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古谷経衡のコンシューヨンダ! 第36回()

学生団体「SEALDs」に感じる「危うさ」と「嫉妬」

所謂「安保法制」に対する抗議行動を毎週金曜日に官邸前で行っている「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)が、いま大きな話題になっている。

古谷経衡のコンシューヨンダ!
第36回

 所謂「安保法制」に対する抗議行動を毎週金曜日に官邸前で行っている「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)が、いま大きな話題になっている。テレビ朝日『報道ステーション』を筆頭に、週刊誌を含め各種メディアがこぞってその街宣や抗議行動の模様を伝えている。

 週刊ポスト7月17・24日号は、「総理がSEALDsを非常に気にしている」として彼らを取り上げている。官邸をも巻き込む勢いの「SEALDs」は、内閣支持率がじわじわと落ち続ける安倍政権にとって、いまや「台風の目」的存在となっている。18歳選挙権が次回選挙で実施される目算の強い現状、若年層の政治的動向を語る上で「SEALs」は欠くことの出来ぬ存在である。

 その「SEALDs」に対する私の個人的感想を言えば、それは「危うさ」と「嫉妬」。この二つが同居しているという状況である。

■全てを正当化され寵愛された若者が迎える結末

 まず「危うさ」とはなにか。「SEALDs」が街宣で放つ言葉の数々から、確かに彼らがよく勉強していると感じる部分もある。しかしその反面、用意された私製台本(ポエム調のもの)をスマホで確認しながら喋るという場面も散見され、その内容もさることながら「体面」ばかりを重視した未熟さが漂っている。

 加えて、例えば6月27日に実施された渋谷ハチ公前での街頭演説では、共産党の志位和夫委員長や菅直人元総理、山本太郎議員などが応援演説に駆けつけるなど、既成のリベラル政党や議員に「良いように利用されているのではないか」という疑念も残る。彼らが圧倒的に若い存在であるが故に、「大人につけこまれているのではないか」という恐れを感じる。

 ティーンにとって、渋谷での街頭演説という政治活動経験には快感が伴う。政治活動の担い手は右も左も高齢化している。そうしたなかで、圧倒的に若い10代や20代が喋れば、その内容の程度を度外視して、既存の組織内構成員から絶賛を受けるからだ。

 かくいう私も、かつて右派の集会でそういう目にあった。「若い」「20代である」というだけで、私の言説はすべて正当化され、寵愛の対象となった。「SEALDs」も、「若い」というだけで既存のリベラル勢力から盲目的に寵愛され、結局は彼らの勢力圏に配置され、都合の良い「広告塔」として機能させられるのではないか―。そのような危惧は、確実にある。

 若い頃から政治活動や運動にのめり込んでも碌なことはない。「若い」というだけで周囲から下駄を履かされた若者には、必ず自意識が芽生える。やがてその自意識は己を蝕む凶器となって当事者に復讐する。

 若い頃から政治活動にのめり込む人間は、かつての連合赤軍や現在の「在特会」の一部がそうであるように、おおよそ悲劇的な結末を迎えて終わる。私が「SEALDs」に感じる「危うさ」とはこのようなものだ。

■右派の言う「若い」は40代

 一方、「嫉妬」とは、彼らの圧倒的なスタイリッシュさである。「SEALDs」の街宣活動で演説する学生たちは、お世辞抜きで、皆垢抜けていて、都会的だ。特に女子学生はへそ出しルック(この死語を選定しなければならないほど、私は老いている)やピアスを身につけ、週末に渋谷のクラブハウスでオールをしていても何の不自然さもない洗練されたティーンである。このような若者は、少なくとも「右」の方には存在していない。

 私は従前から「若者は右傾化していない」という論(拙著『若者は本当に右傾化しているのか』など)を唱えているが、正しくその証左が彼ら「SEALDs」である。右派の集会や街宣活動では、頭髪が白くなっているか、あるいはそもそも存在すらしていないようなご高齢の参加者が圧倒的多数を占める。彼らの中で「若い」という世代は、10代や20代ではなく、おおよそ40代だ。そのような右派界隈の状勢を皮膚感覚としてつぶさに観てきた私にとって、本当の意味での「若者」が主体となって活動している「SEALDs」には、嫉妬を覚えるというのが本音だ。

■「リア充は無知で馬鹿」という願望

 彼らくらいの年齢の頃、私はただひたすら同性のうだつのあがらない友人と『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らき☆すた』の話で盛り上がっていた。一方の彼ら「SEALDs」はと言えば、スマートに、かつ洗練された様式で政治や社会のことを口にしている。その姿には同世代だけでなく、広く大衆を引きつける力があるようにすら感じる。なまじ私の青春時代が暗かったことも手伝っているのだろう。クラブハウスでオールをしていそうな女子が、政治や社会や政府に意見具申してメディアで取り上げられている様に感じるのは、「嫉妬」以外の何物でもない。

 私のような人間にとって、彼らは「白痴」でいて欲しい存在である。当世のファッションや流行に敏感な若い世代は、政治や社会の出来事に無知な馬鹿であって欲しい、という願望が根底にある。が、彼ら「SEALDs」は違う。私が思い描いていた青春時代の最高の姿。つまり「遊びも社会意識も高い」という無双の存在こそが「SEALDs」である。「遊び」と「社会意識」のどちらか一方に偏重した青春を送ってきた世代にとっては、その両方をスマートに実現しているかに見える「SEALDs」に感じるのはただ嫉妬である。私はこの事実を素直に認めざるをえない。

■「SEALs」と右派の間にあるセンスの差

 高齢者と中年層が主体の「右派」における集会や街宣界隈を嫌というほど観てきた私にとって、否応なく「SEALDs」は嫉妬の対象に成る。まず彼らの洗練されたWEBサイトを見てみよ。表参道のカフェやバーの入り口に置いていそうなフライヤーのデザイン性がトレースされている。私からすると、まさに完全なる「敗北」である。「◯◯糾弾国民総決起集会」とか、「◯◯新聞廃刊!」云々の教条的でセンスの欠片も無い、冷戦時代から何ら変わることなく継続されている活字檄文だらけの右派の集会ばかり観てきた私にとって、「SEALDs」の洗練性は瞠目するべきものだ。

 かつてこんなことがあった。某航空幕僚長が立候補した東京都知事選挙で、関係者が「若者や女性に訴求する応援演説の重要な助っ人がやって来ることが決まった!」と息巻いていた。私は、どんな有名な芸能人やアイドルが応援演説に駆けつけるのかと楽しみにしていたが、結局その関係者が言っていた「助っ人」とは、インドネシア共和国の大統領の元婦人であった。

 この事実に私は、膝から崩れ落ちるほどの衝撃を受けた。「右派」の大衆訴求センスとは、この程度の、まったく大衆の皮膚感覚からズレた異形のものだったのである。当然、その立候補者は都知事選挙で敗北した。よもや「SEALDs」とは比べようもない。「右派」の政治運動のセンスの無さは、その集票という残酷な現実の数字によって2014年の東京都知事選挙と、同年の衆議院議員選挙で証明されてしまった。

「SEALDs」は老人と中年が支配する「右派」の政治センスや感覚を超越したものを、何のためらいもなく皮膚感覚でトレースする行動団体だ。ティーンが右を向かない(右傾化していない)という事実は、無理もない。彼らの洗練性に「右派」は何から何まで打ち勝っていない。

 その意味で、繰り返すように、私は「SEALDs」に対して猛烈な嫉妬の感情を持っている。その無意識に醸しだされる洗練性に。それが無意識であればあるほど、私の劣等感の輪郭が炙りだされる。

 それを当世的には「リア充」と呼んでも差し支えなかろう。彼らが当たり前のように、午後のティータイムにレモンティーを飲む動作すらも、「右派」はそのたった一片でも模倣出来ないのだから。これが右派の限界なのかと、脳天をバットで殴られたような衝撃とともに、猛烈な嫉妬が私を襲うのだ。

 よって私は「SEALDs」が大嫌いであり、そして、大好きである。

古谷経衡(ふるや つねひら)
評論家 1982年札幌市生まれ。
主な活動:インターネットとネット保守、マスコミ問題、若者論などについての執筆・評論活動など。著書:『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『知られざる台湾の反韓』(PHP)、『もう、無韓心でいい』(WAC)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト))、『反日メディアの正体』(KKベストセラーズ)、『クールジャパンの嘘』『ネット右翼の逆襲』(ともに総和社)など多数。

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