『水木しげるの日本霊異記』水木しげる著 分からないことの快感を知る 【共同通信】
今なぜ、水木先生の新刊を読みたくなったのか、自分でもよく分からなかった。水木漫画の熱心な読者というほどでもない。しかし店頭で本書を見かけるやいなや、これは今読むべきだという心の声が聞こえたのだ。 私にとって、そういうことは年に何度もない。 『日本霊異記』とは、今から1300年ほど前に書かれた、というか成立したと言われる日本最古の仏教説話集である。そこにあるのはこちらとあちらの境目が曖昧で、妖怪や幽霊たちが跋扈する世界。 ある女は大蛇の子どもを孕み、ある男はシャレコウベになって自らを殺した兄弟に復讐をする。母親は死後に牛になり、財産を奪われた娘は観音様のご加護で再び豊かな生活を手に入れる。 仏教説話集であるので、そこに教訓めいたものがないわけではない。因果応報という理を知らしめるためのエピソードと言えなくもない。しかしそんなふうに言い切るにはどれも、話が整理されきっていない。よく分からない部分が残る。 水木先生もそこをあえて編集したり、自身の解釈を添えるようなことをしない。原典未読のためはっきりしたことは言えないけれど、不思議なものを不思議なまま漫画にされているようである。 分からない部分があるというのは、多くの場合、不安を生むことになる。 たとえば経済に疎い私は、人民元が切り下げられたことによって、なぜ世界中の株価が乱高下するのかよく分かっていない。もっと卑近な例で言うならば、明日電話しますと言っていた仕事相手から2週間も連絡がない理由も判然としないのである。分からないのは不安である。 しかし世の中というものはそういうものなのかもしれない。理解を超えるような物事で満ちあふれているし、私の意志でなんとかできることなど限られているのだ。 本書の中で、妖怪や幽霊たちからそんなことを今更、あらためて教えてもらおうとしている自分が浅ましいようにも思えるのだけれど、不思議なものたちに囲まれる読書体験は、間違いなく快感であり、どこか希望を感じさせてくれるものでもあった。 (角川書店 1500円+税)=日野淳 |