たこ焼き:“起源は会津” 発祥の店、大阪・会津屋
毎日新聞 2015年09月16日 17時59分(最終更新 09月16日 18時31分)
どうして東北・福島の地名なんだろう−−。
そのたこ焼き店の屋号を見て疑問がわいた。たこ焼きと言えば大阪。広辞苑にも「大阪から全国に広まる」と書かれている。
でも、その屋号は「会津屋」だった。たこ焼きを「大阪のソウルフード(地域特有の料理)」と言う人もいる。なのに「会津」を看板に掲げては、魂(ソウル)を売り渡したみたいではないか!
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会津屋本店(大阪市西成区玉出西2)に問い合わせ、疑問はあっさり解決した。創業者が福島県の会津坂下町生まれで、ふるさとの地域名を屋号にしたのだった。
疑問が解消した代わりに今度は驚きが広がった。会津屋こそ今から80年前の1935(昭和10)年、たこ焼きが誕生した店なのだという。
会津屋の創業は33年。遠藤留吉さん(07〜97年)が大阪に来て、生地の中にすじ肉やこんにゃくを入れた「ラジオ焼き」の屋台を始めた。ラジオ焼きというネーミングは、当時最先端だったラジオにちなんだとか、形がラジオの真空管に似ていたからとか言われる。そのころ、ラジオ焼きの屋台は数多くあった。
35年秋、兵庫県・明石からやって来た客が留吉さんにこんなことを言った。
「大阪は肉かいな。明石はたこ入れとるで」
子ども向けのおやつのようだったラジオ焼きを大人も味わえるものにしたいと考えていた留吉さんは、この一言に反応。「ラジオ焼きのたこ入り」として販売を始め、翌36年には「たこやき」ののれんを掲げた。
現在、会津屋は大阪を中心に9店を営業する。店主は3代目の遠藤勝さん(42)。「祖父は農家の三男坊。福島から東京に出て、レストランで下働きをしていたところ、誘われて関西にやって来たと聞いています」。明石の客が言ったのは、だしにつけて味わう明石焼きのこと。兵庫の食べ物と、ひょんなことからやってきた東北人の機転でたこ焼きは誕生したらしい。
会津屋のたこ焼きは、生地自体に味をつけていて、ソースやマヨネーズはかけていない。料理研究家で会津屋と親交があった故土井勝さんは「手でつまめる日本料理」と話していたという。人気漫画「美味(おい)しんぼ」(作・雁屋哲、画・花咲アキラ)では「本物のたこ焼き」と紹介された。
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小麦粉などの粉を使った料理の研究者や愛好家が集まる「日本コナモン協会」会長の熊谷真菜さん(53)も「なぜ会津なのだろう」と思った一人だ。
立命館大学で卒業論文のテーマにたこ焼きを選び、以後10年間の調査の結果をまとめた「たこやき」を93年に出版した。会津屋をめぐるエピソードも調べ、本の中で「なにわのたこ焼きの誕生といってもいいだろう」と書いた。
熊谷さんは依頼に応じて各地で講演も引き受けた。ところが、年配の聴講者から「会津屋が売り出したころ、別の近所の店でたこ焼きを食べた」との証言がいくつも飛び出した。これはどういうことか。熊谷さんは「35年、会津屋とほぼ同時に大阪の複数の店でたこ焼きが焼かれ始めたのでは」と推測する。
なにはともあれ、会津屋は、大阪で現存する最古のたこ焼き店である。【関野正】