「いじめられることは恥ずかしいことじゃない」
いじめられていた頃、この言葉ほど自分を追い詰める言葉はなかった。
教師はそう僕たちに訴える。僕と僕をいじめていた人たちはその言葉を聞き、今やられていること、やっていることはいじめじゃないと思い込む。
何故なら僕が悪かったからだ。最初に友達だったクラスメイトを育ちが悪いと馬鹿にして笑ったのは僕だったからだ。
だから何をしても良いとクラスメイトの一部はエスカレートしていき他のクラスメイトは自業自得だと看做す。僕自身、自分が悪いから仕方ないと諦め自分が最低な人間であることを大切な両親にだけは露呈しないよう必死で隠す。
地獄だった。
だが、今は思う。いくら僕が悪くてもいじめられていいわけはないんだ。だって彼らは罰を与えたくていじめていた訳じゃなく、僕という人間がいじめても正義側でいられる人間であることを利用して徹底的に甚振ることを楽しんでいたんだから。
僕ほど分かりやすくなくてもいじめの大半はいじめ側に正義がある。空気を読まない、性格が悪いなど下らない理由でもそれを盾にいじめる。だからコミュニティ内では教師も含めていじめられても仕方ないという空気が形成される。
原因はいじめられる側にあるが、悪いのはいじめる側にある 大事なのは歩み寄り いじめる側もいじめられる側もお互いが変わらなくちゃいけない 今はいじめられる側をかばいすぎてお...