韓国の公州・扶余(忠清南道)、益山(全羅北道)にある8遺跡が先ごろ「百済歴史遺跡地区」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されたことを受け、ソウル市が風納土城(松坡区風納洞)の世界遺産への拡張登録を推進する姿勢を示している。
だが、風納土城をめぐっては漢城(ソウル)に都があった漢城百済時代(紀元前18年~紀元後475年)の王城であるかどうかについて諸説あり、地元住民の転居や発掘に2兆ウォン(約2168億円)ほどを要するため、世界遺産登録の推進には反対意見もある。
13日午後3時からソウルのプレスセンターで開かれた歴史セミナーでも、風納土城が王城であるかどうかについて専門家からさまざまな意見が出された。忠南大のパク・スンバル教授ら「百済王城説」を支持する専門家らは「百済の王宮で使われていた瓦などの遺物が風納土城から多数発掘された」とし、明らかに百済の王城である風納土城に対する発掘調査を続けるべきだと主張した。
これに対し、歴史文化研究所のイ・ヒジン所長らは「三国時代の王城は大半が数百万坪規模だったが、わずか20万坪にすぎない風納土城を王城と見なすには根拠が足りない。防衛のために建てられた城を無理やり王城と決め付け、発掘を理由に風納洞の住民たちの財産権を侵害している」と反論した。
風納土城は高さ11メートル、総延長3.7キロで、1963年に史跡地に指定された。90年代末のマンション建築中に土器のかけらなど百済の遺物が多数見つかったことで百済初期の王城跡だとする説が提起され、本格的な保存・発掘が推進された。だが、それから20年がたった現在まで、王城だったという決定的な証拠は見つかっておらず、同地の開発制限により住民の財産権ばかりが侵害されているとの指摘が出ている。こうした中でも、ソウル市と文化財庁は風納土城を百済の王城と見なし、発掘・復元を続ける姿勢を示している。
風納土城の4エリアのうち、百済の遺物が多く分布しているとみられる第2、第3エリアの住民に対する補償費用は約2兆ウォンに上るが、費用の工面は簡単ではない。これに対し、文化財庁は1月「第2エリアだけを住民の転居対象とし、第3エリアでは開発を認めて補償費用を8000億ウォン(約867億円)まで下げる」と発表した。一方、ソウル市は第2・第3エリア全体を保存する考えで「足りない予算は地方債を発行してでも調達する」としている。