぼっちで毎日図書室通いをしていた
それをどこからか知った母は、AとAの母親に「うちの子がなにかしました?」と言ったそうだ
その時「この年の子供の事だから、色々あるんでしょう」と返事をされたと先日初めて聞かされた
母は母で悩んで苦しんで働きかけてくれていたことを知った
6年生になるころにはターゲットにされた子の母親2,3人と情報のやりとりもしていたらしい
当時の担任にも、この状況をどうにかするようにと怒ったことも話してくれた
別の子の母親も担任に怒ったことがあったという話は小学校を卒業してから聞いたことがあったが私の母親もだったとは知らなかった
母は、最後にこう締めくくった
「あの頃は腹が立って仕方がなかったけど、今日何年振りかにAとAの母親の顔を見て、あーもうこれで良いんだって思えた。でも、AはAで、とってもかわいそうな子だったのかもね」
でも私は、Aを許せたとしても、当時の担任を許すことは一生ないだろうな、と思って話を聞いていた
あれだけ何人もの母親から話を聞かされていたのに、担任は最後まで何もしなかった
話を聞いてくれるだけで良かったし、1分でも話をしてくれれば何か変わったかもしれないのに、人数の多いグループがすることには目をつぶっていた
そのくせ、少数派のすることには目を光らせて、何かしようもんならここぞとばかりに罵詈雑言を浴びせた
5年生から2年間同じだった担任が唯一持ち掛けたのは「毎週水曜日はクラスのみんなで遊びましょう」だった
授業以外の学級運営をする気がないのが明白になった
Aがやりたい放題だったのも、この担任のお陰だった
Aの父親のお通夜に行ったのは、たまたま実家に帰っていたタイミングで、別ルートの付き合いがあるからだったけど、行ってきて良かったと思った
通夜に「行ってきて良かった」はいかがなものか。亡くなった故人にも保護者として何らかの瑕疵はあると思うが つらい小学校だったかもしれないけども、何か楽しい思い出もあったの...