学校給食の無償化に向け予算を準備するために古くなった学校の施設を改善することができないというのは、まさに分かち合い式の福祉の問題を指し示す典型的なケースだ。学校施設が改善されればすべての学生が共同でその恵沢を受けることができる公共財となるばかりでなく、たった1度の支出で数十年間にわたって学生たちの学習環境を改善する効果を生む。無償で学生たちに給食を提供するのは毎年支出が課せられるだけではなく、それこそ恵沢を食べてしまうことになる。分かち合い式の福祉は耳に優しい言葉だが、公共財に対する投資は働き口と所得創出の基盤であるインフラになる。
給食、保育、医療、年金と共に一人一人に恩恵が行き届く福祉制度は、その恵沢を受ける人にとっては権利となる。すなわち公共サービスの私有化をもたらしかねないのだ。福祉恵沢が国民一人ひとりの権利となった場合、これを減らすにはおびただしい社会的苦痛と抵抗をもたらすことになる。これを乗り越えることができなければ結局国家財政の危機に直面することになる。福祉における恩恵を私的な利益ではなく共同消費が可能な公共財の形式で供給することは、少ないコストで大きな効果を生み出すことができるだけでなく、経済の低迷や人口構造の変化によって福祉恵沢の変更が避けられない時、より柔軟に問題を解決することができるようになる。
分かち合い式の福祉を通じた一時的な肉体的安楽よりも、突然の災難、疾病、失業、貧困といった懸念から来る心の不安を解消する生活の安全保障が、より庶民的でコストパフォーマンスが高く、国民すべての生活の質を高めることができる真の意味での普遍的福祉政策だ。どんなに多くの年金を受け取り給食と保育が無償でも、交通事故に遭えばなす術もなく死を待つだけで、伝染病拡散の恐怖に震えなければならないとすれば、こうした福祉に何の意味があるというのか。年金改革と福祉増税について論じる前に、国民の幸せと生活の質の向上に向け本当に重要なことは何なのか、今回のMERSをきっかけにもう一度考えてみるべきだろう。