2015-05-12

響け!ユーフォニアム」の滝先生モヤモヤする件

アニメ響け!ユーフォニアム」を通して見る揺れる心

http://seagull.hateblo.jp/entry/2015/05/11/144400

こちらを見てて、滝先生が「生徒に目標を決めさせる場面が誘導尋問である」という指摘に「そう!そうなんだよ!」と思った吹奏楽経験者です。

自分は中高大とアマチュア吹奏楽続けてた(就職時間が取れなくて止めた)んだけども、中高はいわゆる弱小で、大学も中高に比べれば雲泥とはいえ、まあそこまで上手くはなかった感じの人間です(全国大会にはほぼ縁のないレベル)。

でまあ滝先生モヤモヤする点って、それが効果的かつピーキー手法からなんですよね。

そもそも吹奏楽(オーケストラもだけど)同時に演奏する人数がやたらに多い。

ロックバンドですら「音楽性の違い」とか様々な理由で解散するのに、50人からの人数(しかもまだお互いの意思疎通・合議能力に乏しい高校生)をまとめ上げるのは大変。

生徒の自主性を尊重してたら時間がかかってしょうがない。

その上、「部活の外の人たち」は「コンクールの結果」でしか部活価値判断してくれない。

短期間で「コンクールの結果」を出すためにはああいうやり方が効率的ではあるんですよね。

ただねえ、中高の部活って、「迷ったり・失敗したりする」事も大事財産だとも思うのですよね。

特に高校生ともなれば、自主的に色々やってみたくもなる年頃で(高校生だと演奏会で身の丈に合わない曲を選んで轟沈なんてことも結構ある)、それを先生がキリキリ誘導ちゃうのが正しいのかっていうところはすごくモヤモヤするわけです。

もちろん、生徒たちの意思サポートできる知識とか人脈とかはすごく大事なんですけど、結果として路頭に迷ってたからといって、圧倒的な手腕でひとつの方向に導くのが「正解」なのかどうかってのはまあ「答えのない問い」ですよね。だからモヤモヤする(それとは別に先生みたいな「デキる人」の表面だけ見習って、生徒を地獄に叩き落す勘違い指導者が少なからずいる、って問題もあるんだけどそれは別問題なのでおいておく)。


実際問題として、「顧問先生に導かれて結果を叩き出した」生徒たちの少なくない人数は、高校卒業音楽から離れます

まあもちろんそれはある意味当然の事(高校部活吹奏楽に限らずおおむねそんなものではある)なのだけども、「彼ら彼女らが高校自分が今後音楽にどう向き合っていくかを考える機会と知識」をきちんと得られた結果なのだろうか、ってのは色んな吹奏楽経験者を見ていて疑問に思うところなのでした。

結局先生にのせられて部活を続けて、「その先を自分がどう歩くか」を考える機会も材料も得られなかったんじゃないのかって。

ま、回答はありません。でもねえ、全国大会に出る吹奏楽部だった人でも、吹奏楽CD(今はCDに限らんけど)を買ったりする人って少数派だったりとか、吹奏楽プロ音源ってびっくりするほど多種多様にあるのに、売れているCDアマチュアCDばっかりだという現状とか、肝心の全国大会でもトップレベル学校がいまだに非音楽的な曲カットをしていたりする現状だとか考えてると、「結果」ってなんだろうなーと思うわけで。

そもそも音楽客観的定量的に決められるような「結果」なんてないんだから当たり前ではあるんですけどね。

あくま吹奏楽コンクール演奏技術のみを競う場ですから(だから音楽的にひどいカットをしても基本減点されない)。


なんかモヤモヤに引きずられて話がそれました。すいません。


で、原作の誠実なところは「このモヤモヤにはすっきりした回答なんぞない」というところをきちんと描こうとしているところだと思います

同じ音楽を扱った作品でも「BECK」とかだと勝負普通に勝ってしまうわけですけど(あれはあれでそういう話だからそれでいい)、この作品は「結果」ってのがそんなに分かりやすものではない事をきちんと踏まえている。

から先生全面的に作中で肯定されるわけではない(はず、原作一巻を読む限りでは)し、かつ、群像劇として多種多様価値観の人々が「設定された目的のために協力はしても考え方を相容れることはあんまりない」という方向で話が進みます


このモヤモヤについて、見る人が色々考えてくれるといいなあと、私も思う次第です。


他にも作中の曲についてとか原作者楽曲スコア見てなくて事実誤認してる部分とか色々言いたいことはあるんだけど、最後ひとつだけ。

「吹部」っていう略称は、大学の「回生」並に関東東北(多分北海道も)では通用しないから気をつけろ!

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