シロクマの屑籠 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2015-05-27

ファミコン版ウィザードリィの素晴らしさと、あの時代の位置づけを思い出す

 

 Sandstorm:ウィザードリィの「評価」を、改めて考える - livedoor Blog(ブログ)

 

 リンク先の記事を読み、PC-9801版『Wizardry』との出会いと、ファミコン版『ウィザードリィ』に熱狂していった記憶を思い出した。私や周囲の小中学生がどんな風に“ロールプレイングゲーム”と付き合っていたのかも思い出し、いてもたってもいられなくなったので書き留めておく。

 

 

 1.私がPC-9801版の『Wizardry』に出会ったのは小学校時代の終わり頃だった。「『ドラゴンクエスト』や『ブラックオニキス』よりもアイテムやモンスターの種類が多くて、“本格的な”ロールプレイングゲームを買った」と友人が話していたので、どんなものなのか見に行った。

 

 小学六年生だった私にも『Wizardry』のうわさ話は届いていた。週刊少年ジャンプでファミコンゲームを評価していた『ファミコン神拳』の評者*1が、この『Wizardry』を遊んでいた的な話を耳にしたからだ。元ネタのテーブルトーク『ダンジョンズアンドドラゴンズ(D&D)』が仲間内で流行りはじめるぐらいのタイミングだった。

 

 初めて見せてもらった『Wizardry』は面白そうではなかった。呪文のスペルを入力するのも、敵が“不確定名”で登場するのも素敵だったし、「クリティカルヒット」というハードなシステムや宝箱の罠にも心が躍った。

 

 が、グラフィックはまずかった。当時の私は『ファイナルファンタジー』のグラフィックと演出に打ちのめされたばかりだった*2から、それに比べると『Wizardry』の線画ダンジョンは殺風景で、モンスターのグラフィックが一辺倒なのには落胆した――「『ドラゴンクエスト』のモンスターみたいに、せめて色だけでも変えてくれれば良いのに!」。

 

 「アメリカでつくられたロールプレイングゲーム」という前情報は、ファミコン小僧にして『ザナドゥ』を知っていた小学生の私には響くものではなかった。フロッピードライブがかっちゃんかっちゃん時間をかけてロードするのも気に入らなかった。まだるっこしい!

 

 こんな具合に、『Wizardry』の第一印象はとても悪かったので、ファミコンに移植されるという話を聞いても私はノーマークだった。なんであんなしょっぱいグラフィックのトロくさいゲームをやらなければならないのか。ディスクシステムで発売された『ディープダンジョン』が今ひとつっぽかったことも手伝って、私は『Wizardry』を忘れていった。遊ぶべきファミコンゲームはたくさんあったし、『D&D』やアドベンチャーゲームも遊びたかったからだ。

 

 

 2.ところがそれから一年ほど経つと、ファミコン版の『ウィザードリィ』はすっかり評判になっていた。「ドラゴンクエストやファイナルファンタジーとは全然違う面白さだ」と評判で、ゲーム選びが上手だといわれていた同級生も『ウィザードリィ』を推していた。当時の私は不登校になりかけていたので、情報収集がちょっと遅れていた。が、友人宅でみせてもらった『ウィザードリィ』は『Wizardry』とは全く別物だった。

 

「すげぇ!『D&D』をそのままファミコンになったゲームだ!」

 

 当時の私が夢中になった『ウィザードリィ』の美点を挙げてみる。

 

 グラフィック。モンスターの名前が判明していない時の茶色〜水色を使った姿は怪しげだったし、判明した後のグラフィックもなかなかだった。フロストジャイアント、ファイヤードラゴン、グレイブミスト*3、どのグラフィックも“西洋風”んも“本格派”で、当時の私が傾倒した『D&D』や『ドラゴンランス戦記』の世界観と矛盾しないものだった。

 

 音楽も名曲で、これまた“西洋風”だった。『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』や『リンクの冒険』には無いテイストがはっきりとあった。少々大袈裟で滑稽ですらある戦闘シーンの曲も、中学生になったばかりの私には興奮を呼び起こすものだった。一枚絵と字と数字だけの戦闘画面から烈しい想像力を引き出す力が、あの曲にはあったと思う。『ファイナルファンタジー』の美しいエフェクトを打ち負かすほど『ウィザードリィ』の戦闘に興奮できたのは、あの、仰々しくもカッコいいBGMがあったからだ。

 

 アイテムの名称も良かった。ファミコン版『ウィザードリィ』の武器名は「メイス+1」といった寂しい表示ではなく、「ふんさいのメイス」といった固有の名前を与えられていた。これは呪いのアイテムにまで言えることで、「はめつのかわよろい」も「わざわいのメイス」も「のろわれたローブ」もお好みだった。英語に切り替えるとちゃんと英訳版がついていたので、私は新しいアイテムやモンスターを見かけるたびに書き写し、英単語を暗記して喜んでいた。

 

 しかも『ウィザードリィ』の操作性は抜群だった。バッテリーバックアップ機能のおかげでファミコン版はリセットボタンを押してからの起動が素早かった。ウィンドウ切り替え速度も素早く、『女神転生』や『ファイナルファンタジー』どころか『ドラゴンクエスト』と比べても遜色無いほどインターフェースが機敏だった。

 

 同時代のファミコンロールプレイングゲームには珍しい長所もあった――『ウィザードリィ』には戦闘の「表示時間」を1フレームから∞*4まで変更できる機能がついていた。表示時間を∞にすれば余裕をもって戦闘できるし、ゲームに慣れてきたら表示時間を短縮して戦闘時間を短縮できる。表示時間を1にすると瞬きも許さないようなスピードになるのでエナジードレイン攻撃やクリティカルヒットを食らうと危ない。しかし人間の目とは恐ろしいもので、慣れてくると全く問題無くなる。この、「表示時間機能」のおかげで、『ウィザードリィ』の戦闘はダレなかった。あれから三十年近く経った現在でも、『ウィザードリィ』以上にスピーディーに宝探しできるゲームを遊んだ記憶は無い。

 

 

 3.こうしたファミコン版『ウィザードリィ』の特徴は、今になって思い返せば、原作版『Wizardry』とは違ったかたちで販売、違ったかたちで遊ばれていたのだろう。80年代後半の当時の時点でさえ、PC-9801版の『Wizardry』を遊んでいた人達がファミコン版『ウィザードリィ』についてあれこれ言うのを私は聞き知ってはいた。でも、私をはじめ、同時期の小中学生のファミコン小僧が欲しがっていたのは、たぶん原作の『Wizardry』では無かったのだと思う。

 

 たぶん私達は、『ドラゴンクエスト』にも任天堂のゲームにも無いテイスト、“西洋風”の“本格派”なロールプレイングゲームが匂い立ってくるような、ちょっと背伸びしたいお年頃にジャストフィットなファミコンゲームを欲しがっていたのだと思う。私達の世代は既にアドベンチャーゲームの洗礼を受けていて、『D&D』や『トンネルズアンドトロールズ』や『ドラゴンランス戦記』に心奪われはじめていた。だから、そういったゲームを受け入れる素地、そういうゲームを買わずにいられないニッチ層があらかじめ出来上がっていたのだと思う。かりに『ウィザードリィ』が発売されていなかったとしても、『ウィザードリィ』的な“西洋風”の“本格派”は遅かれ早かれヒットしていたんじゃないだろうか。

 

 実際には、ちょうどそんな時期に『Wizardry』を換骨奪胎して“西洋風”の“本格派”な装いに生まれ変わった『ウィザードリィ』が現れたわけで、その方面に興味のあったファミコン小僧達が飛びついたのは当然だったのだと思う。そのうえ操作性抜群、音楽やグラフィックも水準以上、続編の『リルガミンの遺産』や『ダイヤモンドの騎士』も傑作だったのだから、もうどうしようもない。

 

 冒頭のリンク先で解説されているように、ファミコン版『ウルティマ』は『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』と競合する方向でアレンジされて敗れたのに対し、『ウィザードリィ』はちょっと背伸びしたいお年頃を狙ってうまくヒットした。少なくとも、ちょうど背伸びしたいお年頃のファミコン小僧だった私にはジャストフィットで、私の周囲の友人達もそれは同じだった。皆、諸手をあげてグレーターデーモンをやっつけ、カシナートの剣は名剣だと語り、ニンジャやサムライがドラゴンと戦う戦闘シーンに熱狂した。もうちょっと年長で、もうちょっと海外ゲーム事情に詳しいお兄さんがたにとって、『ウィザードリィ』の位置づけは違ったものだったのかもしれない。でも、ちょうどあの頃に『D&D』をはじめとする洋モノロールプレイングゲームに接触し始めていたファミコン小僧達が本当に必要としていたのは、あの、ファミコン版の『ウィザードリィ』だったのだと思う。

 

 

*1リア王、ゆう帝、キム皇

*2:なぜかあまり語られないが、初代ファイナルファンタジーの武器や魔法のエフェクトは、同時代のファミコンゲームのなかでもトップクラスだった。オープニングのインパクトも素晴らしかったのは、言うまでもない。

*3:個人的には、初代『ウィザードリィ』で最も美しく、度胆を抜かれたグラフィックは、いかにも墓場の煙っぽいグレイブミストのそれだった

*4:プレイヤーがボタンを押さなければ永久に表示が変わらない形式

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