「服を買いにいく服がない」というキャッチコピーがある。
それと似ていて、困ったときには、人に話をしたら、楽になるよ、と教えてもらっても、
つまり、困ったときに人の助けを借りるほどのスキルが、ない、ということだ。
『人に話すのが、苦痛だ』という人間は、本当に、どうしたら良いのだろうか。
結局、少しずつでも、話せる力やら表情に自分の感情を表す力をつけないと、いけない。
人類って、言葉・言語を発明して、他の霊長類とは違う道を歩んだのであるだろうし。。
私自身は、
なんでもない社交辞令てきな挨拶や軽い冗談は話せても、更に宴会では、ちょっとした盛り上げ役に回ることが出来ても、
本当の自分を話すことが苦手だ。
ドモリ症とか赤面症とかでは、ないけれど。
「悲しい」という気持ちがあって、『「その悲しいを共感して貰えない」かったら、もっと悲しい』という経験をしてきたり、
「その話し方は、可笑しいよ」とかって指摘されたりすることが、辛いので、
自分の内面を明かす、ということに心理的な抵抗があるし、経験が少ないから、自分の辛い状況を話す技術も磨かれないし。
もちろん、ある程度は、
話をするんだけど、
話し終わった後に
「カウンセラーの人にも、気を遣っちゃうのよね。分かるわ。残り時間がわずかだから、まとめに入らなきゃ、とか、考え過ぎちゃうのよね...
...子供の頃に深い傷を負った人でも、感情に言葉を与えることで、楽になると、思うの。だから、話した方が良いわよ」
とか
「それは辛かったね。自分の頭を整理するためにも、話をした方がいいよ」
えー。
口下手な両親の元に生まれてきて、コミュニケーションで苦労しているってことを伝えたかったのに...
「『大変だったんですね』『凄い努力をされてきたんですね』って言って貰えなかった、と考えると、また、辛い」
(今、思えば、こんな努力した私を認めて欲しいという欲求を私は持っているのかも。)
頭では、その人達は善意で、「話した方がいい」と言ってくれていることは、頭では理解できるのに、
心を開いて、話せるように訓練しなきゃとも、思うのだが、
過去に勇気を出して話したこと後で、『何言ってるのか分からない』と、言われた経験があっった。
どうも、言えない。
または、PTSDのように深い傷がまだ癒えていなくて、「話して」に対して過大に身構えてしまう。。
どうも、本当は、「自分の心の中が散らかっている」なら散らかっているなりに、その状態を整理するためにも、話した方がよいということのようだ。
話した方が良いようだが、普段から、人間としての信頼を得ていないと、
「また、変なこと言ってるよ、この人」と思われるのが怖いので、
やっぱり、相手を選んで、話した方が良いよってことなのかな....。