子供の頃から『動物園』が苦手だった。
動物は大好き。見るのも、触るのも、育てるのも。
だから、動物園に足を踏み入れた最初の何歩かは、すごく楽しい。
わぁー、フラミンゴきれい!!
あ、ゾウがいる!!
モルモットかわいいー!!
でもね、歩みを進めて行って、4番目、5番目、6番目、7番目・・・暗くて、狭いオリの中でほとんど動かない、またはそわそわと落ち着かない動物たちを見ていくと、やっぱりどうしてもね・・・可哀想になってしまって・・・素直に、はしゃげない自分がいる。
確か、上野動物園へは小さい頃に親と2回、学生の頃に友人と2回。
あと東武動物公園へ、学生の頃1回。
どっちの動物園も、場所柄のせいか・・・比較的・・・動物のオリが狭い・・・。
上野動物園は、ゴリラだけは優遇されて、すごく広い場所で悠々と暮らしてた気がするのだけど。
東武動物公園へは、20年くらい前、1度行ったきり。トラだったか、ヒョウだったか・・・暗くて狭いオリの中で、行ったり来たりを繰り返している姿が忘れられない。
どっちの動物園も、やりきれない気持ちになってしまって・・・いくらパンダがいるからといっても、自分の子を連れて行く気に、どうしてもなれない。
だからといって、どこぞの動物愛護団体のように『動物園反対!!』とか、自分の中で明確な意見を持てているわけではない。
親になって、子供と一緒に行った、多摩動物公園やズーラシアは、オリ・・・とはいわないような、とても広い場所の中で、キリンとシマウマとダチョウが一緒にいたり、ゾウは何頭も一緒にいてなんだか楽しそうだったり、水牛が池にどっぷりつかっちゃっててほとんど見えなかったり、上野動物園や東武動物公園とは違って、動物たちが生き生きとしているように私には見えたから。
そりゃ、自然の中の姿とは全然違うのかもしれないけれど・・・。
特にズーラシアでは、え?トラ?どこどこ?いないじゃ・・・あ、あそこにかろうじて耳だけ見える!!みたいなのの連続で、動物が木や草むらに隠れちゃってたり、遠くにいすぎて、ちっとも見えなかったり。でも逆にそれが私には嬉しかったというか、ホッとしたというか。
多摩動物公園では、死んでしまってもういない動物の写真を、名前入りでずっと飾っていたり、その写真もちゃんときれいに手入れされていて、飼育員さんの愛情を感じた。
そんな動物園にいる動物は、捕まえられて、野生動物なのに人間に飼育されて、確かに不自然な環境、不自然な姿には違いないんだけど、でもやっぱり、子供の頃に、本物のキリン、本物のゾウ、本物のライオンを見る経験って、自然について学ぶ上で、貴重なような、大事なような、必要・・・とまでは言わないけれど、とても印象に残る体験なんじゃないかなという気がしなくなくもない。
そのために野生動物を捕まえて飼っていいのか?
うーん・・・ダメですか・・・?
そんな経験を子供たちにさせてあげたいと思うのは、人間のエゴなのか・・・?
でも不自然だろうと何だろうと、写真や映像じゃ伝わらない何かを、子供たちが感じられる場所になっていることは、間違いないと思う。
そんな答えの出ない問題を、もうずーっと前から、心の片隅で考え続けている。