山本晋
2015年6月26日17時14分
■就活する君へ
ロケット打ち上げ最終判断の重責をになう三菱重工業・二村幸基執行役員フェロー(58)が若い社員に求めるのは「受け売りをするな」。自分で調べて結論を出すことの重要さをときます。「宇宙開発は99%泥臭い仕事」という二村氏には、華やかなイメージとのギャップに入社後耐えられるかどうかを見極めるため、採用面接で大切にしたやりとりがあります。どんな質問を投げかけたのでしょうか。
――三菱重工は、国産ロケット「H2A」などの打ち上げ事業を、宇宙航空研究開発機構(JAXA)から請け負っています。
「ロケットは鹿児島県の種子島宇宙センターで打ち上げられます。JAXAが安全上の問題がないことを確認した後、最終的に打ち上げの可否を判断します。打ち上げ執行責任者に就く前は、ロケットの機体や地上設備の設計を担当したり、プロジェクトマネジャーという技術的な部分の責任者を務めたりしていました」
「発射台近くの地下にある管制棟に440平方メートルの管制室があり、打ち上げの際は約100人が詰めます。ロケットに燃料を注入し始めると外に出られません。具合が悪くなったときのために医師もいます。場合によっては20時間も缶詰めになります。パンやおにぎりを持って管制棟に入りますが、忙しさや緊張のあまり何も食べずに打ち上げを迎えることもあります。緊張で胃薬を飲むようなやわな人ではしんどいですね、あの職場は。入社4年目の若い時、自動的にロケットを飛ばす装置を初めて設計し、H1の初号機を打ち上げました。この時は、心臓が止まるくらいぐーっと締め付けられるような緊張感に襲われました」
――打ち上げ成功の瞬間はどうなりますか。
「極度の緊張から解き放たれ、拍手をしたり、握手をしたり、歓声をあげる人もいます。H2A6号機が失敗し、その後の7号機の時は特に大変でした。1年数カ月かけてようやく打ち上げにこぎつけたのですが、当日は通信の異常など直前までトラブルを抱えていました」
「なんとかこの日に打ち上げたいと思い処置し続けていました。一部からの『今日は打ち上げは中止にしよう』という声に対し、JAXAのロケットの責任者は、我々にぎりぎりまで挑戦する時間を与えてくれていたようでした。打ち上げは成功し感無量となったのでしょうか、JAXAの責任者と私は抱き合いました。彼の目に涙が浮かんでいるように見えました。別の打ち上げ試験の時には、自分は大泣きしています。仕事の結果を見て自然と涙が出てくるような仕事って、そんなにないだろうなと思います」
――入社以来、ロケット開発一筋です。若い人たちに言っていることは何ですか。
「他人からの受け売りは認めません。設計の際に過去のものをとりこむ場合は、なぜそうするのかを勉強しなさいと言っています。宇宙開発は10年サイクル。途中で仕事を引き継いだときに、前任者がそうしたからと何の疑問ももたない人と、どうしてそうしたのかを徹底的に調べて自分のものにする人とでは将来の伸びが違います」
――採用面接の担当をしたこともあると聞きました。
「10年ぐらい前に6年間やりました。よく聞いた質問は『学生時代は何が楽しかったか』です。華やかな宇宙開発を思い描いて応募する方がたくさんいます。しかし、ロケット開発は99%泥臭い仕事の固まりなんです。楽しいと思うことのために何をし続けたのか。そのプロセスを聞きます。このようなやりとりをしていると、この人はそのギャップに耐えられるかどうかがわかるのです」
――泥臭い仕事とはどんなものでしょうか。
「たとえば雪かきです。ロケットの燃焼試験施設が秋田の山奥にあります。3メートル以上も積もった雪を1日で取り除きます。危険な場所は業者に任せますが、基本的には自分たちでやらなければなりません。種子島宇宙センターに打ち上げのための設備を設置する際、側溝に入ってケーブル敷設の補助をするようなこともしました」
「打ち上げの前、ロケットに燃料や電力を供給するための『アンビリカルマスト』と呼ばれる高い塔では、装置の据え付けや調整試験のために人が登らなければなりません。途中までは塔の内側に階段がありますが、ほかは屋外階段。40メートルの高さに足がすくみました。1時間くらい海を眺めていると、いさり火が見えます。なんでこんなことやってるのだろう、と思ったこともありました。自分の書いた設計図を何度も何度も書き直すこともあります。ロケットが飛んでいくまでの大半は、地味で、毎日悩み続けることなのです」
――希望の企業や業種に就職できない学生もたくさんいます。
「思い通りの就職ができなかったとしても、その進んだ道で一流になれば、自分の望んでいた分野からのニーズが出てくることがあります。たとえば、リチウムイオン電池は今では宇宙で使用されていますが、最初から宇宙のために作られたわけではない。美しい映像が撮影できる光学系のレンズも、人工衛星で使いたいから作ったわけではないのです。その道で一流になれば色々な分野でかかわりが生まれてくるのです」
――ご自身は希望しない部署に配属された経験はありますか。
「私は入社の面接試験のとき、『入る限りは宇宙の仕事をやりたい』と強く主張しました。やりたい部署に居続けるのも大変なんです。与えられた仕事は自分で責任を取りきることを心がけてきました。自分が設計者であっても現場にへばりついて自分の設計意図通りに動いているか、お客様が満足しているかというところまで確認する。そうしていると、この部分はあいつにやらせればいいか、ということになり自分の仕事の領域が広がっていくのです」(山本晋)
◇
にむら・こうき 1957年生まれ、名古屋市出身。アポロ11号の月面着陸をテレビでみて宇宙に興味を持つ。名古屋大学大学院電子工学専攻課程を修了後、三菱重工業に入社。2011年以降のH2AすべてとH2B4号機、8月に予定のH2B5号機で打ち上げ執行責任者。
■記者のひとこと
「ロケット開発に、他人の受け売りは許さない」。二村さんは記者の目を見据え、ゆっくりとはっきりと言いました。面接試験の質問に対する答えを、他の人や就活マニュアル本の受け売りをしている人はいないでしょうか。
二村さんは、質問の答えを通してその人が将来伸びる人材かそうでないかを見極めています。自分が楽しいと思ったことをどこまでがんばったか、自分の言葉で語らなければ、二村さんのような一つの道を究めた面接担当者を納得させるのはむずかしそうです。
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