破天荒
未曽有
前代未聞
未曽有
前代未聞
とは
まさにこの人生
現在、インドで1億人とも言われる仏教徒の最高指導者が "日本人僧侶" であるという衝撃
紀元前5世紀に、カースト制から民衆を解き放ったゴータマ・シッダールタ(釈迦) の仏教は「非暴力主義」であったがゆえに、13世紀に凄惨な大虐殺を受けインドから姿を消す
釈迦はヴィシュヌ神の9番目の化身であり、偽の宗教を広め、世を乱したダークな神様だとされてから、760年後の1966年
日本人僧侶「佐々井秀嶺 (しゅうれい)」は33歳で単身インドに渡り、カースト制において
"人間ではない"
"触れることも見ることも汚らわしい" と
人間としての生活も教育も絶たれ、自分たちの境遇に疑問を覚えることすらできなくなった人々「不可触民」たちに、尊厳と平等を教え、文字通り身を捧げてゆくことになる
彼は町を歩き、願い事を叶えて回った。井戸掘り、大工の手伝い、祈りよりも実践の日々だった
「男一代菩薩道」より
「私も何度か、佐々井のもとを訪れましたが、子どもたちが佐々井を取り囲む姿を見てね、
佐々井自身は直射日光が照りつける日なたに立って、子どもたちは日陰に置いて説法をしている。
そういう姿を見て、私たちは何をやっているんだろうと思いました。あいつはすごい人生を送っていますよ」
- 真言宗高尾山薬王院 貫主 大山隆玄
小林三旅 著「男一代菩薩道」 P.141
インド大陸の中央、密教の胎蔵曼荼羅で例えれば大日如来の位置にある、仏教復興運動の中心地「ナグプール」
そこは同時に、マハトマ・ガンディーの暗殺犯が所属し、インド政界に強い影響力を持つことで知られるヒンドゥー教至上主義組織の本部がある最前線のような街だ
その没後10余年の空白に心の支えと生活を失った民衆に出会う
B・R・アンベードカル (1891〜1956): インド初代法務大臣に就任して現インド憲法を起草。国旗の制定に関しては、人間平等を説く仏教のシンボル・法輪(チャクラ) を中心に定め、国章は仏教を守護したアショーカ王の紋章・獅子像に決めた。国会議事堂の大統領席背後には、パーリ語でブッダの言葉「多くの人々の幸福と利益の為に」を刻印されている。1956年に約50万人の不可触民と共にヒンドゥー教から仏教への集団大改宗を行い、インド仏教復興を宣言した。
志半ばで倒れた博士の遺志を継承すべく、頼まれたら後には退かない「日本男児の義侠心・忠義心」によって、何度も暗殺者に毒殺されかけるも、自らの命すら顧みない "佐々井秀嶺" の強烈な個性と行動は、次第に人々の心を動かし
尊敬を超え「愛」と呼べるものに変わっていった
― 佐々井さんの若い頃を知っていますか。
老女 元気だった頃は太鼓を叩いたり・・・今はちょっと、元気がないけど、太鼓を叩いてた頃はこの辺をずっと歩きまわってました。
― 太鼓を叩いていたのは何年くらい前なんですか。
老女 40年前です。(※当時)
― あなたは佐々井さんのことが好きですか。
老女 はい。
この時ばかりは、彼女は優しい笑みをたたえ、小刻みに頭を揺らした。ローティーンの女の子が見せるような純真な表情をしていた。
(中略)
― 佐々井さんがナグプールへ来たばかりの頃のことを覚えていますか。
娘 ええ。当時は非常にかっこよくて・・・。先ほど話しが出たように、太鼓を叩きながら「ナムミョーホーレンゲーキョー」というマントラを唱えて、ここら辺をぐるぐる回っていたんです (中略)。
― 当時は、かっこいいと思ったんですか。
娘 非常にかっこよかった。(中略)
おばあちゃんが付け加えた。
「バンテジー には力があります。人の心の壁を溶かしてしまう力をもっています。人間の心を読む力があるのです。」
(※バンテジー = 佐々井のこと)
小林三旅 著「男一代菩薩道」 P.172
1988年、53歳でインド人となる
仏教復興とカースト制の非道を告発し、最下層民の先頭に立っていた佐々井を「危険人物」と感じたヒンドゥー教徒の支配層が、不法滞在者として逮捕
地元各紙は1面トップで逮捕の仕方を非難した
「不当逮捕反対」のデモには10万人の市民が集まり、佐々井の国籍授与を求める「全市民佐々井秀嶺擁護委員会」が結束され、彼を応援する民衆は仏教徒のみならず、ヒンドゥー教徒やイスラム教徒を始めとしたすべての教徒に波及、宗教宗派の域を超え1ヶ月足らずで60万人の署名が集められる。
膨大な署名の束はラジーヴ・ガンディー第9代首相に届き、当時としては異例の取得許可が出された (3年後に首相はテロリストにより暗殺される)
首相から贈られた名は、一切衆生を救おうとする "大乗仏教" の開祖「龍樹 (りゅうじゅ)」を意味する
「アーリア・ナーガルジュナ (聖龍樹)」
かねてから佐々井が信奉し続けた、インド仏教僧の名だった。
釈迦以後に世に出た最高の祖師と称される龍樹は、2世紀頃に「空」の理論を完成させ、日本の仏教のほとんどの宗派においても重要な存在とみなされる
その龍樹が密教の経典を授かったとされる「南天鉄塔 (下図)」は、世界中の考古学者が探している伝説の塔で、これまで南インドのアーンドラ州にあるというのが定説だった
だが、ここで佐々井秀嶺による "ある話" を書かざるをえない
遡ること1967年、佐々井は北インド・ビハール州にある日本山妙法寺で33歳の1年を過ごしていた
インド仏跡を巡る旅に出るためこの地に別れを告げる日の夜、近郊にある多宝山に登り、結跏趺坐していたところ
ちょうど夜中の2時頃だと思います。突然、何かでガーンと頭を叩かれた。すると私の後ろに額をピカピカに光らせた鋭い眼光の老人が、目をカッと見開いて立っておったんですわ。(中略)
右手には剣とも杖ともおぼつかないものを持って、それで私の肩をパッと押さえつけているんです。(中略)
私は恐怖で身動きがとれず、汗が流れ出た。(中略) その老人は日本語で、日本語でですよ、こう言ったんです。
『われは龍樹なり。
汝すみやかに南天龍宮城にゆけ。
南天龍宮城はわが法城なり。
わが法城は汝が法城。
汝が法城はわが法城なり。
南天鉄塔もまたそこにあらんか』
小林三旅 著「男一代菩薩道」 P.114
翌日、日本山妙法寺の師・八木天摂(てんしょう) 上人に「南天龍宮城とはどんなところなのか」と問うと、サンスクリット語で "龍宮城" とは "ナーガ(龍)プーラ(宮)" 。ヒンディー語では・・・
「ナグプール」
仏跡参拝を取りやめて、佐々井はナグプールへと向かうこととなる。それから30年後の1988年、ナグプールとシルプール近郊のマンセル遺跡付近に南天鉄塔が存在したと確信し発掘作業を開始したところ、世界遺産級の遺跡が姿を現してしまった
その規模、ビハール州にあるナーランダ遺跡の4倍。美術史を書き換える可能性を秘める大きさで、インド最大の仏教遺跡になると言われている
にわかには信じられないが、事実には抗えない
2003年、佐々井はインド政府の中でも副大臣に相当する要人の扱いを受け、強大な権限が与えられているインド政府少数者委員会(マイノリティ・コミッション) に、1億人の仏教徒の代表として任命された
「本当はこの仕事、やりたくないんですよ。(目立つので) 派手に動き回れないんです。ある日、昼寝をしとったら、副大統領から電話がかかってきて、15分以内に(現在の役職を) 引き受けるかどうか返事せい、と言われた。
この職を手に入れるために坊さん方があらゆる手を尽くしているのを知っていたんだな。選ぶ方はそれに嫌気がさして、私のところに来たらしい。
私は何もしとらん。寝とっただけだ。引き受けたのは仏教徒のためを思ってだ」
小林三旅 著「男一代菩薩道」 P.37
大和魂。義侠心。
現在、毎年10月頃にナグプールで開かれる祭典、不可触民とされた人々がカーストと決別し仏教徒となる大改宗式には3日間で100万人にも及ぶ群衆が押し寄せている
「信仰とは、信念を持って日々を生きること」
佐々井秀嶺
今年で80歳になる荒法師が、高野山でのアンベードカル博士像建立に際し、現在日本に一時帰国。平成27年6月14日(日)、高野山大学にて講演を行う
南天会|佐々井秀嶺上人の活動を支援するネットワーク
佐々井秀嶺資料室【高野山講演会のお知らせ】