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 中世博多(福岡県)の発掘調査で出土した12世紀の瓦が、中国沿岸部で作られたことがわかった。鹿児島国際大が科学分析し、9日発表した。日宋貿易が展開した当時の、日中交流の実態を物語る成果だ。

 同大は、国際貿易港だった博多遺跡群(福岡市)や箱崎遺跡(同)出土の草花文が描かれた軒丸瓦を3D計測で正確に測り、中国南宋代の貿易港として栄えた寧波(中国浙江省)の瓦と比べた。その結果、両者はピタリと重なり、同じ型で作られたことが判明。土の組成も一致し、中国製の瓦がはるばる日本に運ばれたことが明らかになった。博多に拠点を置いた中国商人がかかわった可能性が強いという。

 これまで壱岐(長崎県)と平城京(奈良県)とで瓦が一致した例はあるが、国境を越えて約千キロも離れた例は聞いたことがないという。国内出土の中国系瓦については、搬入説のほかに中国工人が日本で作ったとの見方もあり、中国製か日本製か決め手に欠けていた。また、鹿児島県の薩摩半島西部や黒島出土の瓦も寧波の土と判明した。