やっぱりロボットは東大に入れない!? ──人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」(前編)
自然言語処理と数理的処理の融合の可能性を探る
今後の人工知能研究のなかで、新井さんが特に注目しているのが「自然言語の処理と数理的な処理の融合」だ。
「単体の人工知能ではなく、それらを融合すると何ができるのか。もともと数理的な処理はコンピュータがもっとも得意とするところ。そこに正確性を持った自然言語の処理が接合されることでどうなるのか、とても関心があります」(新井さん)
(写真左から)東ロボプロジェクトの理数系チーム。岩根秀直さん、横野光さん、穴井宏和さん、松崎拓也さん
「自然言語処理と数理的処理の接合」は、プロジェクトでは数学チームが進行している。この数学チームに参画しているのは、名古屋大学大学院工学研究科(電子情報システム専攻)准教授の松崎拓也さんと、富士通研究所の穴井宏和さん、岩根秀直さんだ。
解答を導き出すために“翻訳”を繰り返す
数学の問題で解答が導かれるプロセスを端的に言うと、「○○が△△であるとき、その値を求めよ」といった日本語の問題文を、計算処理ができる一種の暗号のような状態にまで『翻訳』を繰り返す」ということになる。具体的には下図のような手順でなされている。
東ロボくんの数学問題求解フロー。言語解析の後、データベースをもとにすべて数式に置き換え計算処理を行う
(提供:東ロボプロジェクト 雑誌FUJITSU2015-7月号 Vol.66, NO.4 より抜粋)
自然言語処理を担当する松崎さんは、「辞書を使って問題文に書かれた一字一句の単語を集め、その意味を考える」というプロセスを構築している。
「問題全体を表す数式ができあがると、次はその数式の意味を検討します(上図における「言語解析」)。たとえば『どんな数でも割り切れる数が存在する』と書かれた問題文ならば、ふつうに考えると『そんな数は存在しない』ということになる。でも、『どんな数(について)でも(その数で)割り切れる数が存在する』という解釈もできますよね。常識がないとどちらか選べない2つの解釈に対し、『内容からしてこっちだろう』と判断できるようにするのが、人工知能研究のポイントです」(松崎さん)
数学&物理の解答を導き出す“ソルバー”と“物理シミュレーター”
計算処理以降を担当するのが、富士通研究所。岩根さんは「前段のプロセスを経て、論理表示(数式)に翻訳された問題文は、数学知識が詰め込まれたデータベースをもとに書き換えられ、計算処理の前段階の入力表現ができあがる。それが処理されることで解答が導かれます」と解説する。
計算処理を担当する富士通研究所の岩根さん
その過程に欠かせないのが、「QE(限量記号消去)ソルバー」と呼ばれる計算アルゴリズムだ。岩根さんと同僚である穴井さんは、富士通研究所でQEを用いた計算ソフトウェアの研究をしていた。穴井さんは、2011年には本も出版。その本の例題として、入試問題を取り上げた。そんな折、東ロボプロジェクトのキックオフシンポジウムが開催され、新井さんが講演でQEへの期待を言及、これを契機に穴井さんも参画することになった。
「世の中には、数学ができないと使いこなせない技術があります。そうしたものを広めるのがかねてから私のミッションでした。自然言語で与えれば自動的にソルバーが解答を導いてくれる。そんな『自動化』を究極的に極めていくことが、人をエンパワーメントすることにもつながるはずです」(穴井さん)
他方、NIIの横野光さんは物理を担当している。物理の場合も「自然言語処理」されるところまでは同じだが、数学のように数式に置き換えるのではなく、現実的な世界のものとしてシミュレーション可能な「物理シミュレータ」というソフトウェアを使っているのだという。
物理シミュレータを用いた解答プロセス
(提供:東ロボプロジェクト)
「たとえば、おもりとバネの位置関係もシミュレータに取り込み、問題文に書かれた状況をシミュレーションすることでおもりの速度などを実際に数値で獲得し、それを用いて問題に解答します。今は力学の問題のみに対応していますが、波動や電磁気など、対応できる分野を拡大していきたいです」(横野さん)
機械と人間が共存できる“処方箋”をつくるために
国や企業に括られず、あらゆる研究者を巻き込みながら進められている東ロボプロジェクト。再び新井さんに、私たちの仕事がこれからどうなっていくのか伺うと、最後にこんな未来について話してくれた。
NII社会共有知研究センター長/東ロボプロジェクト プロジェクトリーダー 新井紀子さん
「私は法学部出身ですが、人工知能によって弁護士の仕事は大きく変わるでしょう。判例がデータベース化されれば、人工知能が裁判で似たようなケースを検出できるようになります。すると“判例を覚えている”という能力は、弁護士にとって必ずしも問われなくなるでしょう。それよりも法廷で戦う弁論術などがより問われるようになり、弁護士は高度な裁判に携わるタイプと、人工知能を利用し検索で求刑を導くタイプとに分かれていくのです」(新井さん)
このことは何を意味するのだろうか。
「パソコンやインターネットが普及して個人事業主が仕事をしやすくなったのと同様に、人工知能でオーバーヘッド(会社経営で日常的に発生する間接経費)が減れば、働き方に対する価値観も変わるはずです。たとえば、起業するときに『最低でも3億円を売り上げないと……』と考えるのと『1500万の売り上げでもOK』だったら起業の選択肢も後者の方がだいぶ広がるでしょう。ホワイトカラーの次、1500万と3億の間の隙間こそがこれからのビジネスにおいてのブルーオーシャン。『仕事を奪われるからラッダイト(機械破壊)する』というような考えではなく、それぞれが違うことをしながら1500万円ずつ稼げる、そんな多様な働き方を想像してほしいですね」(新井さん)
人工知能研究の先には、機械が人間の仕事をまるごと奪っていく未来があるわけではない。新井さんの言葉を借りれば、有益な機械と人間が共存できる「処方箋をつくること」が、私たちに課せられた大きな命題なのではないだろうか。