「がっこうぐらし!」第11話 「きずあと」の感想です。
ゆきがドアを開けるとめぐねえの姿はなく。
風に舞ったリボンが墓標を離れ空へと。
めぐねえとの完全なる別れ、そしてもうこの学校は無理かも。
そんな事を感じた第11話でした。
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余談ですが。
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「がっこうぐらし!」は1話と2話をレコーダーに録画していなかったので、ちょうどいい機会かなと思い予約しました。
第11話を振り返ってみる。
第11話のあらすじと感想を、人物を中心に書いてみたいと思います。
巡ヶ丘学院
部室のある3階にまであふれてきたゾンビ群。
屋上にもあふれたゾンビが避雷針をゆすっている時、避雷針に落雷が起こり、帯電した避雷針が発電設備?を破壊し、校内は停電。
屋上では燃え上がるゾンビが多発。
ゾンビって燃えやすいんですね。
雨が降って体は濡れているハズだというのに。ゾンビは「可燃性」の性質でも持っているのか?
りーさん
ソファーのある部屋。
苦しむくるみに付き添い続けるりーさん(若狭悠里)
りーさんが両手で包丁を握りしめ、ワインドアップでふりかぶった瞬間、かなり緊張が走りました。
まさかついに ?!
りーさんは結局、以前ショッピングモールでくるみから頼まれていたとはいえ、「それ」が実行できず。いやあビックリしたわ。でも「それ」が実行されなくて良かった。
自分の中にあるりーさんのイメージは、そういうことが出来る人じゃないんですよね。りーさんにはいつも「母性」のイメージがつきまといます。学園生活部の母親のような存在というか。母親じゃなくて長女でもいいですけど。
だから以前、学園生活部という家族に、みーくんという新たな同居者がやってきたとき、りーさんは、家族を壊されまいとみーくんに対して強い警戒心を抱いたんじゃないでしょうか。家族を守ろうとする母親の姿に見えました。だからりーさんは「母性」の象徴として、とある部分が大きいんのでは?
みーくん
みーくんは地下の避難区画へと。
あぁ、みーくんが下りていくとは…… 正直思わなかったです。いくならゆきになるのかなと。
みーくんはゾンビを倒すパワーは無いものの、彼女らしく頭脳戦でゾンビを何とか処理していました。ゾンビは、かなり『音』に反応するようですね。『視覚』はあまりなくて、『聴覚』に頼って動いているのかなと思いました。
みーくんが地下へと降りた理由ですが。
ゆきをめぐねえに会わせたくない
それが理由のひとつかもと思いました。
ゾンビ化しためぐねえにゆきが出会った場合、おそらくゆきにはめぐねえを倒すことはできないでしょう。だから自分(みーくん)が行くしかない。自分ならばめぐねえとは『縁』がない。そのあたりが、みーくんが地下へと降りた動機のひとつなのかなあと。
みーくんは何度も出てきためぐねえのいた部屋で「医薬品」を発見。中身は、
鎮静剤、抗生物質、初期感染者用実験薬
「実験薬」という単語が気になりますが、くるみに対して使うならば、「初期感染者用実験薬」になるのかな。
「佐倉慈先生、ですよね? はじめまして。
直樹美紀、学園生活部の新入部員です」
みーくんは、シャッター越しにめぐねえに対する自己紹介と、めぐねえを含めた一人一人に対する自分の印象を語りました。ううむ…… まずは自己紹介から入るかぁ。
「だから!」
「ゆっくり休んでください」
みーくんはめぐねえの頭部にシャベルを振り下ろした……
そんな感じになるのかな。
しかし、その後みーくんは、部屋に閉じこもる形に。
まるでショッピングモール時代のシチューエーションに、振り出しに戻ってしまったような状態に陥りました。
それとあの部屋を開けたときに飛び出した犬……
これは太郎丸なのか? なんかゾンビ化してるようには見えませんでしたが。ちょっと謎なシーンでした。
ゆき&めぐねえ
「じゃあ、『放送室』を目指しなさい」
ひとり部室に残り、学園生活部の終焉を危惧するゆきに聞こえてきたのは、そんなめぐねえの声でした。
かつてめぐねえとゆきが交わした約束は、「笑顔を忘れない」こと。ゆきの笑顔がみんなに元気を与える。めぐねえと約束を交わした回想の場面を経て、ゆきがノブを回し扉の先へ進むと……
めぐねえの姿は消えていました。
「バイバイ、めぐねえ」
ゆきの目からは涙がこぼれ落ち、屋上のめぐねえのリボンは風でほどけて空へと舞い上がる。
ああ、これでめぐねえとは完全にお別れかなぁ……
約束の回想場面ですが。
ゆきが以前の学園生活部の姿を回想する中、笑顔でカメラ目線になるめぐねえ。
カメラ目線(現在のゆきに対する目線)になっためぐねえの表情にウッときました。
じゃあここからは、視聴後に考えた話へと。
次回に対する話と、がっこうぐらし!から感じる雰囲気の話になります。
次回はどうするのか? 籠城と放送室の話
「巡ヶ丘学院」は、ある程度の期間、自活を可能にするための設備を整えた「シェルター」のようなものでしょう。しかし今回、発電設備が破壊されてしまい今後の自活生活が困難になりました。
もうこの学校は……
ダメなんじゃないかなぁ。
今後巡ヶ丘学院にこもり続けるのは無理なんじゃないかと思いました。次回はどうなってしまうのでしょうか。
話は少し飛びますがおもに中世頃までの合戦において。
「攻城戦」における戦法のひとつに「籠城」(ろうじょう)というのがあります。
「籠城」は、味方より大多数の敵を相手にするとき、しばしば取られた戦法のひとつです。城の持つ防御力を頼りに時間を稼ぎながら敵を防ぎ、後詰め(ごづめ)としてやってくる味方の増援を待つ、という戦法になります。
ただし「籠城」が有効であるためには、条件がひとつありまして。
籠城は、味方の増援(後詰め・ごづめ)が期待できる場合のみ、有効な戦法になります。そして味方の増援がくれば、城の中からと後詰め部隊による敵の「はさみうち」が可能になり、精神的に優位に立つことが可能になったりします。
戦国時代で有名な合戦のひとつ、「長篠の戦い(設楽ヶ原の戦い)」は、おおよそこういう流れ(武田に囲まれ籠城 → のち、籠城方の味方として信長を含む大部隊が到着。今度は武田方に挟み撃ちの恐れがでる)を取った戦いじゃないかと言われています。
(画像は、「長篠の戦い - Wikipedia」より)
逆に後詰め無しに「永遠に籠城する」というのは、物資的にも精神的にも無理な話だと思いますし、また歴史的に成功した例も皆無のような気がします。
なんでこんな話をしているのかと言うと。
巡ヶ丘学院に備わった設備は、ゾンビに対する一種の「籠城戦術」を取るためのもののように思えたからです。まあ希望的な観測にはなりますが、
学校が「籠城」であるならば「後詰め」が期待できるのではないだろうか。
そんなふうに思ったという話です。
一定期間、巡ヶ丘学院でゾンビソ凌ぐことができれば「後詰め」が、つまり救援部隊がやって来られる可能性が出てくるのではないかと。今回そんな「救援部隊」を連想した理由は、めぐねえがゆきに「放送室」を目指しなさい、と言ったからですね。
もちろん「放送室」ですから、スピーカーから何か音を流してゾンビの注意を引きつけ、みーくんやりーさんたちのアシストをする、という流れが考えられると思います。
しかし同時にもうひとつ連想した事がありました。名前はたしかに「放送室」ですけどここには、
通信設備が備わっているのではないか?
ということです。
はい。
連想の元はプレイした方ならすぐわかる通り、ゲーム「バイオハザード」ですね。
何作目だったかは忘れましたが「バイオハザード」は、通信設備を復旧させて外部とコンタクトを取る、というのがゲームクリアの条件だった気がします。
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また、もしも「放送室」が「通信室」に変わるのならば。
「通信室」起動の条件は、非常電源に切り替わったとき。
そういう条件があるのかもしれない。
そんなわけで第11話。
がっこうに居続けるのはもう無理じゃ?
→ そういや「放送室」の単語が出てきたな
→ もしや「放送室」は「通信室」を兼ねてるんじゃないのか? 「バイオハザード」のように
→ じゃあ学校は「籠城」なのか !? (「後詰め」が期待できるという意味で)
そんなふうに連想したという話です。というか、
そうでも思わないと絶望的で見てらんない(;゜Д゜)
という意味もありますが。
「放送室」が「通信室」
そして「後詰め」が期待できる
次回の最終回はそんな展開だとイイですね。
最終的には学校を脱出することが、「そつぎょう」ってことになるのかなぁ。
「屍鬼」を彷彿とさせる「泣きの要素」を持ったホラー
一度書いたかどうか、記憶が定かじゃない話なのですが。
「がっこうぐらし!」のゾンビって、「何か」に似てるような…… えっと何だっけ? この哀愁や切なさを感じさせるゾンビたちの姿。何かに似てるような…… そうやってしばらく考えたのちに答えが出ました。
「屍鬼」(しき)ですね。
「がっこうぐらし!」に出てくるゾンビの醸し出す雰囲気は、アニメ「屍鬼」に出てくる吸血鬼の醸し出す雰囲気によく似ている。
もちろん両者には大きな隔たりもあります。
「屍鬼」に手てくる吸血鬼の言動は、吸血鬼になる前の言動とさほど変わりません。吸血鬼と化したあとも生前と同じように悪態をふいたりするし、性格も全然変わりません。違いと言えば強烈に血を欲する、というぐらい。
いっぽう「がっこうぐらし!」のゾンビは、行動が生前の記憶を元にしたような振る舞いをするものの、そもそもゾンビは喋ったりしません。
一見まるで似ていない両者ですが、しかし醸し出す雰囲気自体はよく似ている気がします。
どこで読んだか記憶にないのですが、「屍鬼」の原作者・小野不由美と、ステーブン・キングを比較した文書がありました。
洋風ホラーの代表がステーブン・キングならば、それを和風にしたのが「屍鬼」であり小野不由美である。
たしか私が読んだ文章はそんな趣旨だったと思います。これはあとがきのあとの「解説」文章だったような……
ステーブン・キングと「屍鬼」の最大の違いとは何か?
私は「泣きの要素」だと思います。
「屍鬼」はホラーでありながら、同時に吸血鬼が哀愁や切なさを感じさせ、そこに「泣きの要素」を持っています。おそらくこれが、日本人の好みに合っているのでしょう。
同様に「がっこうぐらし!」
こちらも「屍鬼」同様にホラー要素を持ちながら、同時に「泣きの要素」を持っていると思います。「屍鬼」と「がっこうぐらし!」は、どこか雰囲気がとてもよく似ているなと。
そして「泣きの要素」最大の象徴が「めぐねえ」なのでしょう。
ゾンビ化しためぐねえには怖さがありながら、同時に哀しい存在感がありかつ涙を誘う部分があったりします。
かつて「屍鬼」から感じた和風ホラーとしての「泣きの要素」
同様に、「がっこうぐらし!」からも和風ホラーとしての「泣きの要素」を感じます。そのあたりが、ステーブン・キングを代表とする洋風ホラーとの違いなのでしょう。簡単に言えば「がっこうぐらし!」は、とても日本人好みな雰囲気を持っている作品だと感じるって話です。さらにいえば、
つまり自分の好みだよ
って話になっちゃうんですけどね (*´σー`)
「屍鬼」も「がっこうぐらし!」も。わたしは作品の持っている雰囲気がとても好きです。
そんなわけで「がっこうぐらし!」 この作品は、
「屍鬼」を彷彿とさせる「泣きの要素」を持ったホラーだなぁ
という話でした。
OPの変化
「がっこうぐらし!」のOPを比較した動画を貼ってみます(第1話から第11話)
特に変化が大きいと感じる部分の画像を4枚貼ってみます。
(右下の大きい部分が第11話のOPです。作ってくれたかた、ありがとうございます)
OP映像はずいぶん変化しましたね。
最後のまとめ
めぐねえとの完全なる別れと、もうこの学校はダメなんじゃないか。
そんな事を感じた第11話でした。
カメラ目線(現在のゆき視点)になっためぐねえの笑顔が何ともいえない。
いよいよ次は最終回ですね。1クールって早いなー
アニメをいったいどんな形で締めくくるのか。
今からとても楽しみです。
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アニメ「がっこうぐらし!」(全12話)
(スタッフ)
原作:海法紀光(ニトロプラス)×千葉サドル
監督:安藤正臣
シリーズ構成:海法紀光
脚本プロデュース:ニトロプラス
脚本:海法紀光、小太刀右京、桜井光、東出祐一郎、深見真、三輪清宗、森瀬繚
キャラクターデザイン:飯塚晴子
アニメーション制作:ラルケ
OP曲 「ふ・れ・ん・ど・し・た・い」
歌:学園生活部
ED曲 「アフターグロウ」
歌:黒崎真音
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