2015-09-17

楽しくなかった小学生時代の話

自分の中に溜めておけないけど話せる相手が居ないから増田に書こうと思う



10年来のわだかまりが少しなくなったきがする」

通夜から帰る車の中、運転をしていた母が話しかけてきた

同級生女の子であるAの父親が亡くなった


Aとは幼稚園から中学校まで同じところに通っていた

年数だけ見たら気心知れた間柄かと思われるかもしれないが、全くそんなことは無い

Aは小学生時代クラス女子トップに君臨していた

小学5年生のころから特に理由はないがAの気に入らない子がターゲットにされクラスみんなが口裏を合わせて無視をしてみたり、聞こえるように悪口言ってみたり、缶ケリで1週間ずっと鬼にさせたり、UNO永遠と前の人がドロー2出して上がらなくさせたり、物事の大小はあれど工夫してハブることが日常的に行われるようになった

私がそのターゲットにされたときは、とにかく何が何でもひたすら無視だった

学校に行っても誰にも話しかけられず誰とも話せず居るのに居ないような扱いをされた

その期間は半年にも1年にも感じたが正確な期間は覚えていないが、息が出来ない感覚がずっと続いて辛かった

普通に学校行くのやめようかな、明日は休もうかな、ママに何て言おうと考えていた

ターゲットにする基準を今考えると、男の子とよく喋っている子とか先生に気に入られてる子とかだった

私は、Aの指示にきちんと従わない問題児というところが選考基準になったのかもしれない

とにかく、いきなり友達が居なくなって昼休みぼっち毎日図書室通いをしていた


それをどこからか知った母は、AとAの母親に「うちの子がなにかしました?」と言ったそうだ

その時「この年の子供の事だから、色々あるんでしょう」と返事をされたと先日初めて聞かされた

母は母で悩んで苦しんで働きかけてくれていたことを知った

6年生になるころにはターゲットにされた子の母親2,3人と情報のやりとりもしていたらしい

当時の担任にも、この状況をどうにかするようにと怒ったことも話してくれた

の子母親担任に怒ったことがあったという話は小学校卒業してからいたことがあったが私の母親もだったとは知らなかった


母は、最後にこう締めくくった

「あの頃は腹が立って仕方がなかったけど、今日何年振りかにAとAの母親の顔を見て、あーもうこれで良いんだって思えた。でも、AはAで、とってもかわいそうな子だったのかもね」

母はこれで完全に過去出来事に変換出来た

でも私は、Aを許せたとしても、当時の担任を許すことは一生ないだろうな、と思って話を聞いていた

あれだけ何人もの母親から話を聞かされていたのに、担任最後まで何もしなかった

話を聞いてくれるだけで良かったし、1分でも話をしてくれれば何か変わったかもしれないのに、人数の多いグループがすることには目をつぶっていた

そのくせ、少数派のすることには目を光らせて、何かしようもんならここぞとばかりに罵詈雑言を浴びせた

5年生から2年間同じだった担任が唯一持ち掛けたのは「毎週水曜日クラスのみんなで遊びましょう」だった

授業以外の学級運営をする気がないのが明白になった

Aがやりたい放題だったのも、この担任のお陰だった


誰にも言わずにいるけど、6年生のころには学級崩壊寸前だった



Aの父親のお通夜に行ったのは、たまたま実家に帰っていたタイミングで、別ルートの付き合いがあるからだったけど、行ってきて良かったと思った

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    通夜に「行ってきて良かった」はいかがなものか。亡くなった故人にも保護者として何らかの瑕疵はあると思うが つらい小学校だったかもしれないけども、何か楽しい思い出もあったの...

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