【動画】インドネシア・パプア州では旧日本兵とみられる遺骨が放置されたままになっている=志村英司撮影
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■平和のすがた〈3〉責任

 戦没者は、いまも増え続けている。

 〈今次戦争による生死不明者に対し、戦時死亡宣告の申し立てがありました〉

 先月10日付の官報に、戸籍上104歳になる、ある男性に関する仙台家裁の告知が掲載された。今月30日までに生存の情報が寄せられなければ、死亡したとみなされる。

 男性は宮城県出身の小野周之助。旧満州(中国東北部)の鞍山(あんざん)郊外で、日本人学校の校長を務めていた。

 長男の一雄(77)によると、テニスが趣味で、厳冬期は校庭に水をまいて児童とスケートに興じる「優しいスポーツマン」だった。だが終戦後の1946年、混乱のなか家族と生き別れた。35歳だった。