• 「七人の侍」と“百姓”と飯

    スクリーンの餐 [103]

     2015年6月26日

    今回は先日ハリウッド殿堂入りが決まった故三船敏郎氏の代表作の一本である1959年製作の黒澤明監督作品「七人の侍」を取り上げる。

     本作は、言うまでもなく日本映画史上屈指の名作であり、その素晴らしさについては語り尽くされた感があるが、今回は侍が百姓から得た唯一の報酬である“飯”に焦点を絞って述べていく。

    ご馳走を食わせてやる

    「七人の侍」は、従来の歌舞伎の影響を受けた“白塗り時代劇”から脱したリアルな時代劇を目指して企画された。黒澤は、ベネチア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞した「羅生門」(1950)ですでに同様の試みをしていたが、それは武士が登場する以前の平安時代の話である。

     前作「生きる」(1952)に続いてトリオを組んだ橋本忍、小国英雄とのシナリオ構想中に、武者修行中の浪人がいかに食い扶持を得ていたのかという疑問から、百姓に雇われた侍という発想が生まれたという。

     また黒澤には、従来のアクション映画で十分に描かれてこなかった登場人物一人ひとりの人間性を徹底して描き、それをドラマとアクションにリンクさせることで、今まで「お茶漬けサラサラの映画を食わされてきた」観客たちに、「ご馳走を食わせてやろう」という狙いがあったという。

    「この飯、おろそかには食わんぞ」

    百姓たちに湯気の立った山盛りの飯茶碗を差し出す勘兵衛の手のアップ「この飯、おろそかには食わんぞ」

    百姓たちに湯気の立った山盛りの飯茶碗を差し出す勘兵衛の手のアップ「この飯、おろそかには食わんぞ」


    「腹の減った侍探すだよ。腹が減りゃ、熊だって山下りるだ」(村の長老・儀作のセリフ)。

     まずは、野伏せり(野武士)による度重なる略奪に困窮した村から、侍探しの旅に出た利吉(土屋嘉男)、茂助(小杉義男)、万造(藤原釜足)、与平(左卜全)の4人の百姓たちと、後に戦いのリーダーとなる歴戦の侍・勘兵衛(志村喬)との出会いの場面から。

     勘兵衛は、盗人(東野英治郎)が幼児を人質にとって納屋に立て籠もっているのを見かけると、その場に居合わせた僧侶から袈裟を借り、自ら髪を剃って僧侶になりすます。そして幼児の母親から受け取った握り飯を持って納屋に近付き、盗人に握り飯を与えて相手が油断した一瞬の隙に盗人に斬りかかって倒す。これは江戸時代に記された剣豪列伝「本朝武芸小伝」の上泉伊勢守のエピソードを引用したものだ。

     握り飯一つで幼児を救い出した勘兵衛を見込んだ百姓たちは、腹いっぱいの米の飯を食わせることを条件に村の防衛を依頼する。そして、勘兵衛の鮮やかな手際に魅せられて弟子入りを志願する武者修行中の若侍・勝四郎(木村功)と、着流しに長刀を担いだ正体不明の野生児・菊千代(三船敏郎)も、彼らに同行することになる。

     勘兵衛は、百姓たちに同情はしたものの、40騎という野武士に対抗するには最低7人の侍が必要であると分析し、負け戦を重ねた末に浪人となった厭戦の思いからいったんはその申し出を断る。しかし、木賃宿に同宿する人足(多々良純)から、侍たちに米の飯を食わすために百姓たちは稗(ひえ)で我慢していることを聞くと、彼らに湯気の立った山盛りの飯茶碗を掲げ、こう言い放つ。

    「この飯、おろそかには食わんぞ」

     それは、金や出世とは無縁の侍の誇りを賭けて、苦衷(くちゅう)のさなかにある百姓たちを救おうという決意の表明であった。

    半農半侍の男

    野武士との戦いのシンボルとして平八が拵えた旗。田んぼの「た」は百姓、6つの丸は侍、三角は半農半侍の菊千代を表している

    野武士との戦いのシンボルとして平八が拵えた旗。田んぼの「た」は百姓、6つの丸は侍、三角は半農半侍の菊千代を表している

     かくして参謀格の五郎兵衛(稲葉義男)、ムードメーカーの平八(千秋実)、勘兵衛の元部下・七郎次(加東大介)、寡黙な剣豪・久蔵(宮口精二)の4人を加えた7人の侍が村に到着するが、百姓たちは強者への恐れから家の中に隠れて誰も出て来ようとしない。この、侍たちが腹を立てて帰っても仕方のない状況を打ち破ったのは、百姓出身の菊千代である。その習性を知り尽くした彼が、野武士の襲来を知らせる板木を打ち鳴らすと、臆病な百姓たちはパニックを起こして掌を返したように侍たちに助けを求めるのだった。以後菊千代は、しばしば百姓と侍の立場の違いからくる摩擦の緩衝材として立ち回ることになる。

     三船敏郎は、この菊千代を憑かれたようなノリで嬉々として演じているのだが、その中でも最も印象的なのは、落武者狩りで得た武器を隠し持っていた百姓たちに激昂する侍たちに、彼が啖呵を切る場面である。

    「お前たち、一体百姓を何だと思っていたんだ。仏様だとでも思ってたのか。
    笑わしちゃいけねえや。百姓くらい悪ずれした生き物はねえんだぜ。
    米出せって言やねえ、麦出せって言やねえ。
    何もかもねえって言うんだ。ところがあるんだ。何だってあるんだ。
    床板引っぺがして掘ってみな。そこになければ納屋の隅だ。
    出てくる出てくる。甕(かめ)に入った米、塩、豆、酒
    山と山の間に行ってみろ。そこには隠し田だ。
    正直づらしてペコペコ頭下げて嘘をつく。何でもごまかす。
    どっかに戦でもありゃ、すぐ竹槍作って落武者狩りだ。
    よく聞きな、百姓ってのはな、けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、間抜けで、人殺しだ。
    だがな、そんなケダモノ作りやがったのは一体誰だ。
    お前達だよ、侍たちだってえんだよ。
    戦のためには村あ焼く。田畑踏ん潰す。食い物は取り上げる。人夫にはこき使う。
    女はあさる。手向かえば殺す。
    一体百姓はどうすればいいんだ。百姓はどうすればいいんだ。ちくしょう。ちくしょう」

     この菊千代のセリフに心動かされるのは、現代に生きる我々も「けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、間抜け」な百姓たちと似たところがあるからではないだろうか。そしてこのセリフに込められたメッセージこそ、本作のテーマだと思えるのである。

    唯一の報酬も還元

     同じ頃、別行動をとっていた勝四郎は、花畑で髪を切り男装した百姓の娘・志乃(津島恵子)と出会う。彼女は侍に娘を取られることを心配した父の万造によって男の姿にされたのであるが、結果的に万造が心配した通りに2人は恋に落ちることになる。

     勝四郎の最初の求愛行動は、彼が村防衛の唯一の対価として得ている白い米の飯を彼女に分け与えることだったが、彼女はそれを久右衛門の婆様(三好栄子)にあげると言う。婆様は、家族をすべて野武士に殺され、自分も早くあの世に行くことを望んでいるこの村最大の被害者であった。かつて侍探しの旅の途中で白米を盗まれた百姓たちにひそかに金を与えたこともある勝四郎は、彼女を哀れに感じて飯を残して与えるようになる。

     すると剣の稽古に行った裏山で勝四郎と志乃の逢瀬を見かけた久蔵も、夕餉の際に「いいからお前は食え。今度は俺が残す」と言ったことから侍全員がその事情を知ることになる。勘兵衛曰く「自分を叩き上げる、それだけに凝り固まった奴」と思われていた久蔵の意外な一面を示すエピソードだが、他の侍たちもその日から稗を食っている百姓の子供たちに米の飯を分け与えるという優しさを示すのだった。しかし「その代わり姉ちゃんを紹介しろ」と子供たちに迫るのがいかにも菊千代らしく、楽しい場面となっている。

    刈り取りと田植え

     収穫の季節が来ると、菊千代待望の娘たちが刈り入れ要員としてどこからともなく沸いて出てきた。万造と同様に多くの百姓たちは娘を隠していたのである。

     この映画を最初に観た時に疑問に思ったのは、刈り取りのシーンの後のラストシーンでは田植えが行われていて、季節が逆ではないかということだった。しかしそれは大いなる勘違いで、ここで刈られているのは麦であり、この映画の舞台である戦国時代にはすでに麦と米の二毛作の技術が確立していたのである。思い返せば冒頭の村を偵察しに来た野武士の「去年の秋、米をかっさらったばかりだから何もあるめえ、あの麦が実ったらまた来るべえ」というセリフもそれを裏付けている。

     そして予告通り、麦の収穫が終わった頃に40騎の野武士が襲来し、7人の侍と彼らに組織された百姓たちとの雌雄を決する凄惨な雨中の決戦が行われるのだが、それについては多くを語るまい。この場は、田植えを眺めながら勘兵衛が呟く「今度もまた負け戦だったな。勝ったのはあの百姓たちだ」というセリフと、黒澤明が本作の予告編のために自ら書いた一文をもってこの稿を終えることにする。

    時は戦国。

    ある山間の小さな村に侍の墓が四つ並んだ。

    野心と功名に憑かれた狂気の時代に、全く名利を顧みず哀れな百姓たちのために戦った七人の侍の話。

    彼らは無名のまま風のように去った。

    しかし、彼らのやさしい心と勇ましい行為は今なお美しく語り伝えられている。

    彼らこそ侍だ!

    ※おことわり:文中一部不適切な表現がありますが、映画製作当時の時代背景を考慮し、映画で使用された表現をそのまま使用しています。

    参考文献:
    「黒澤明と『七人の侍』」(朝日文庫) 都築政昭 著、2006年3月、朝日新聞社
    「『七人の侍』と現代」(岩波新書) 四方田犬彦 著、2010年6月、岩波書店

    【七人の侍】


    「七人の侍」(1954)

    ◆作品基本データ
    製作国:日本
    製作年:1954年
    公開年月日:1954年4月26日
    上映時間:207分(前半107分・休憩5分・後半95分)
    製作・配給:東宝
    カラー/サイズ:モノクロ/スタンダード(1:1.37)
    ◆スタッフ
    監督:黒澤明
    脚本:黒澤明、橋本忍、小国英雄
    製作:本木莊二郎
    撮影:中井朝一
    撮影助手:斎藤孝雄
    美術:松山崇
    美術助手:村木与四郎
    美術監修:前田青邨、江崎孝坪
    美術小道具:浜村幸一
    音楽:早坂文雄
    録音:矢野口文雄
    録音助手:上原正直
    音響効果:三縄一郎
    照明:森茂
    照明助手:金子光男
    編集:岩下広一
    衣裳:山口美江子(京都衣裳)
    結髪:中条みどり
    粧髪:山田順次郎
    演技事務:中根敏雄
    製作担当:根津博
    製作係:島田武治
    監督助手チーフ:堀川弘通
    助監督:清水勝弥、広沢栄、田実泰良、金子敏
    記録:野上照代
    スチル:副田正男
    剣術指導:杉野嘉男(日本古武道振興会)
    流鏑馬指導:金子家教(二本弓馬会範士)、遠藤茂(二本弓馬会範士)
    経理:浜田祐示
    ◆キャスト
    勘兵衛:志村喬
    五郎兵衛:稲葉義男
    久蔵:宮口精二
    平八:千秋実
    七郎次:加東大介
    勝四郎:木村功
    菊千代:三船敏郎
    儀作:高堂国典
    与平:左卜全
    茂助:小杉義男
    万造:藤原釜足
    利吉:土屋嘉男
    利吉女房:島崎雪子
    伍作:榊田敬治
    志乃:津島恵子
    久右衛門の妻:三好栄子
    儀作の息子:熊谷二良
    儀作の息子の嫁:登山晴子
    蹴飛ばす浪人:清水元
    人足:多々良純
    饅頭売:渡辺篤
    琵琶法師:上山草人
    祖父:小川虎之助
    亭主:安芸津融
    女房:千石規子
    僧侶:千葉一郎
    盗人:東野英治郎
    大兵の侍:田崎潤
    斥候A:上田吉二郎
    斥候B:谷晃
    鉄砲の野武士:高原駿雄
    鉄扇の浪人:山形勲
    逃亡する野武士:大村千吉
    逃亡する野武士:成田孝
    街を歩く浪人(クレジット無し):仲代達矢、宇津井健

    (参考文献:KINENOTE)

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    編集者 埼玉県出身。高校時代に当時の文芸坐や火災前のフィルムセンターに通いつめ、マゼンタ色に耐色した大島渚の「日本の夜と霧」に仰天し、有楽シネマでリヴァイバル公開されたブレッソンの「抵抗」とゴダールの「気狂いピエロ」にとどめを刺され、映画を志すようになるが、すぐに「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされることになる。TV・劇場用映画の美術スタッフを10年、食関連分野の月刊誌の編集を5年務めたのち、現在は各種出版物やITメディアを制作する編集者。2009年、映画検定1級取得。年間映画観賞本数400本以上(映画館のみ)。