2015年-05月-12日
ニンジャスレイヤーを楽しむための、最初にして最大のハードル
このダイアリーでも何度か言及していた英国のミステリ小説家で、『女には向かない職業』や、『トゥモロー・ワールド』の題で映画化された『人類の子供たち』の作者であるP.D.ジェイムズが、昨年11月末に亡くなっていたことに、昨日気づいた。94歳であった。
(以前、はてなキーワードで表記ゆれ項目を修正したことがあったので、これを機会に確認したところ、情報がアップデートされていなかった。じゃあ修正を…と思ったのだが、ながらくはてな市民(ダイアリー、ハイク、フォトライフ)活動をしていなかったため、編集権限が剥奪されていた。というわけでこの記事を書いている)
彼女の最後の作品となったのは『高慢と偏見、そして殺人』。タイトル通り*1、ジェイン・オースティン作『高慢と偏見』の“続編”として書かれたもので、「高慢と偏見」本編の数年後に起こった殺人を描くという、作者91歳の二次創作である。
![]()
高慢と偏見、そして殺人〔ハヤカワ・ミステリ1865〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
- 作者: P・D・ジェイムズ,羽田詩津子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/11/09
- メディア: ハードカバー
- 購入: 1人 クリック: 22回
- この商品を含むブログ (21件) を見る
『高慢と偏見』、場合によっては『自負と偏見』『プライドと偏見』などになっていることもあるが、読んだかどうかはともかく、この書名は人口に膾炙していると思うし、イギリスのいいとこのお嬢さんたちが婚活でてんやわんや、というくらいの内容も知られているのではないだろうか。
その、いかにも名作然とした堂々たる題名に「そして殺人」と付けば、「おや、なんだろう」と興味を惹かれてしまうこともあるだろう。
ところが、P.D.ジェイムズ好きで、英米文学もわりと好きな僕はというと、残念ながらこのタイトルを最初に聞いたとき、まったく惹かれなかった。まさに二番煎じのお茶が出てきた気分であった。
すでにこんなものが出ていた。
![]()
- 作者: ジェイン・オースティン,セス・グレアム=スミス,安原和見
- 出版社/メーカー: 二見書房
- 発売日: 2010/01/20
- メディア: ペーパーバック
- 購入: 6人 クリック: 218回
- この商品を含むブログ (78件) を見る
「ゾンビ」である。
「そして殺人」のインパクトも、「ゾンビ」の前にはかたなしである。
※誤解を招かないように付け加えておくが、ここでは文学的な評価でなく、ただインパクトの話をしている。「そして殺人」の後に「ゾンビ」が登場するならまだ盛り上がりもあるが、「ゾンビ」が最初にくると「そして殺人」はあまりにも弱いと言わざるをえない。ゾンビは死体なのだから、それが殺人によるものであったとしても「ふーん、そうか」で終わってしまうではないか(そういう話ではない)。
訳者のあとがきによると、2008年頃、このゾンビ本のオースティンでない生きているほうの作者(にクレジットされている)セス・グレアム=スミス――この人はTVや映画のプロデューサーや脚本を担当したり、ノンフィクションなどを書いてはいたそうだが、小説家ではなかった――のもとに、編集者のジェイスン・レクラークから電話がかかってきて、『Pride and Prejudice and Zombiesというタイトルを思いついたのだが、と言われた』というのが発端だったそうで*2。いったい編集者はいったいどういうつもりだったのか、そういう本を書いてほしいと思ったのか、なんにせよ、このオースティンではない生きている方の作者は、その期待(?)にみごとに応え、次のような書き出しではじまる文章をでっち上げた(そしてその文章は本となり――こう言っても決して失礼にはならないと確信しているが、タイトルが素薔薇しかったからだろう――たちまちベストセラーになったということである):
これは広く認められた真理であるが、人の脳を食したゾンビは、さらに多くの脳を求めずにいられないものである。この真理を生々しく見せつけられたのは、さきごろネザフィールド・パーク館が襲撃された時だった。18人の住人がひとり残らず、生ける屍の大群に食い尽くされてしまったのだ。
「ねえあなた、お聞きになった?」そんなある日、ベネット家の奥方が夫に尋ねた。「ネザフィールド・パークにまたどなたかお入りになるんですって」
ミスター・ベネットは聞いていないと答えて、せっせと朝の仕事を続けた。短剣を研ぎ、マスケット銃をみがく――忌まわしい化物の襲撃は週を追うごとにひんぱんになりまさり、うかうかしていられる状況ではないのだ。――『高慢と偏見とゾンビ』(安原和見訳、7ページ)
もうこの書き出しを見ただけで爆笑ものである。
ちなみに死んだ方の作者が書いた文は、このような具合だ:
独身の男性で財産にもめぐまれているというのであれば、どうしても妻がなければならぬ、というのは、世のすべてがみとめる真理である。
はじめて近所に来たばかりの人であってみれば、彼の気持ちや見解は、ほとんどわかっていないわけだけだけれども、周囲の家々の人の心には、この心理はかたく不動のものとなり、その人は当然、われわれの娘たちのうちのだれかひとりのものになるはず、と考えられるのであった。
「まあ、あなた」とある日ベネット夫人が夫に言った。「ネザフィールド荘園にとうとう借り手がついたってこと、お聞きになって?」
ベネット氏は、聞いていないと答えた。
この差異の妙が面白さであるので、『高慢と偏見』を読まずに『高慢と偏見とゾンビ』を楽しむことは難しいように思われる(一方で、こういうオリジナルに敬意を書いたようにみえる悪趣味が嫌いな人はいるであろう。僕の母なども英米文学専攻だが、この手の冗談はまったく解さないタイプである)。
大きくわけて、
- 『高慢と偏見とゾンビ』を読んでいるが、ゾンビには我慢がならない」
- 『高慢と偏見とゾンビ』を読んでいて、かつゾンビに大喜びする」
- 『高慢と偏見とゾンビ』を読んでおらず、ゾンビがプラスされても興味がわかない」
- 『高慢と偏見とゾンビ』を読んでいないが多少は興味があるし、ゾンビで関心が最大化する」
というグループがあり、
『高慢と偏見とゾンビ』は「2」と「4」を狙って成功したのである。これを侮辱と感じたジェーン・オースティンがゾンビとして蘇り復讐に来ないことを祈りたい。
・
・
・
「差異の妙の面白さ」、ということで、やっと本題に入るが、Web配信アニメ版(フロムアニメイシヨン)が賛否両論というかなんというか喧しい『ニンジャスレイヤー』という作品がある。
もともと「アメリカ人が書いた、間違った日本感満載の小説」の版権を取得してTwitterで無料公開したら、その珍妙な文体(忍殺語)の物珍しさもあってたちまち評判となり、コミック化、ドラマCD化、そしてアニメ化という、絵に描いたような成功を収めている……という作品である。配信中の『フロムアニメイシヨン』は動いてるようで動いてない一方で前触れもなく突然動く奇妙な出来に困惑する向きも多いようだが、ナレーターのゴブリンが最高だと思う。
ちなみに、世の中には自称神戸生まれのユダヤ人とか、現役中学生の歌手ユニットとか、イタリア生まれの社会学者(これは流れ弾)とかがいるが、ここでそういう話はしない。いいね?
アニメ配信中ゆえに『ニンジャスレイヤー』の話題は切れ目なく入ってくるので、ここしばらくぼんやり考えていたのだが、『ニンジャスレイヤーは、どうあがいても 日 本 で し か ウケないのではないか』という仮説というか懸念を、日本人と英語の関係性について多少なり鰭を突っ込んだブログであるので、『高慢と偏見とゾンビ』の件のついでに記しておく次第である。
初期エピソードの短編『マシン・オブ・ヴェンジェンス』は、日本語翻訳は当然として、脚本:田畑由秋・作画:余湖裕輝のコンビのコミカライズ、アニメイシヨン第2話、そして、“原作”とされる英語版もWebで公開されているため、比較しやすい一作である(※ただしアニメは有料化した)。
以下の引用は、日本語は翻訳チームのツイート、英語はWeb公開版に基づく: http://otakumode.com/sp/ninjaslayer/novel/mov/chapter1
※コミカライズ版は英語版も公開されている: http://otakumode.com/sp/ninjaslayer/manga
Arson sinks into the rear seat and solemnly says, “Take me to the Tokorozawa Pillar.”
“My pleasure.” The driver mutters back with reserve and drives off.
「トコロザワ・ピラーに出せ」アーソンが後部座席に背中を沈め、厳かに言った。「ヨロコンデー」運転手は控えめに呟き、車を発進させた。
“Engage!” The captain orders his ninja behind him.
“Roger. My pleasure.” The Omura Ninja nimbly got to his feet and exited the engine room door with incredible speed.
『行けッ!』機長は後ろのニンジャに命令した。
https://twitter.com/NJSLYR/status/133231996892741632
“Recover the body,” Laomoto commanded with haughty arrogance. “How dare that vermin defy the Syndicate. Investigate his body with fine-toothed comb.”
“My pleasure. I’ll alert our company ninja now.”
「死体を回収せよ」ラオモトは尊大に言った。「シンジケートに楯突く害虫だ。全て調べ上げる」『ヨロコンデー!ザザッ……我が社のニンジャに今……ザッ……』
行き先を指示された運転手、敵を殺すように指示されたニンジャ、殺した相手の死体を探すよう命じられた指揮官が、みな"My pleasure"と言っている。謝意に対する返答とともに、了解の意味ももつ丁寧な言い回しで、実際ハリウッド映画あたりでも似たようなシチュエーションでこのようなセリフが出てくる。英語ネイティブからすれば何もおかしなところはないのだろう。僕が訳すなら、最初は「かしこまりました」、次は「お任せ下さい」、最後は「はっ、ただちに!」とでもしてしまうところだ。これが全部「かしこまりました」では、あまりに工夫がない。
しかしところが、日本語版はこの"My pleasure"を、すべて「ヨロコンデー」にしてしまっている。突っ切っている。そして実際読んでみて、この“差異”が我々日本語話者(の一部)にとって「面白い」のである。
だがなぜそれが面白いのかというと……それは結局、理屈ではない。自分が日本人(日本語・日本文化ネイティブ)だからである。
ニンジャスレイヤーは、普通に訳したら、あんがい凡庸ともいえる物語になる。
妻子の復讐に燃えるダークヒーロー、虚化――じゃなかったナラク化、次々襲い来る奇妙な技を持つヴィラン(悪役)、グラマーな美女……
しかし、
https://twitter.com/njslyr_ukiyoe/status/365090542675165185
https://twitter.com/njslyr_ukiyoe/status/365092366417285120 *3
ここで「古事記」を持ってくる(ことができる)から面白いのである。我々は古事記にそんな記述はないことを知っている*4。
しかしこれがもし万が一 “十七条憲法”だったら*5「群卿百寮、礼をもって本となせ」とかがあるから「あれ?」ということになってしまうわけで。そういう逆の意味での「引っ掛かり」にも配慮し、逆算したかのように組み立てられていると、英語版“原作”に目を通してなお、そう感じるのである。そうしたこだわりが向けられている先はどこだろうか? ゆえにアメリカ人が書いたというのはいよいよ疑わしいアメリカでは成功しなかったし、これからもしないであろう、というような印象があるのだ。
『高慢と偏見とゾンビ』が狙った、
- 『高慢と偏見とゾンビ』を読んでいるが、ゾンビには我慢がならない」
- 『高慢と偏見とゾンビ』を読んでいて、かつゾンビに大喜びする」
- 『高慢と偏見とゾンビ』を読んでおらず、ゾンビがプラスされても興味がわかない」
- 『高慢と偏見とゾンビ』を読んでいないが多少は興味があるし、ゾンビで関心が最大化する」
の、「2」・「4」と同じように、
『ニンジャスレイヤー』は、
- 日本語と日本の文化に精通しているが、ニンジャサイバーパンクには我慢がならない
- 日本語と日本の文化に精通していて、ニンジャサイバーパンクに大喜びする
- 日本語と日本の文化のことはよく知らず、ニンジャサイバーパンクにも関心がない
- 日本語と日本の文化のことはあまり知らないが多少は興味があるし、ニンジャサイバーパンクにも関心がある
の、「2」・「4」を狙い、その大部分のゾーンを占める「日本人」の文化圏でひとまず成功した。しかしそれは「2」だ。
――もしかしたら、アメリカの「4」の層も、
“Yeeart!”“Aaaargh!”“Yeeart!”“Aaaargh!”“Yeeart!”“Aaaargh!”
としつこく書かれていたらクスリとするのかもしれない。チャップリンの映画にもそういう感じのシチュエーションはあった。しかし、サイバーパンクニンジャ小説を読んでそうなるアメリカ人は、たとえアメリカの人口が日本の3倍いるにせよ、
「イヤー!」「グワー!!」「イヤー!」「グワー!!」「イヤー!」「グワー!!」
にウケる、それほど多数でもない日本人よりもなお少ないのではないだろうか。日本人のニッチをとりあえず狙い、成功し、そしてしかし、新しい開拓地「4」というのは、(ほとんど)存在しないのではないか。
SF小説『銀河ヒッチハイクガイド』――ちなみに河出版の訳者は『高慢と偏見とゾンビ』の訳者と同じ人である――には「スラーティーバートファースト」という名前のキャラクターが登場する。彼はなかなか名前を言いたがらない。そしてようやく名前を聞いて主人公は笑ってしまう、というようなシーンがある。日本人である我々からすると何がおかしいのかわからないが、あまり上品ではない類の言葉のもじりであるらしい。
スラーティバートファーストに込められた品のないギャグがわからなくても、『銀河ヒッチハイクガイド』は十分面白い作品であり、この先も日本で日本語訳が読まれていくと思う(ただし、日本人がその面白さを十全に味わえているかどうかということはいえないけれども)。
はたして日本語ネイティブの欲目を取っ払って――というか「イヤー!」「グワー!」「ヨロコンデー!」「アイエエエエ!!」を取っ払って作品を鑑賞したとき、『ニンジャスレイヤー』はどうなるであろうか? そりゃもちろん僕もヤモト=サンは好きですがね。
ニンジャスレイヤーを楽しむための最初にして最大のハードルは、日本人には見えない。難なく越えている。
……それは、多くの日本人がふだん英語に関連してつまずくハードルと相似をなしているんじゃないですかね、というお話でした。
・
・
・
とまあ長々書いたが、もし仮に『ニンジャスレイヤー』が全米逆輸入大ヒットになったとしても、僕が責任をとって切腹とかはない。アシカラズー
![]()
- 作者: 余湖裕輝
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2013/12/27
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る