高田誠
2015年6月15日08時39分
浜松市天竜区龍山(たつやま)地区に、天竜川を流れてきた女の仏様を地元の白山神社に納めたという昔話がある。対となる男の仏様が別の場所にあるとも伝えられてきた。地元の郷土史研究グループは両方の像を確認し、今秋の白山神社例祭で「再会」させる計画を立てている。
■女の仏様が「天竜川こわい」
「小仏山」という名の昔話はこういうお話だ。
雨続きで水かさが増した天竜川の「天狗(てんぐ)の輪」と呼ばれる場所で、三室三太夫が魚を取っていると、網に女の仏様が引っ掛かった。自宅に持ち帰ると仏様が夢枕に立ち、「水音が近い。天竜川がこわい」と言う。三太夫は高い場所を探し歩き、最後には現在の同区龍山町瀬尻にある白山山頂の白山神社に納めた――。
江戸時代後期の寛政10(1798)年完成の「遠江国風土記伝」にも白山について、「昔洪水の時、小仏流れ来る。堂を建てゝ此(こ)の山に安置す」と記されている。
実際に女の仏様が無人の白山神社にまつられていることは地元で知られている。だが神社の厨子(ずし)の扉は閉じられたままで、どんな姿かを知る人は少ない。
郷土史を調べているグループ「龍山少年探偵団」(約20人)代表の小川博義さん(70)が、厨子の中を目にしたのは偶然だった。約3年前、神社の修理で扉が開かれていたため確認できたという。
小川さんによれば、女の仏様は高さ約15センチの木製。着物姿で正座して手を合わせている。昔話では「ひざに子を抱いた」とも紹介されているが、よく分からなかったという。「一般的な仏像の姿ではないが、いかにも初々しく可愛いらしい仏様に見えた」
龍山町瀬尻に住む元天竜区長の三室正夫さん方は、地元で「天狗の輪」という屋号で呼ばれている。正夫さんの母カツ子さん(86)は「三太夫が先祖だということは以前から聞いている」と言う。
■男の仏像は子どもが拾う
昔話では、対の男の仏像が現在の天竜区佐久間町浦川にあるとも伝えている。
浦川で代々、神主を務めている日名地登志子さん(86)方では、高さ約30センチの立ち姿の仏像をまつっていた――。4月ごろ、小川さんが経営するペンション「龍山ふるさと村」にコーヒーを飲みに来た客が、たまたまこの話をした。小川さんは「対となる仏様だとぴんときた」という。
仏像に添えられた木札の筆書きから、幕末の嘉永3(1850)年9月に日名地家で預かったことが分かる。
登志子さんが伝え聞く話では、大雨で崖が崩れ、流されてきた仏像が泥の中に落ちており、近所の子どもが拾ってきた。このため代々大切にまつってきたという。「対の女の仏様が残っていることは聞いていた。でも白山神社にあるとは知らなかった」
小川さんは、龍山村史に「満水にて被害甚大」と記載のある江戸中期の宝永2(1705)年の天竜川洪水に注目する。「どこかのほこらで夫婦のように並べてまつられていたが、この大雨で流され、離ればなれになってしまった。男の仏様は後の時代の水害で改めて流されたのではないか」と推測する。
「それならばお互いに『再会』を願っているだろう」と龍山少年探偵団では考え、10月の白山神社例祭に合わせて浦川の仏様を借りることにした。「約300年ぶりの再会」になるという。
小川さんは「龍山の昔話は住民だけでなく古里を去った人たちにも心のよりどころになっている。過疎化とともに消えてしまうのはもったいない。古里の『宝』を次の世代に伝えていきたい」と話している。
全日本仏教会によれば、そもそも仏様に男女の区別はなく、対となる男女の仏像があるとすれば珍しいという。仏様の姿も傾向はあるが決まりはないという。(高田誠)
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