あの日、母は亡くなる寸前、苦しそうな息遣いの中で、私の名を呼び、ごめんなと言いました。
何に対してのごめんだったのかは、十年ほど過ぎた今でも、私には心当たりがまったくありません。
そう言えば、亡くなる前日、母はトイレで倒れていたらしく、よほど心細かったのか、あくる日、私の顔を見るなり、かなり激しい口調で怒りました。
「お前はいったい、どこで何をしてたんや」
倒れた時間帯が深夜だったので、病院から連絡を貰ったのは朝になってからのことでした。
訳も分からず、顔を見た途端に叱られたもんだから、息子らしくすねた調子で「知らんやろ。連絡貰うたんが、朝やったんや」まさに、不詳の息子です。
確かに私はできの悪い息子であることを、自分自身でも潔く認めます。
けれども、母の人生をつぶさに見てきたという点では、唯一の生き証人と言っても差し支えありません。
誰の人生にも、ずっとそばで見ている人がいるはずです。
私は一人っ子だったので、私が家族の人生をすべて見るしかありませんでした。そして今や、たった一人だけ取り残された気分です。
今でも私には家族がいます。
嫁と二人の子供です。けれども私が子供だったころの、懐かしい家族はもはや、誰一人としてこの世には存在していません。
私はこの頃ふと思うのです。
母の人生の生き証人だった私も、やがては死にます。そのときには母の人生を知る者は、この世には誰一人いなくなります。
やがては孫やひ孫が、写真に写る顔や名前くらいは知るようになるのでしょうが、それだけでは故人を知っていることにはならないように思います。
歴史上に名を残すような人でもなければ、存在したことでさえ忘れ去られてしまうのかもしれません。
気が遠くなるような時間の狭間には、おそらく無数に忘れ去られた人々の人生があったに違いありません。
私もその中の一人になることは、確実です。取り立てて人に話したくなるような人生を、私が歩んできたわけではありません。
ただ私は私が見てきた家族のことを、できることなら、多くの人に知ってほしいと願っています。
そういう意図のもとに、このブログでは、亡くなった家族のことを書き記しています。
やんちゃだった父。 www.8ssan.com
誰よりも私を可愛がってくれた、母。 www.8ssan.com
今やセピア色の写真に収まった、どうしようもなく懐かしい、祖母とペットのケン。 www.8ssan.com
私との因縁がもっとも深かったかもしれない、叔母。 www.8ssan.com
みんなを見送った私は、今やたった一人です。それを思うとやはり、孤独であることをときおり噛みしめることがあります。
果たして、兄弟がいれば少しは違っていたのでしょうか。
私がまだ幼かったころ、祖母が私に向かって、口癖のように言っていた言葉がありました。
「この子は一人やから、ほんまにかわいそうや」
あの言葉の意味が、今になってようやく分かるようになりました。
誰もがやがては天涯孤独になるのかもしれません。けれども兄弟のいない子は、少しばかりそれを早く味わいます。
少子化が叫ばれている今、私と同じような思いをする子が、これからどんどん増えてくるに違いありません。
韓国映画に「四人の食卓」という作品があります。
ホラー映画ですが、映画としてはあまりお勧めしません。でもただ一点だけ、惹かれるシーンがありました。
まずタイトルに注目します。
食卓というのは家族団らんの象徴です。四人というのは、もっとも一般的な家族の人数らしいです。
私は映画のシーンそのままに、ときたま妻や娘に隠れて、ダイニングにこもります。誰もこないことを確かめたあと、たった一人で食卓の一方に腰をかけます。
もしも生きていれば、残りの三方には、父と母と叔母が座っているはずでした。
私は今でもはっきりと、あのときの一家団らんを記憶しています。
束の間、私は子供に戻ります。
すると体中の毛穴が逆立って、懐かしさとも、恐怖ともつかぬ、妙な感覚をしばらくの間、味わうことができるのです。
タイムマシンは過去にはいけないと言われていますが、ひょっとすると、精神だけなら移動する手段があるのかもしれません。
そんな風に思えるほど、私の目前には過去の風景がリアルに広がってしまうのです。
ほんのわずかな時間ではありますが――。
話が少し脱線しています。
この記事では母が亡くなったときのことを書きたかったのですが、私はたいていいつも、支離滅裂です。
少し話を戻します。
母が亡くなったあと、死に化粧をしてもらうために、家族は待合室でしばらく待たされました。
そのとき私と長男はなぜかハイテンションで、腕相撲をしていました。
娘二人も同じように大きな声で「お父さん、頑張れ」とか「お兄ちゃん、負けるな」と言ってる最中に、看護師さんが呼びに来て、怪訝な顔で私たち家族を見ていました。
まさに不謹慎極まりない所業です。罰が当たったとしても、何の言い訳もできません。
でもなぜか私はそのとき、やけに饒舌で、家族もそれに合わせて、賑やかしく夜通し騒ぎました。
私はまだそのとき、悲しくはなかったのです。
誰よりも私を可愛がってくれた母が亡くなったのに、まさに私は人非人と言われても仕方がありません。
でもそれから十年ほど経った今でも、私は母を思い出さない日は一日としてありませんし、妻や子供の目を盗んでは、食卓の一方の端に座って、四人の食卓を味わっています。
おそらく母の人生の、たった一人の証人だった私は、死ぬまで母の生き証人でいるしかないのです。
おそらく誰にでもいるはずの人生の生き証人が、母の死を前にして病院の待合室で、息子と腕相撲をしながら、大声で叫んでいた様子は、どんな言い訳をしたとしても、とうてい、死別のたしなみを持っていたとはいいがたい所業です。
そのことに対しては、心からの反省を致します。
最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます。
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