西本秀 志村英司
2015年8月16日03時13分
■平和のすがた〈3〉責任
戦没者は、いまも増え続けている。
〈今次戦争による生死不明者に対し、戦時死亡宣告の申し立てがありました〉
先月10日付の官報に、戸籍上104歳になる、ある男性に関する仙台家裁の告知が掲載された。今月30日までに生存の情報が寄せられなければ、死亡したとみなされる。
男性は宮城県出身の小野周之助。旧満州(中国東北部)の鞍山(あんざん)郊外で、日本人学校の校長を務めていた。
長男の一雄(77)によると、テニスが趣味で、厳冬期は校庭に水をまいて児童とスケートに興じる「優しいスポーツマン」だった。だが終戦後の1946年、混乱のなか家族と生き別れた。35歳だった。
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