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限りなく透明に近いふつう

長めの文が好きなあなたへ

男女の観えている世界は同じじゃないのかもしれない。

はじめに

はじめましての方ははじめまして、桜島ニニコと申します。
いつも読んで下さる方はこんにちは、少しお久しぶりですね。

さて、私は一年ほど前からコンビニでバイトをしてます。

あ、いつも読んで下さる方に向けて最初に1つおことわりがあります。(はじめましての方はここは飛ばして下さっていいです。)

私はいつもこのブログで自分のことを「介護士」と書いてますが、実は現在は介護職をしてません。
でも今日私が書きたいことは「そのバイト中に起きた出来事がきっかけで色々思うところがあった」ということの「色々思うところ」の部分なので、現在私が介護士をやっていない理由については今回は省きますのでご了承下さいませ。
(本当はスッと本題に入ればいいのですが、いつも読んで下さる方が「あれ?介護士じゃないの?」と混乱されるかもしれないので一応書きました。)

では本題です。

バイト中の出来事


私は先日バイト中に「ある嫌な出来事」がありました。

私はその出来事のことをバイトが終わってからも1人で心の中で消化しきれず、何時間かモヤモヤしていて思わずTwitterに書きなぐりました。
まずはそれがどういう出来事だったかということで、そのツイートを載せます。






と、まぁこんな感じです。

Twitterの140文字制限の中で書ききれなかったことを補足をしますと、男性は40代中盤くらいの茶髪で、常日頃から筋トレをしてそうな感じの、まぁいかにも「俺様!」という感じの方でした。
女性は彼女か奥さんか友達かは分かりませんが特に派手な印象は無いごく普通の方でした。

男性は私にこの「もし違ったらおねえさんのことぶん殴っちゃうけど、いい?」というのを3回ほど冗談めかして言いました。

その表情は、口は笑っているけど目は笑っていなくて、例えるならば「中学生くらいの不良めな男子グループの一員」が、いじめられっ子の至近距離で「あ〜誰か殴りてぇな〜」と言ってる時みたいな表情です。

男性が私にそう言っている間、女性はその発言についてさほど気に留めていない様子でした。なんとなく少し「やれやれ」といった表情をしていたように見えなくもなかったですが、男性に「やめなよ」とか注意をするでもなく、私に「ごめんなさいね」とフォローするでもなく、女性は淡々と支払いをしてコーヒーを注いでいました。

私は普段Twitterを心のオアシスと呼び、愚痴を吐くために使うことが多いです。

なので、当初このツイートをした時は、単純に気の合う女友達相手に「ねーねー今日こんなことがあったよ、頭来ちゃうよね!」と愚痴るような気持ちで書きました。
しかし思いのほかこのツイートはRT(拡散)されていき、私はその数の多さに驚きました。

リプライでも「大変でしたね、そういう人っていますよね、私も同じ経験あります。」というような声を多く頂き、こうした優しい言葉は、傷付いた心の私にとって大変癒しになり、とてもありがたかったです。

ですが、私は普段TwitterでRTされる事はそんなに多くないですし、やりとりも数人としかしていないので、このツイートが沢山RTされた事と、たくさんの方のリプライがあったことには正直驚きました。

それで私は「どんな方が、どんな思いでこれをRTしてくれてるんだろう?」と疑問に思ったので、拡散してくれている方のページをいくつか見てみました。

すると、どうも多くの方は普段から「日常に感じる男性との不平等さ」について不満の声を呟いていることが多く、つまり普段からジェンダー問題」に関心の高い女性の方でした。

そこで、私はさらに新たな疑問が浮かびました。
「なぜこのツイートはこんなに沢山のジェンダー問題に関心の高い女性の方々の琴線に触れたんだろう?」ということです。
そこで私は改めて自分のツイートの要点を整理してみました。
このツイートで私が言いたかったことを要約すると以下の3点です。

①嫌な男性客がふりかざした発言に私は傷付き悲しかった。

②そんな男性客の暴力主義的な価値観を私はダサいと思う。

③この男性客から受けた悲しさは、過去にも私が体験してきた痴漢や男性からの「見下し発言、見下し行為」を受けた時と同種の悲しさであると思う。

それで改めてリプライを分析してみると、頂いた慰めや励ましの声は、要点②の「暴力主義的な価値観がダサい」という事への賛同の声がほとんどでした。

なるほど確かに「オラオラな感じの人」から被害を受ける人というのは男女問わず世の中に沢山いると思うので、RTの一部はそういう方の同意だったと思うのです。

でもツイートがそれだけの内容ならただの「嫌なヤツ遭遇体験談」なので男女の性別に関わらない事ですから、どうしてジェンダー問題に意識の高い女性達が中心となってRTしてくれたのかの理由にはなりません。

なので、ここはこのツイートの要点が③で終わっているところが理由なのだなと思いました。(①はただの状況説明なので)

TwitterのRTは必ずしも「同意」でないことは分かっています。
ですが、今回のジェンダー意識の高い女性達によるRTは「その方達にとってこの要点③が拡散の必要な意見とみなされた」ということのような気が、私はしました。
ですから、私はこの要点③がジェンダー問題に触れる発言だったのだなと後から自覚したのです。

「え、初めから自覚して書いたんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、書いた時の私はまだショックの後残りの中で、モヤモヤと思っていた通りのことを書いただけで、正直そこまでの頭は回ってませんでした。

ですが、私は数ヶ月前くらいからジェンダー問題に関して心の中では意識し始めていたので、そういう意識がまるっきり無いわけではなかったのかなと今は思います。

ジェンダー問題…。

思えば私はここ数年なんとなくこの問題について深く考えたり、明確に言及するのを避けてきました。
でも数ヶ月前くらいからネットでそういう話題を見かける度に、少しずつ関心は増していきました。

なので今回はこれを良い機会として、私なりにジェンダー問題について考えることをここに綴ってみようと思います。

世の中には既にこの問題に対して考えの深い方々がいますので、そういう方から見たら稚拙で幼稚な内容になるかもしれませんが、あくまで「私のような一般の人間がわかる限りのことを書く」という事ですので、お目汚しお許しください。

でも、もし私と同じように「ジェンダー問題について、なんとなく気にはなっていたけど、難しいことは分からなさそう…」という方がいましたら、良かったら読みながら一緒に考える機会になれば幸いです。

ジェンダー」という言葉との出会い


まず初めに「ジェンダー問題」という言葉の「ジェンダー」についての認識について書こうと思います。

皆様も感じているかもしれませんが、ジェンダーフリートランスジェンダージェンダー論争などなど…
近年ネットやテレビを見ているとこの「ジェンダー」という言葉を見かける機会はとても増えました。

でも実は恥ずかしながら、私は当初「ジェンダー」と聞いても「なにか性別のことに関する言葉なんだろうな。」くらいの認識しかありませんでした。

そして私は数ヶ月にきちんと「ジェンダー」の意味を知るまで「ジェンダー問題」への認識さえ勘違いをしてしまっていました。

ここからは自分の恥になりますが「こういう勘違いをした人もいるよ」という例としてその事から少し書きたいと思います。

私が「ジェンダー」という言葉を知ったのは、あるドキュメント番組でした。
たしか10年くらい前だと記憶していますが、何かの番組で「世の中には生まれた性に疑問を感じている方(以下セクシャルマイノリティと表記します)がいて、そういう方々が世間での扱いに苦しんでいる」という内容でした。

確かに思い返せば私の子供の頃は今よりもずっと同性愛とかセクシャルマイノリティの方に対する世間の偏見がありました。
そして世間の人達はそれを「偏見」だということに気付く土台すら無く、テレビのお笑い番組などでホモというキャラクターを変態扱いしてバカにするような内容のものがありましたし、ニューハーフの人は皆「オカマ」と言われ道化師扱いされていました。

とにかくそのころはまだ私自身が子供だったので断言は出来ませんが、なんとなく「男性・女性の型から外れた生き方をする人間は『人でなしだから笑ってやれ』というような社会の風潮」が強かったように思います。

セクシャルマイノリティの方はテレビの中だけに存在するのではなく、もちろん昔から一般の社会にも居られたと思いますが、そうした偏見だらけの社会の中では当然肩身の狭い思いをしていたと思いますし、カミングアウト出来る人は少なく、「仕方なく身を潜めるor表舞台に立つなら道化扱いされる」という位置づけを強いられていたのだと思います。

こうした方々がやっと10年前くらいから徐々に「自分達の生き方を認めて欲しい。」という声を上げるようになり、メディアでも取り上げるようになったので私もその頃にドキュメント番組で知ったわけですが、どういうわけか私はそのドキュメント番組で出てきた、あるセクシャルマイノリティの方に「トランスジェンダー」という説明がされていたのを見て、つい「ジェンダー問題=産まれた性別と心の性別の違いに悩む人や、同性愛の人々が抱える社会的な立場の弱さについての問題」のことを指すと認識してしまいました。

ですから私は、その時はまだ自分自身にそれほど深く関係している問題ではないと思っていたのです。
勿論そういう方々への世の中の偏見は無くなるべきとは思いましたが、自分がセクシャルマイノリティの当事者でなかったので「世の中に対して何か行動をしなくては!」とまでは思わなかったということです。
この「ジェンダー問題への認識の勘違い」があり、私は「ジェンダー問題=自分とは切り離した問題」として最近まで捉えていました。

私と同じこんな風な勘違いをされている方が他にもいらっしゃるかは分かりませんが、世の中は広いので居るかもしれません。もしそういう方が居たら、この文章が認識の訂正のお役に立てればいいです。

本当の意味の「ジェンダー問題」を知ってから思うこと


さて、長い事そういう勘違いをしていた私ですが、最近になってやっと自分の「ジェンダー問題」へ対する認識が間違っていると気が付きました。
それはたまたま辞書で「ジェンダー」という項目を調べたからです。
辞書には
「性別に基づいて社会的に要求される役割などの社会的性差をさす言葉として用いられる。」
とありました。
ここで私はやっと「あっ、ジェンダーって、そういう意味なんだ!」と知りました。

もしかしたら広い視野で捉えると「ジェンダー問題」には私の過去の認識の方の意味もあるのかもしれませんが、今ネットやテレビで論争となったり、私のツイートをRTされた方々の指す「ジェンダー問題」は、この辞書にある「男女それぞれが、性別を理由に社会的に不利な立場を押し付けられている問題」ということを指すと思います。

でも「性別を理由に社会的に不利な立場を押し付けられる」と書いてあっても、こういった話に関心の無かった方は「具体的にピンとこないよ!」と思いますよね。

なのでひとつ「社会的に女性が不利な立場」の例え話としては適切かは分かりませんが、私の昔話を書きます。

私が子供の頃のことですが、母が私と兄に「赤と緑」など、色違いのお菓子や文具を与えてくれることがありました。
私は緑色が好きなので、そういう時は緑が欲しいと言いました。
しかし同時に兄も緑を欲しがって、いつも取り合いになっていました。

私の母は幸い「緑は男の子用、赤が女の子用でしょ」というようなことを言う人ではなく、そういう時にはいつも「2人で話し合って決めろ」と言われました。
「話し合って決めろ」ということは、「お互いに緑への思いの強さをプレゼンし、話しあって決める」ということのはずです。

しかし私の兄は理屈抜きに「お前は女だから赤に決まっているだろう」と言いました。
そうなると、いつも兄と私は武力行使の喧嘩になるしか無かったのですが、当然力で兄に敵うわけはなく、私はいつも我慢を強いられました。
そのうちに、だんだんと私は兄に殴られるのは嫌だから自ら赤を取るようになりました。

それは「どうせ喧嘩をして勝てる見込みが無いのなら、初めから自分は赤が欲しかったと思い込む。」という諦めからの行為でした。

こういう経験は子供時代なら誰しもあることだと思いますが、私は「性別を理由に社会的に不利な立場を押し付けられる」というのは、この子供時代の喧嘩を延長拡大したものような気がしています。

子供の頃は2人の取り合いの対象が「緑のお菓子」なのでとても社会的とは言えませんが、兄の「お前は女だから赤に決まってる」という考えは「性別を理由に役割を要求する」ことだと思いますし、この「緑のお菓子」は様々な場面で男女の利害が一致しない時に争点となるものの象徴だと思います。

つまり、別の分かりやすい例として「結婚後も仕事をしたい女性」と「結婚後は妻に家庭に入って欲しい男性」が結婚することになったら、緑のお菓子は「妻の仕事をどうするか?」ということになります。
夫は妻に「俺がやるから君のは手放して欲しい。」と言い、妻は反対に「私は手放したくない。」と言います。

この2人は大人なので、意見が折り合わなくても取っ組み合いの喧嘩にはならないでしょう。
でも「暴力」の代わりに何が喧嘩に加勢するかと言うとそれは「社会の常識」です。

この「社会の常識」は一見私の母のように「話し合って決めろ」という中立な意見で2人の前に現れます。
でも実は社会の常識とは「人々の既成概念の塊」でもあると私は思います。

ですから「私は仕事を続手放すべきか?」ということを悩んだ妻が、周りの人に意見を求めたとしましょう。
そこで、もし周りの人々が揃って全員「男性は外で働き家族を養うものだから、あなたは家庭に入って旦那さんを支えればいい」という既成概念を持ち合わせていたらどうなるでしょうか?

おそらく妻は、よほど意思が強い人でない限り、仕事を手放さざるを得ない状況に追い込まれてしまいます。

もちろん現実ではここまで極端ではなく、昔に比べて「男性は仕事、女性は家庭」の考え方も崩れてきているので、世間の人々の意見も様々で、社会の常識は少しは中立になってきていますが、それでも昔風のその考え方を持っている人の方が割合的にはまだ多い気が私はします。
なので、肝心の夫が「社会の常識」を味方に付けて意見した場合、最終的には「妻が仕事を諦める」という選択になってしまうことは現在でもよくあります。

このような形で妻が「社会の常識に当てはまる生き方」を強いられることが「性別を理由に社会的に不利な立場を押し付けられる」の一例です。

ジェンダー問題とは、このような家庭のこと以外でも生活の中の様々な場面で「女だから(男だから)◯◯するのが当たり前」という立場を押し付けられた人が「それってなんかおかしくない?」と声を上げることなのです。
それに対し周囲が「じゃあどういう社会になればおかしくなくなるのか?それはみんなで考えましょう。」というのが、ジェンダー問題解決への取り組みなのだと思います。

ちなみにこの例の夫婦の場合ですと、もし人々の既成概念がもっと中立的なもので、誰に聞いても「男性と女性とでどちらが家庭に入るべきか決まりは無いから、それは自分達夫婦で決めればいいんじゃない?」と返ってきたら、妻と夫の力関係は対等であり、本当に夫婦2人で話し合って決められるはずだと思います。

でも、現実に人々の既成概念が揃って「男性も女性もどちらが家庭に入るかに決まりはない」という風に変わるにはまだまだ道のりは遠いです。
それは何しろ時代が変われど女性は「出産」という課題がのしかかる方の性別だという事実は変わらないので自然と「女性の本業は家庭」という見方になってしまうからです。
ですが、これもいつか完全に「女性が働きながら出産も出来る」という社会の仕組みさえ整ったら「出産するほうの性別」という事は抜きにして話し合えるので、だいぶ中立になるんじゃないかと私は思います。
今しきりに政府は「働く女性を応援」とスローガンを掲げていますが、これも口だけでなくきちんと実行されれば、そういう社会を目指すということへの取り組みだと言えます。

しかし、今書いた例はジェンダー問題の中のほんの一握りの一例でしかありません。

それは世の中には、家庭のこと以外でも何かと「男性と女性の間でトラブルがある時は女性が我慢をするもの」という「男尊女卑な概念」が頭にある人が多いからです。
はっきりとその概念に自覚がある人も居れば、自覚すらなくても行動がそれに当てはまる人も大勢います。

そういう人と、そうで無い人が社会で関わると、しばしば「男性に比べて女性が不利な立場を強いられる出来事」が起こります。

私のツイートをRTして下さった女性達が普段からTwitterで発言されているのは、こうした出来事の一つ一つに「なんかおかしくない?」と問題提起している行動なのです。

もしこれを読んで初めてジェンダー問題について知り「そういうことだったのか!」と理解された方がいたら今後の生活の中で「性別による不平等」を感じることがあったら身近な人とそのことについて話して欲しいと思います。

こういう論争はすでにTwitterやネット上でされているのは見かけるのですが、どうも文字だけの論争はやはり「男女の恨みのぶつけ合い」みたいになってしまって、溝が埋まっていないように思えるので、現実に触れ合う男女で意見を交わすことが「男尊女卑意識の撲滅」には必要な気がします。

ちなみに私の兄なのですが、少し大人になってから私が昔のことを聞いた時に、驚くべきことを言っていました。
兄はサラっと「お前は赤が好きなんだと思ってた。」と言ったのです。

つまり兄の中では喧嘩していた頃の記憶は無く、さらに最終的に赤を仕方なく取っていた私の「諦め」も無いことになっていて、兄から見たら単純に「私は赤が好きだから赤を取っていた」という事になっていたのです。
兄は私に我慢を強いていた存在なので、私が大人になって「あれは叩かれるのが嫌で我慢して赤を取ってたんだよ。」と言うまでそのことに気が付かなかったようです。

私はこの兄のように「無自覚ながら女性に我慢をさせている」という男性が世の中にまだ沢山いると思います。

もちろん全ての男性がそうではないのが救いですが、やはりそういう男性が潜んでいる社会のままだと、多くの女性にとってはまだ生きづらい世の中なのかなぁと思います。

ですから、その兄の発言を聞いた時に私は、やはり我慢していた方の「我慢」は口に出して伝えないと平等は生まれないのだなと思いました。

ここまでお読みになって「今の女は何かとセクハラだモラハラだとすぐ騒いでうるさい。」と思っている人もいるかもしれません。

ですが、昔の女性がうるさくなかったのはその社会に満足していて黙っていたわけではなく、単に「諦めからの我慢」をひっそりとやっていただけのことだと思います。
その女性の我慢に気付いても無視したり、気付かずに無いことにして男性が悠々と暮らしていた時代は、もう終わりになるべきだと私は思います。

だから今の世の中で、人知れず我慢を強いられている女性は、そのことを我慢せずに口に出していいと思います。

勿論、今の世の中は昔に比べて女性を優遇する流れが出来てきて、逆に男性の方が女性に対して不満を持つこともあると思います。その場合は男性も同じように言っていいと思います。

大事なのは、個々の男女間で「常に性別による不満の解消に勤める姿勢」を持つことと、不満の解消は「どちらかを不利益にして利益を生み出すもの」ではなく「双方の利益を生み出す」という風に捉えることだと思います。

私達はジェンダー問題について男女で話し合うと、ついどうしても異性への恨み節になりがちです。
それは、私達が幼い頃から「男性・女性」というグループ分けで教育されてきたせいで、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの精神で、1人の異性に嫌な思いをさせられた時に思わず属性ごと憎んでしまう癖がついてるからな気がします。

しかし憎むべきなのは目の前にいる異性ではなく「旧時代の男尊女卑思想を持つち続けること」なんだと、男女共に念頭に置くことが必要なんじゃないかと思います。

そして男女がいつまでも「男性グループ」「女性グループ」と属性を抱えて論争をするのではなく、話し合う時には一旦「その相手の性別」は置いといて、ただの「人間」同士で話し合うように努めるといいんじゃないかなと思います。


夜道で逃げる女性について

これもジェンダー問題に関係しているか分かりませんが、少しは関係していると思うので書きます。

こないだテレビを観ていて、ある男性タレントが話していました。

「夜道で女の人が前を歩いてる時に、僕の方が歩幅が大きいから追い付きそうになるじゃないですか。
そしたらその女の人が急にバーッと走り出したんですよ。
あれ、男は傷付くから辞めて欲しいですよねぇ。」

なるほど、この手の話は巷でもたまに聴きますよね。
私はこの男性タレントは、多分まだ「知らない」だけで悪人だとは思いません。

彼が何を知らないかというと「女性が夜道を歩いている時に、背後から男性が迫ることの怖さがどれだけのものか」ということです。

私は夜道を歩いていて背後からいきなり男性に抱きつかれた事があります。
周りにも少し歩いてる人がいたので「レイプされる!」とまでは思いませんでしたが、本当に怖かったです。
その男性は酒臭くてヘラヘラと「人違い」と言い訳をして去りました。そして謝りませんでした。
他にも、夜道を歩いていて背後から気配がしたので、早足で進んだら後ろから「てめーなんか襲わねーよ!」と怒鳴られた事もあります。怖かったです。

こういう経験を女友達に話すと、誰しも似たような経験があると言います。
その数を知ると「一体どんだけの男性がそういう悪さをするのか」と思いゾッとしますが、もちろん全ての男性がこういう悪さをするとは思いません。

でも背後から男性に近付かれた時に、気配だけでその人が悪人か善人かを判断するのは私達には不可能です。
だから女性はとりあえず逃げるのです。

男性の「人を痴漢扱いするな」と言いたい気持ちはわかります。私も逃げる時には「悪人扱いして申し訳ない」と少し思います。

でも誰か知らない男性に少し嫌な印象を与えてしまうリスクより、自分の身が最悪の事態に陥るリスクの方がよっぽど怖いから女性は逃げるのです。
これは野良ネコが人を見たら避けるのと同じです。生き物として、自分より体が大きくていざとなったら力で敵わない相手がいたら(そして過去にそういう生き物に悪さされた経験が1度でもあったら)とりあえず避けるのは、本当にしょうがないんです。
だから男性の方は、もし女性にそれをされても勘弁して下さい。というか、気にしないで下さい。


Twitterで私が言いたかったこと

さて、ここからはまた私の冒頭のツイートについて少し深く説明したいと思います。

あのツイートで私は「私がもし男だったら、こういうの気軽に言われないのかもしれない、と思ったら悲しくなった。」
と書きました。
それに対し、ある方(多分男性)から「『男だったら言われなかったかもしれない』 っていう言葉に傷つく男性もいます。」というリプライを頂きました。

私ははじめ、限られた文字情報だけに頼ると、この方の言いたいことの真意が読み取れませんでした。

「自分も男だけどそういう目に遭うことはあるから、その出来事を性別のせいにされたら他の男性が傷付くよ」という意味なのか、はたまた「女性だって男性から『女だったらこういう目に遭わないから女はいいよなぁ』と言われたら女は苦労が無いと言われているみたいで傷付くでしょ。」という意味なのか…短い文章ではその解釈にあらゆる可能性が考えられたからです。
でもその方の言いたかったことがそのどちらだとしても、確かにそれはその通りだと思いました。
なので私はその方には個別にお返事をして、良識のある方だったので特にモメるということは無く終わりました。

それでその方へのお返事の文章の中で私は「『男だったら』というのは、『少なくとも今より、ナメられる機会が少ない見た目』という意味で書きました。(中略)なにぶん今の性の姿でしか生きた事しかないので『男ならどうなんだろうなぁ?』と思った純粋な疑問をそのまま書いてしまいました。」
と書いたのですが、これは本当に私の素直な気持ちです。

つまりツイートでは「男性・女性」という書き方をしていたので「性別」の内面を含めた話になって、私の真意が分かりにくくなったのですが、私が本当に言いたかったのは単純に「強そうな見た目の生き物」と「弱そうな見た目の生き物」の話なんです。

確かに「性別」で話をしてしまうと「オラオラな感じの人」から絡まれる体験というのは男女関係なくどちらでもありえることだからそれは男女で「どっちが良かった」ということは無いと思います。

ですが私は30数年間「身長150㎝の細身幸薄顔の女体持ち」としてこの世に存在しています。
そんな私の視点から観るこの世の中は「私より大きくて強そうな人間が半数以上存在している世界」なんです。
だから多くの男性から観える世界と、私のような人間から観える世界って実は同じ世界でも「観え方が違う」んじゃないかと思うんです。

よく女性専用車両の話題の時に「痴漢なんてほんの一握りの人間しかやらないことなのに、女性が何をそこまで大袈裟に怖がってるのか分からない。女性は必要以上に被害者意識が強いんじゃないか。」と言う意見の男性がいたりしますが、そういう男性って、なにも根っから悪人で意地悪くそういう発言をしてるのではなくて、単に「こっち側の視点」を知らないからそう言うのかな、と私は思います。
ようは先ほどの「夜道の恐怖感を実感として知らない」男性タレントと同じです。

つまり「いざとなったら力が勝る方の生き物」「いざとなったら致命傷を負わされる生き物の持つ恐怖感」は実感できないので、それがどれだけのものか想像が付かないんだと思います。

もっと分かりやすく言うと、身長150㎝の女性と身長180㎝の男性が喧嘩になって、思わずカッとなったどちらかが拳を振り上げる仕草をしたとします。
その瞬間に「女性に拳を振り上げられた男性」と「男性に拳を振り上げられた女性」が感じる恐怖感がそれぞれ「同じではない」ということです。

もちろんそういうことに気がついていて、女性と接する時に配慮をして下さる男性も存在します。

ですが、女性として生きていると時折そのことにまったく配慮の無い男性に会ったり、カフェラテ男のように逆にそのことを逆手に取って強さをひけらかす男性に会ったり、時には痴漢されたり、時にはハナから馬鹿にした言動をされたり、色々嫌な思いをするわけです。

その度に私が毎度思うのは「あぁ、私はこの人に『弱そうだから下に観ていい人間認定』されて、こういう目に遭ったんだ…」ということです。

そういう時に、私は思わず「もっと強そうな見た目の人間として私が存在していたら、この被害は無かったのかな」と、つい思ってしまうんです。
それは鍵をかけ忘れて出かけて泥棒に入られた時に「ああ、鍵をちゃんと確認してれば良かったなぁ」と後悔するような感覚で、人はトラブル後には「どうしてたら、こうならなかったのかな」とつい誰でも考えてしまうと思うのですが、そういう感じなのです。

でも「鍵のかけ忘れ」とは違って、男性から被害を受けた時の後悔というのは、私の根本である「女性としての見た目で生きている」ことを後悔させられます。
これはもう「自分とその人生そのもの」を否定するような後悔なので、すごく心に傷が付くんです。他のトラブル後の後悔とは比べものになりません。

私がツイートの要点③で伝えたかったのはこういう気持ちです。
こういう気持ちって、普段上手く言葉に出来ないし、なんとなくモヤっとした不快感だけ感じている女性は多いんじゃないかなと思います。
私もツイートだけでは上手く伝え切れないので、今回長々とこのブログを書きました。

男性が読んだら中には「細かいことをうるさく言う被害妄想女だなぁ」と思われるかもしれません。

でも、伝えなければこの気持ちが「無かったこと」になってしまって、それは悲しいし、伝えれば分かって下さる人が新たに生まれる可能性があるから私は書いてます。
「うるせぇな」と思う方もきっと出てきてしまうのは仕方ないですが、少しでもこれを読んで「まぁ、言いたいことは分かる」と理解して下さる男性がいて、今後女性に悲しい思いをさせない男性と悲しい思いをしない女性が増えるといいなと思います。


最後に

長々と書いてきましたが、私は本当にジェンダー問題が少しづつでも無くなっていくのを願ってます。
時々女の人でもこういう話をすると「そんなに目くじら立てなくても、女は女の得があるんだし、強い男に可愛がられる道を極める手もあるじゃん。」と言う人がいます。
確かにそういう男性の懐に身を置いて守ってもらうというのも女性の処世術の1つとしてあると思います。
でも、それって「外でオラオラやってる男性の刃」を自分の武器にして物騒な世の中を渡り歩けばいいという考え方ですよね。
その場合、何かその男性に対して不満がある時に女性は対等に意見できるものでしょうか?
その男性の女性に対する優しさって単に「お前は逆らわないから愛玩するよ」ってことだと思うんです。
だから、その男性が「オラオラの刃」を持ってるということを女性は分かっているので、何か不満がある時になったらその刃が自分に向くのが怖くて対等に意見できないんじゃないかと思います。

そんな女性が今後も増えていく世の中になるくらいだったら、私は世の中の「刃」を手放せそうな男性に「それ捨ててみませんか?」と働きかけて、「男女共に物騒だと思わなくなる世の中」を作るほうがいいと思うんです。

それにもし現代の女性が「可愛がられる存在」で無事に一生を終えられたとしても、この世にこの問題があるまま放置してたら、後世の女性が苦労するよなぁと私は思います。

なぜ私がそう思うかと言うと、私は介護士をしている時にたくさんのお婆さんの話を聴いてきたのですが、それが今ではありえないほどの男尊女卑話が多くて驚いたのです。

それまでも一般知識として「昔の女性は今より地位が低くて色々我慢してた。」というのは知っていましたが、ご本人の経験談として聴かされる男尊女卑話は想像以上のものでした。

例えば、あるお婆さんは、当時には珍しく「仕事をしている女性」で、洋裁を教えていたそうですが、ハイカラな格好が近所の人に良く思われなかったのか子供が学校でひどく苛められ「お前の母ちゃんは商売女だ」と言われたりしたそうです。
それは当然子供の発想ではなくいじめっ子の親からの受け売りと思われ「自分はいいけど、子供が苛められるのは悲しかったねぇ」と話していました。

また、あるお婆さんは、顔も知らない男性を「お酒も飲まない気立ての良い人だから」と親戚に勧められ、見合いをして即結婚したそうですが、夫となった男性は初夜から酒を浴びるように飲み、暴力を振るったそうです。
お婆さんは「騙された〜!」と思ったそうですが、親戚に言っても「いつまでも嫁に行かないお前が悪い。酒を飲むのはよく働く男の証拠だから我慢しろ。離婚は一族の恥だからしてはならない。」の一点張りで話しにならず、泣く泣く夫婦生活を続けたそうです。

こういう話をお婆さんがする時はいつも最後に決まって「今はいい時代になったよねぇ。女の人でも堂々と仕事が出来るし、離婚もしたければ出来るし、本当に今の女の人達は幸せだよ。」と言っていました。

私はこういう話を聞いてから、現代の女性がある程度男性と地位を同等にしているのは、戦後の民主主義化の恩恵だけでなく、昔の女性達の中で誰かが少しずつでも声を上げて社会を変えてきたおかげもあるんだろうなと思いました。

だから私は前の世代の女性の方々の作ってくれた「幸せ」を受け取るだけでなく、自分達も後世の人のために世の中を変える働きかけを少しはしたいなぁと思ったのです。

とは言っても私はただの一般人で、普段からそういった活動をしているわけでは無いし、何を出来るわけでもないのかもしれませんが、せっかく今は誰でも自由に発言できるブログというツールがあるので、今回このように文章をまとめてみました。

本当に長くなりましたが、読んで下さった方に、良い読後感が残ることだけを願って書きました。

書き足りないことも多少ありますが、これ以上長いと読む方も疲れてしまうので、このへんで終わりにします。

最後までお読み頂きありがとうございました。