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フミコフミオ、夫婦生活を考える vol.3「妻そして僕の最期」

Yamur ve Deniz

 お久しぶりです。フミコフミオです。本日は特別に誰もが直面する「老い」や「人生の最期」に対して、僕たち夫婦が、どのような準備をしているかについてお話ししようと思う。参考にしていただけたら甚だ幸いだ。

心配性な妻

 妻は心配性だ。心配症の妻は、台風が日本列島に襲来するたびに「近くの川の様子を見てきて」といって写真を撮らせるために僕を河原まで走らせる。妻の行為が、純粋な不安からの行動で、その裏に悪意がないと荒れ狂う川の前で僕は信じている。いや信じたい。

 最近、妻の心配の対象が、台風や地震といった自然災害やUFOや地底人などの超常現象から、より身近な「老い」や「死」に関するものへと変わりつつある。今日、妻は、「老後」と「死」への不安で震えているのだ。やや特殊なのは妻の心配する「老い」や「死」が妻本人のものではなく、僕のものであるところだ。つい先日も、僕が突発的な事故などで亡くなったとき身元確認が容易にできるようにと歯科医に行かされた。歯はどこも悪くないというのに。すべては妻の不安を払拭するためである。

 老いは日々の暮らしの中に確実に侵攻してきている。無理もない。四十を越えてからの僕の体の衰えは顕著で、首痛・腰痛は酷くなるばかり、男性機能は減退したまま復活の狼煙をあげる気配はなく、吐く息は下水道や生ゴミを想わせるレベルで、来るべき老後を意識させる必要十分を満たしているからだ。

《もしも》の準備

 妻による僕の老いとの戦闘は激烈を極めている。僕の身に万が一何かが起こっても、自分が今と遜色ない生活を維持出来るように、僕を対象とした生命保険を見直し(受取人=妻の死亡保険金アップ)、そしてガン保険にも加入。新聞に公的介護保険についての記事があればそいつを切り抜き、「介護をする側の家族がどれだけ大変な苦労をすることになるのか。一考の資料として」という私見を記した付箋紙と共に壁に貼り付け啓蒙するようになった。

 また近い将来、僕がお亡くなりになったときのために《簡単に書けるエンディングノート》という便利なグッズを渡された。僕が不審の色を顔に出すと、妻は「君のためにやっていることです。これがあれば残していく家族のことを案じることなく旅立てます」とまだまだ死ぬには早すぎる僕に優しい言葉をかけてくれた。会話を進めていくうちに妻のいう「エンディングノート」が「エンディングノート」→「遺言書」→「遺書」→「ダイイングメッセージ」と不穏に変遷していったのが気になったけれども、きっと妻の心配症が僕にうつったのだろう。そう思うことにしている。

妻に《もしも》の出来事が起きたら

 その他にも妻はメンタルの安定のために『写経ノート』を始めたり、ペット保険や学資保険の資料を集めては、僕と、子供もペットもいない我が家でそれらについて議論している。将来について、夫婦であれこれ話し合うのは前向きでいいことだと僕は思う。その将来が訪れることがないものだとしても。

 一連の話合いの中で妻はこんなことも言った。「もし私に《もしも》の出来事が起きたらそのときは、延命措置はしなくていいです…」重苦しい空気が僕らのまわりを取り囲んだ。僕は、そう言い切ったときの、彼女の決意に満ちて凛とした眼差しを一生忘れないと誓う。いや、忘れてはならない。

僕に《もしも》の出来事が起きたら

 命についての考え方は人それぞれで、良い悪いも、正解、不正解もない。妻の己の命の扱いは妻自身が決めればいいし、妻だけが決められるものだ。その決断が、「可能性がゼロでないかぎり出来るだけ延命してほしいなぁ、人生は一度きりだから」という女々しい僕の延命についての考え方と真逆なものだとしても……。でも。もし。本当に。いざ。妻に不測の事態が起きてそのときが来たら、僕は妻の決断を決断出来るだろうか……。夫婦はどちらかが相手の命について決めなきゃならないそのときがやってくる。保険や貯金、その他いろいろな準備はあるけど最大の準備は《そのときへの覚悟》を持つことだと僕は思う。

 それはきっついなー。出来るなら僕が先に逝きたいなー。と沈思している僕に投げつけられた妻の場違いなほど明るい声を、僕は火葬されて骨だけになっても忘れないと思う。「私は決めたよ。だから、もし、君が、そういうふうになっても延命はしないから。とりあえず3日くらい粘ればいいですよね!」とりあえず……。
その夜、久しぶりに風呂で声を殺して泣いた。