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女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばさんの皮肉とメロドラマに満ちた遺言。

化粧と髭剃りを一緒にしてくれるな!

前回、前前回の記事で、女性の電車での化粧について書いたら、女性の実情をしらない男性たちが結構釣れたのでおもしろかった。

 

「じゃあ、電車でひげそりをしていいのか?」

という意見が出るであろうことなど、想定できていた。絶対に出てくると思った。

その答えはすでに用意してある。

「あなたたちは、女性もひげそりをしていることすらご存知ないの?」

ということです。

 

男とは違って、女は鼻下やもみあげの下から、顔全体を剃って、

なおかつ、それからの化粧だということすら知らない男ってモテなさそー。

女は髭剃り、顔剃りまでしてなおかつ化粧までしなければいけないうえに、

職場が清潔感のために化粧ぐらいしろ!というくせに、

そのために使う時間や化粧品代は支給はしてくれない。

 

「清潔感」という制服を会社や社会が、男女を問わず「人間」に求めるのであれば、それに対してより多くのコストをかけなければならなくなるのは「女性側」だと思うが?どうなんだ?

 

男は女のストッキング代・化粧品代、美容院代の高価さを知っているか?その上で、職場で清潔感を保つために、時間と金を自腹で女性に負担させるか?という問題について提起しただけ。あと接客業や営業や、管理側の人間には清潔感は必要だが、内勤の下っ端の、ペラッペラの薄給の人間に、そこまでの清潔感を求めるのか?という謎もある。

 

文句があるなら、オメーら男が1年化粧してストッキング履いて、高いヒール履いて通勤してみろ!と思う。どれだけの時間的、金銭的、労力的コストがかかるか自分で実験してみろ!と思う。

 

「女なら化粧ぐらいしろよ。みっともない。」という圧力があり、

「女なら白髪ぐらい染めろよ。みっともない。」という圧力がある。

「太ってるのは自己管理が足りないからだ。」という圧力があったり、

「健康じゃないのは自己管理が足りないから。」という圧力もある。

 

天涯孤独で4畳半のアパートで10万円の給料で暮らしていた私が、朝早くから、夜遅くまで働いて、帰ったら洗濯・掃除をして、深夜2時3時に、ちょっとだけ横になろうと思ったら寝てしまって、「ああああ、風呂に入れなかったから髪の毛がベタベタだけど会社にいかなきゃーーー。」と、出勤することが、そんなに見苦しいことですかね?そういう、薄汚い格好で家計の事務処理をするために銀行にいくのはダメですかね?

 

あまりの生活苦で「過食症」になれば「太っているのはだらしないからだ。」と言われ、「拒食症」になれば「痩せ過ぎは体によくないよ?」と言われる。これは、男女共にそうだ。男性で肥満体型の人も私からすれば、優しすぎてストレス解消方法を食に向けた結果で太っている人も多いと感じている。太りたくない人はタバコにストレスを逃がす。お酒、ギャンブルの場合もある。ストレス発散の方法が「食」に向かった人は「体型」という形で他者に見えてしまうので、偏見の目にさらされやすいという現実がある。

 

仕事も雑で、身なりも雑な人間のことをとやかく言うつもりはない。その人の性分なのか、多少の知的障害発達障害や、精神障害が入っているひとかもしれないし、そこらへんは推測の域に入るので言及するつもりはない。だが、私は仕事は一所懸命やっとったから、身なりくらいは多めに見てくれというくらいのことは言える立場だったと思う。目に余るようなら、上司から注意を受けたはずだが、目に余るほど不潔にしていなかったから、その点に関して怒られたことはなかった。さらに会社側に対して「10万円ぽっちでコイツが頑張ってくれてるから、優しくしてあげなきゃ。」という気持ちがあるのが感じられたから、私もガンバれたという事実もあった。

 

化粧を強いられたこともなく、ヒールを強制される職場に出会ったこともない男どもに、この悔しい気持ちは分かるまい。電車内で化粧をしようが、ひげそりをしようが好奇の目で見られたり、イヤな目で見られることなんぞ承知でやらざるを得ない時もあるかもね。やるかやらないかは自己責任ではあるが、だからといって、相手のやっていることが100%「悪」である、という主張がまかり通るとは思えない。「行儀」とか「マナー」ばかりを気にできる人は、時間的、金銭的に余裕のある人なので、自分が恵まれているということに感謝するべきだと思う。

 

そして私は化粧をしなくていい職場でしか働かなくなったし、白髪染めなくても好きだという男としか関わらくなったというオチです。ムキになって反論してくる人は、自分に何か心当たりがあるんだろなー、と思っているのもオチの一つ。

電車で化粧をして何が悪い【2】

 実は、私の女友達にも電車の中で化粧をする女性が嫌いな人がいます。ですが、彼女は「電車で化粧をする女性」が嫌いなだけで、迷惑だとは言いませんし思ってもいないでしょう。

その友人は賢いので

 

「私は、電車の中で化粧するのはみっとないから絶対ダメって親に厳しくしつけられたから、電車の中で化粧する人が苦手なんだよね~。」


と、自分自信が「電車の中で化粧する女性。」が苦手(嫌い)なだけで、そういった女性が世間一般に誰かに迷惑をかけているわけではないということを、ちゃんと分かっています。

 

ですから、私が前記事で書いたように、お金や時間や心にゆとりのないビンボーOLなどは、電車で化粧をしなければいけない過酷な状況にあるという話をすると、

 

「そっか、みんな色んな事情があって大変なんだね~。私は恵まれてるほうだね~。でも、やっ ぱり電車で化粧する人を見るのは苦手だな~^^;」

 

という程度の話で、迷惑だと騒ぎたてたり、電車の中で化粧をしている人にわざわざ注意したりはしません。

 

 実は、この記事を書いているのはずいぶん前に5時に夢中(東京MX)で、とある男性と妻が電車で化粧をしている女性に対して「電車で化粧をされると迷惑だからやめろ。」と因縁をつけてからんだという話を聞いたからです。

 

 この世間知らずな夫婦は、現代の(特に、若い)女性がどんなに過酷な生活を強いられているかに思いを寄せることもせず、

「電車で化粧をすることは誰にとっても迷惑で、みんなが迷惑してるからやめるべきだ。」

 

という勝手な思い込みで、まるで自分たちがその車両全員の人を迷惑女から救ってやるくらいの英雄気取りで注意をしたようです。

 

ですが、私がもしその現場にいたら、

 

「私は、さっきからその女性が化粧している目の間に座っていますが、何も具体的に迷惑や被害を受けていません。あなた方にとって具体的にどんな迷惑や被害があったのか教えていただけますか?」


と、その夫婦に聞いてしまうかもしれない。

 

 その車両の中で、その女性が化粧をしている姿が見える人はせいぜい10~15人程度。そもそも、それ以外の人はその女性から離れていて視界に入らないので迷惑がかかるということはありえない。彼女が視界に入っている乗客も頭の向きをちょっと変えれば「化粧ををしている女性」を見ないですむ。彼女が視界に入ってしまう10~15人の乗客に、「この女性が電車の中で化粧をすることで、あなたに何か具体的な迷惑や被害がありましたか?」と尋ねたとしても、「特に何の被害も受けていません。」と答える人がほとんどでしょう。

 

 最初の私の友人の話にもどりますが、「電車の中で化粧をする女性が人様に迷惑をかける。」という事実はもともと存在せず、個々人の世代、風習、しつけなどで身に着けた偏見で「電車の中で化粧する女性に嫌悪感を持つか、気にならないか。」を決めているにすぎないのです。ですから、上記の友人のように「嫌いだけど、人様に迷惑をかけているわけではないから。」と見ないようにするとか、見えない場所にいくことが正解だと私は思います。

 

 この問題は、「電車の中で化粧をする女性が嫌い。」と感じる心を持った人たちが、自分自身の偏見のせいで勝手に不愉快になっているだけにもかかわらず、「化粧をしている女性のせいで自分が不愉快な思いをさせられている。」と、被害妄想を持ち、自分の不愉快さは相手のせいであると考える傲慢さから始まっています。

 

 「電車の中で化粧をする女性=たまねぎ」とします。外食する際に、世の中のほとんどの人は色々な料理にたまねぎが入っていたとしても、特に気にはしません。ですが、タマネギ嫌いの人は、料理にちょっとでもタマネギが入っていると食べられません。ですから、最初からタマネギの入っている料理は頼まないでしょうし、タマネギが入っているか聞いたり、タマネギを抜いてもらったりと工夫をするでしょう。上記の夫婦は「自分たちはタマネギが嫌いだから、タマネギは悪だ、世の中に存在するべきではない。」と思い込んでいるにすぎないのです。だから必死に「玉ねぎは悪なのに、なぜこんになタマネギを使う飲食店が多いんだ!!二度とタマネギを使わないよう説教してやる。」と言っているのと同じです。自分の好みで全てを判断しているのです。

 

 電車の中で化粧をする女性は今やたまねぎくらい一般的なうえに、それが迷惑などと思っている人の方のほうが少数派だと思います。「女性が電車の中で化粧するなんて見苦しい。」と思う人がいることには何の問題もないと思いますし、その人なりの考え方を持っていればいいことだと思います。

 

 ただ、最近の風潮として「自分と考えの違うことをする人は悪で、攻撃されても仕方がないのだ。」というモンスターな考えを正当化する人にはどうしても納得ができません。お互いの考えを尊重して、お互いが少しずつ譲り合って、穏やかに問題を解決できる能力は日本人特有の才能だと誇りに思って生きてきました。年配の人が偏見で若い女の子を攻撃するようになってしまったら、若い子はどんな大人をお手本にして、どんな大人を目標にして成長してゆけばいいのでしょうか。

増田に完全に釣られたワタクシ。。

こんな記事をネットで拾いました。http://blogs.yahoo.co.jp/muratamotoi/9967292.html

 

高円寺ららぁ

電車で化粧をして何が悪い!!!

「電車内で化粧する人が迷惑だと怒る人」の気持ちが全く理解できません。私自身は電車内で化粧したことはありませんが、電車内で化粧しているひとが迷惑だと思ったことは生まれてから、一度もありません。

 

 たとえば、電車の中で大声で話しているおばちゃん団体とか、小さい子供が騒いでいるのに叱らない親なんかがいたら、確かに迷惑なので 「すいません。私、体調が悪いので少し静かにしていただけませんか?」と声をかけるかもしれません。もしくは、(朝のラッシュ時などでなければ)うるさい人のいない車両に移動するかもしれません。

 

 ですが、となりで女性が化粧をしていたとしても、正面で女性が化粧していたとしても、うるさくもないし、不潔でもないし、臭くもないし(匂いのキツイ化粧品もあるという論点をずらすための指摘は受け付けません。)、私自身は何も不愉快だと思うことがありません。

 

 さらに書かせていただくなら、そんなことをしなければいけない女性は、時間やお金や気持ちに余裕がない女性が多いと思います。首都圏では往復通勤時間2~4時間の独身一人暮らしの女子などはざらです。家庭の諸事情で実家には頼れず、自活せざるをえない女子で就職できたのは東京の会社。でも給料は11~15万程度。会社の近くに住もうと思ってもワンルームでも最低7万円程度。経済的に、そんな値段の部屋に住めるわけもなく、交通費が支給されるので会社に死ぬほど遠い郊外のアパートを3~4万円の家賃でかりることに。通勤に時間がかかるので朝は5~6時に家をでて、仕事が片付かなかったら夜の10時~11時まで帰れず。休みの日は、疲労困憊しすぎていて、約束があっても、しんどくてぎりぎりまで寝てしまう。そんな女子が電車で化粧することがそんなに罪なことでしょうか? そんな時間にもお金にも心にも余裕がなく、電車で化粧をするような女性は山のようにいます。通勤電車で化粧するような女性は、むしろ出勤時間までに身支度をきちんとしておかななければという義務感から化粧をしている真面目な女性たちかもしれません。

 

アインシュタイン

「常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションをいう。」

といっています。

 

 電車で化粧することで、実際に誰かに迷惑がかかっているならやめるべきですが、誰にも迷惑はかかっていないし、それを見ることで気分が悪いというなら見なければいいことです。電車の中は広いし、中吊り広告もたくさんあるから、それを読めばいい。それでもいやなら、化粧している女性がいない車両に移動すればいい。ちょっとでも、一瞬でも電車で化粧をしている女性をみたくないというなら、電車に乗らなければいい。

 

 飛行機での長距離移動の場合などは機内で寝ることが前提なので、化粧を落として眠り、降りる前に座席で化粧をして降りる女性が多くいます。人前で座席で化粧をするという点では、電車の中でのそれと同じですが、飛行機の中で化粧をしてる女性が迷惑だという意見はあまり聞きません。それほど、人前で化粧することが迷惑かどうかという基準はあやふやで、了見の狭い人たちの、それぞれの価値観でOKだったり、アウトだったりするのです。

 

 たとえば、お金持ちの女社長が時間がないからと、運転手つきの車の中で化粧をしたら非難されるのでしょうか。誰にも見られていないだけで、移動中に化粧をしているという点では同じです。「常識」という言葉を振りかざすのであれば、忙しく働く女性が移動中に化粧をするなんていうことは、それこそ現代の常識です。同じように、移動中に化粧をしても金持ちは人に見られないからOKで、貧乏人は電車に乗らざるをえないから人に見られるからダメというのは、どうも納得ができません。

 

 電車の中での化粧はだめで、公衆トイレでの化粧はOKという人ももいますが、「他人が人前で化粧をしているという光景」という点では一緒なのに場所が変わるだけで、だめだったりOKだったりする理由もわかりません。むしろ、駅のトイレだと手洗い場に鏡があることが多いので、ずっと化粧で占領されたら手が洗えなくて迷惑です。だから、トイレで化粧されるくらいなら電車で化粧してもらった方が迷惑ではありません。

 

 「電車で化粧をするな。」などということは、「働いても働いても貧乏だという経験をしたことがない。」「経済的に誰か(夫・親・親族など)に頼ることができる。」「親の建てた家に住むことができている。」などの理由で、社会的弱者の立場や気持ちが理解できないない人の、思いやりのない意見だと思います。

 

 偏見を取り除き、客観的に冷静に分析した時に「電車で化粧する。」ということが誰にも迷惑をかけないということは誰にでもわかる事実です。 これは「電車で化粧をしている人」が問題なのではなく、「電車で化粧をしている女性を見ると腹が立つ人」の考え方や心の問題だと思います。「電車で化粧している女性」が通勤や激務で疲労困憊しているのと同様に、「電車で化粧をしている女性を見て腹が立つ人」も毎日の激務や、想像を絶する朝・夕の通勤ラッシュなどでボロボロになってイライラしやすくなっているという点は、私も同情に値すると思います。

 

 ですが、こんな、なんでもないことで「人が自分の思い込みどおりに行動してくれない。」という理由でいちいち怒っていたら、自分自身も辛いのではないかと心配になってしまいます。また、この程度のことで目くじらを立てる人は、自分自身が親からうわべの行動ばかり非難されるようなしつけを受けた人が多いのではないかと思います。なぜそういう行動をとったのか腰をすえてゆっくり穏やかに聞いてもらった経験が少なく、さみしい思いをした人が多いのではないかと思えるのです。自分自身が起こってしまったことの結果だけを見て非難されるような幼少時代を送っていたら、他人に対して寛容な大人になれるわけがありません。 つづく 

電車で化粧をして何が悪い【2】はこちらで

koenjilala.hatenablog.com

男にやしなってもらうなんて想像がつかなかった

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前回のお話は、男女は友達になれるのか?でどうぞ。


別れると決めて、最後の別れを告げる時、あるいは告げられた時、
私はいつもスッキリしていました。
「これで、よかったんだ。」と。

私が付き合った男性は心理的に大人でしたし、
別れる、別れないで、揉めさせるようなことはしない人でした。
今思えば、恋人としてはパーフェクトだったのだと思います。
男性側が心理的に適切な距離感で私に接してくれていたから
口げんかなんかも実際にはしていたのでしょうけど、
キレイに別れると、キレイな思い出しか残らないミラクル。

たぶん、汚い別れ方をすると、汚い思い出ばかりが残るんだと思う。
まあ、それは、納得です。
遠距離で、体が近くになかったので、くだらない話でケンカできるほど
電話代がなかったのが、現実でした。国際電話でしか話せない時代でしたから。

よくよく考えれば、どうしてこんなにうまくいっていたのかというと
私が男性に対して経済的に頼らない女だったからでしょう。
やはり、そこが一番大きかったのだと思います。

仕事でも妻でも、お金をもらう以上は全面降伏で絶対服従だと思っていたので
仕事では絶対服従できるけど、婚姻とかのあやふやな契約で
男に絶対服従するなんて、ゴメンだね!!と、思ってました。
ちなみに、これは、今でもそう思ってます。文句があるなら、別れましょう、と。

あとは、やきもちやきでなかったとか、あきらめがよかったとか。
男性不信だから、もともと男性に対して何の期待もしてないとか
そういうことが、男性たちを安心させていたのかもしれません。

あと、軽薄な恋は、お互いにフェイドアウトする別れ方だったから
男性と、ケンカをして別れたこともないんですよね。
軽薄な恋だから…

つづきは
かせげない女に結婚する資格はない、と思っていましたで、どうぞ。

別ブログの記事もちょこちょこUPしてます。

料理は楽しい。

今のあなたに、この音楽を。

 

この二つのブログをちょこちょこUPしていますので、

ご興味のある方は是非どうぞ。

古い病院に対する偏見の強さに、悲しくなって、怒りが湧いた日のこと。

どうも、こんにちは。「凍てつく波動」です。

 

なんだか、ネットの中で私のことを、

「凍てつく波動」と呼んでくださる方々がいらっしゃるようで

非常に光栄です。私の言動を目に止めてくださったらなら。

 

さてさて、先日、脳ドックに行ってまいりました。

 

何のコネクションもない新たな土地で、病院探しというのは

なかなか難しいもので、ネット上で病院経営の理念や検査機器の充実した病院だ、

と表明するのは自由なのですが、実際には検査機器が充実しているだけで

ホームページ通りの理念にそって治療をしていない病院も

なくはないです。

 

そんなかんじで、自分で調べて自分が気に入った病院の

脳ドック」に行ってまいりました。

 

外観は古くてみすぼらしく昔ながらの個人病院、

みたいな感じで、内装に至っては昭和レトロとは言いがたいくらい

中途半端な40年前くらいのオンボロでみすぼらしい佇まいの病院。

 

だけど、昭和の凍てつく波動の私としては

こういうオンボロ感が安心できる場所だったりするのです。

もう、医療サービスとか医療ビジネスとはかけ離れた

サービスの悪さで、検尿なんかも、どっからどこへ持っていくのか?

とか、ココに置いてくださいとも書いてなかったりして、

自分のオシッコの入ったコップを持ってフロアを歩きまわり、

2人か3人の通りすがりのスタッフに聞きながら

ゴールにたどりついた始末(笑)

「ここまでサービスがない病院は、久しぶりに見たわ。」

と吹いて笑いそうになりました。

 

そして、雑な段取りの医師がオシッコの入ったコップを受け取ってくれて

それを目の前で試験官に入れてから、の

私の心電図という雑な段取り。下を向いて、肩を震わせて

笑った。本気で。

 

さらに、心電図をとっている最中に、

「やー、いいですねー。この昭和の風情。

 佇まいが昭和の風情で情緒がありますねー。」

と、白髪交じりの、その段取りの悪い医師に言うと

「やー。そうでもないんですよー。

 ネットなんかじゃぁ、「汚い」とか書かれてねー。

 大変なんですよねー。うちは外観も古いから。

 内装はやり変えようと思ってるんですけどねー。」

 

「あー、いますねー。そういうバカ。」

と、リアルでも多少の毒はもらしてしまうワタクシですが、

これくらいの毒をもらしておけば、

先方も上手なお医者さんのかかり方をもらしてくれるので

WIN・WINの関係になれるわけです。

私みたいないい患者さんにきてもらいたいでしょうね。病院側は。

もっと毒を吐いていいなら、

「賢くない患者は、格好ばかり気取って効率ばかりを考える病院で

 下手な治療を受けて命を縮めるのを知ってるけどね。」

とも、思っています。そういうのは沢山見てしまった。

それは、とても悲しいお話でもあるのですが、

毒として吐き出せば、怖いお話でもあります。

 

さらに、別の部屋に案内された時に、あまりにも昭和っぽく

薄汚くて、古ぼけていて、雑然としているけど、清潔に保っているという

微妙すぎる診察台の部屋に連れて行かれて、また失笑してしまいした。

「この。。。昭和な感じがすごく情緒があっていいですね~。

 おもむきがある。いやな人はいやなんだろうけど。。。」

 と、しみじみと言い放つと、

「そうなんですよ~。いやだと思う人も多くて、

 救急車で運ばれてきた人なんかは、こんな病院くるんじゃなかったって

 怒って帰るんですよ~。」と呆れ顔の女性の看護師さんが

笑ってくれた。その笑顔がとても悔しげで、さみしげなんだけれども、

どこか、さわやかで、私は、

「あー、いますねー。そういうアホ。」

 と、言ってみました。

そうしたら、その看護師の女性は、うれしそうに笑っていました。

 

世の中には外観は古いけれども、マンパワーのある病院があることを

時代の流れには乗っていないけれども、

いい仕事している人たちがいることを、

私は忘れないで、この目に焼き付けておこう

と思った「脳ドック」での出来事でした。

 高円寺ららぁ

 

精神科治療と投薬と増薬

■薬を増やすかどうかの判断

 私自身は一番悪かった時は、一回で10錠くらい? 一日三回飲むので30錠くらいの薬を処方されていた時期がありました。あの時は病みすぎていて、医師の出す薬に疑問を持つ持たないは関係なく、飲んでいましたし、いや、病みすぎて、飲んだり飲まなかったりしたことが私の病気を悪化させたとも言えるかもしれません。(天涯孤独の私に、自分自身で薬の管理をしろというのは不可能)

 

 因果関係は自分の体験値でしか語れないのですが、あの頃、強い睡眠薬を処方されていたとしたら、その時の私にはそれが必要だったのかもしれないとも思えます。私にとっては「眠れない」ということと、「食をコントロールできない」ということが一番大きな問題だったと、今となっては思います。

 

 「眠れない」ことで病気が悪くなるのであれば、眠ることを優先に考え、「強い睡眠薬」を多く出すということも必要だったのかもしれません。「過食」「拒食」を繰り返し、体重が20~30キロの増減を数ヶ月ごとに繰り返していた私には、まずは情緒を安定させるために[精神安定剤」を増やす必要は、あったのかもしれません。

 

 さらに、私は一番ひどい時は、血圧が上が50、下が30という時があって、降圧剤ならぬ、昇圧剤という血圧を上げる薬も処方されていたので、どれが精神薬で、どれが体を維持するための薬だったのか、今となっては本当にわからないのです。

 

■薬は増やすのではなく、かえるという方針の医師

 

 これは医師によって考え方が違うのですが、薬は増やさずに種類を変えるという方法論の医師もいます。

 

 ですが、「脳の命令伝達系統の異常」からくる苦しみを極力減らすという意味では、「増薬」というのは意味を持つと思いますし、「体」や「薬に対する拒否感」への負担を減らすという意味では「薬は種類を変えて、数は増やさない。」という選択がよいのではないかと思います。患者自信、あるいは患者のご家族がその選択権を持っているし、どの選択をしてどの結果が出た、みたいなことは選択に対する自己責任としか言いようがありません。どちらにしても、医師との交渉を自分でするしかないという現実はあります。

 

できるだけ、薬を増やさないやり方はありますか?

薬を増やさない医師のやり方とはどう違うのですか?

薬を増やすということにはどういう意味があるのですか?

 などなど、疑問点は素直に質問をし、それでイライラするような医師なら「はい、さようなら。」でいいと思います。患者側も精神科医を選ぶ権利があると思います。「おめーじゃ、話しにならないんだよ。」と、行かなくなった精神科の町医者、大病院の医者(特に若い医者)はいました。会社の関係で関わらざるを得ない医師が未熟であれば、それはそれとして関わり、セカンド、サードとフォースと聞いて回って合う医師を探すという手もあります。転院、転院というやり方もあるにはありますが、やはり半年くらいは関わってみないと合うかどうかは未知数とは感じます。私の体感では心療内科より、病棟を持つ精神病院の方が良い医師がいるという体感です。

 

正直、この人合うわぁと思った精神科医は1回めに行った町医者と

5回か6回ほど転院した時の(もっとかもしれないけど。。。)の医者。

 

ごめん、医者に対しては、この病院はセカンドですよ、サードですよって、

言えば話が早いのでそう言って話を詰めていたので、

一般患者には分かりにくい表現だったと気づきました。(反省…)

 

まじめに、無知で未熟な医者についていく必要はありませんが、

無駄に医者を疑う必要もありません。

素直に聞いて、こいつアホだからムリと思ったら

相手にしないようにしましょう。たとえそれが産業医であっても。

 

■自分の体で人体実験をしていると思おう

 

 私自身は新しい薬を一種類増やしてみるということは精神病に対する投薬というチャレンジでもありました。即効性のある薬は頓服(とんぷく)として、その場で飲むのですが、漢方薬や一部の精神薬は数ヶ月飲み続けることでしか効き目が体感できないものもあります。

 

 これは、長期的に自分または家族が長期的なスパンで良くなっているかを認識できているかどうかに深く関係があります。うつの回復値を数値にあらわせるとするならば、株価のように乱高下しながら徐々に上がっていくというのが正常な回復の過程であって、焦りや周囲の期待感で派手に気分が落ち込むことがあったとしても、半年前よりはよくなった、1年前よりはよくなったという長期的なスパンで物を考えることが肝要です。

 

 私自身は焦りすぎたこと、おせっかいであったことが自分の首を絞めたとしかいいようがありませんが、そこらへんのバランス感覚は自分で身につけていくことしかできないと思えるのです。それは、祈るような気持ちとしかいいようがありません。

 

 これは、あくまでも私の患者であったことの体験値であって、なにかしらの統計的、科学的、医学的な裏付けがある話ではありません。あたし的にはこうだった。というお話ですが、誰かの参考になれば幸いです。

 

高円寺ららぁ